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第85話 【Day 6】小休止中の配信者ですが、売店で「国民的アイドル」と遭遇し、彼女と私の看病人が無言の対面を果たした

入院6日目。 小暮こぐれ ゆずるは、久しぶりに病室の外へ出ていた。 絶対安静の期間は終わっていないが、恭介から「院内なら散歩を許可する。ただし走るな、跳ねるな、仕事するな」という条件付きの許可が出たのだ。


「……ふぅ。院内だけど……外出の空気は美味いなぁ」


小暮はリハビリがてら、1階の売店へと向かった。 雑誌でも買おうと棚を眺めていると、横からスッと手が伸びて、同じ雑誌を取ろうとしてぶつかりそうになった。


「あ、すみません」

「い、いえ、こちらこそ……って、え?」


その女性は、深く帽子を被り、伊達メガネに大きなマスクという完全防備の姿だった。 だが、その声と、隠しきれない華やかなオーラに、小暮は既視感を覚えた。


「……もしかして、エリカさん?」

「!?」


女性がビクリと肩を震わせ、あたりを警戒してからマスクを少しずらした。 そこには、国民的アイドルグループのセンター、天塚シエルの中の人である橘エリカの顔があった。


「……しーっ! 声が大きいです、先輩!」

「ご、ごめん! ……でも、どうしてここに?」


エリカは再びマスクを戻し、少し呆れたように小暮を見た。


「それは私の台詞ですよ。先輩こそ、なんでパジャマ姿なんですか?」

「あー、その……。ちょっと仕事で無理しすぎて、倒れちゃって」


小暮が頭をかきながら説明すると、エリカは「やっぱり」といった顔をした。


「……過労、ですか。ダメですよ、先輩。 体は資本なんですから。自分のこと、もっと大事にしてくださいね?」


「ごめん……。反省してるよ。 で、エリカさんは? もしかして、どこか悪いの?」


「いえ、私はお見舞いです。 ……疎遠だった兄が、事故に遭ったらしくて。 でも、さっき顔を見たらピンピンしてて、『見舞いなんていらねぇよ』なんて憎まれ口を叩くくらい元気でしたから、安心しました」


エリカは「心配して損した」と肩をすくめて笑った。 深刻な様子はなさそうだ。


「よかった。……でも、親しい人が病院にいるってだけで、やっぱり気になっちゃうよね」

「ええ。……本当に」


エリカが少し寂しげに、意味深に頷いたその時だった。


「……小暮さん?」


背後から、凛とした声が聞こえた。 影山 栞だ。


「あ、影山さん。ごめん、ちょっと売店に……」

「ダメですよ、勝手に出歩いては。……おや?」


栞の視線が、エリカに向いた。 エリカもまた、栞を見つめ返す。


一瞬の静寂。 二人の間に、小暮には感知できない、しかし強烈な「認識」の火花が散った。


(……ああ。彼女が『カゲ』さん)

(……やはり。あの方が『名無し』さん)


裏サミットでは互いの社会的地位を明かしている。 アイドルと社長令嬢。知識としては知っていたが、これが初めての「生身での対面」だった。


栞は、自然な動作で小暮のパジャマの襟を直し、心配そうに顔を覗き込んだ。 その慈愛に満ちた眼差しを見て、エリカは悟った。


(……すごいな。カゲさんは)


裏サミットの時、彼女は身バレのリスクを冒してでも彼を助けに行くと即決した。 あの時の覚悟は、単なる「推しへの愛」だけじゃなかったんだ。


(私はまだ、理想の『ルルちゃん』を追いかけていたけれど……。 彼女は、泥臭くて、不器用な『小暮譲』という人間も含めて、彼を丸ごと愛しているんだ)


今の自分は、まだそこまで踏み込めていない。 リアルで会って、幻滅するどころか、さらに深く彼を想っている彼女の姿。 その愛の深さと覚悟の差をまざまざと見せつけられ、エリカは嫉妬よりも先に、清々しいほどの納得感を覚えた。


(……ふふ。これじゃあ、敵わないわけだ)


エリカは内心で小さく白旗を上げ、しかし爽やかに微笑んだ。


「……ふふ。 心配して損しちゃいました」


「え?」


「なんでもないです。 ……先輩。素敵な看病人さんがいて、幸せですね。 お大事にしてください」


エリカは栞に軽く、しかし「貴女なら任せられる」という敬意を込めて会釈をすると、踵を返して去っていった。


「……知り合いですか? 小暮さん」

「うん。以前、一緒に配信機材を見に行ったりしてね。 なんていうか……趣味の合う後輩、みたいな感じかな」


小暮が懐かしそうに答えると、栞はエリカが消えた角を静かに見つめ、やがて優しく微笑んだ。


「そうですか。……さて、お部屋に戻りましょうか」


病室に戻ると、栞はお茶を淹れながら、少し改まった口調で切り出した。


「そういえば小暮さん。先ほど、御子柴会長から連絡がありました」


「えっ!?」


「『小暮君のお見舞いに行きたいのだが……許されるだろうか』と。 あのワンマン会長が、まるで借りてきた猫のように背中を丸めて、随分と気弱におっしゃっていましたわ」


栞は、社交界や裏サミットで見知った「財界の王」の、あまりに人間臭い姿を思い出してクスリと笑った。


「小暮さん。もしご迷惑でなければ、会ってあげていただけますか? もちろん、まだ体調が優れないとか、気が乗らないということでしたら、私から丁重にお断りしておきますけれど」


栞はあくまで「小暮の意思」を尊重するように尋ねた。 小暮は少し驚いたが、すぐに首を横に振った。


「ううん。断るなんてとんでもないよ。 僕も、会長にお会いして、ちゃんとお礼を言いたかったから」


「……そうですか。ふふ、貴方ならそう言うと思いました」


栞は満足げに頷いた。 明日は、最後の来客――すべての始まりとなった「王」との再会だ。

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