第78話 【Day 2裏】天才科学者の「論破するための医師免許」と、友人を救えた安堵
時計の針を、少しだけ戻そう。 それは、如月恭介が小暮の病室に入る直前のこと。
病院の廊下で、二人の人物が対峙していた。 一人は、この病院の手配をした影山栞。 もう一人は、白衣を纏って現れた 如月恭介である。
「……如月様。どういうおつもりですの?」
栞は、いつものおっとりした口調とは違う、少し冷ややかな声で問いただした。 彼女にとって、今の小暮は「絶対に守らなければならない聖域」。 いくら裏サミットの仲間とはいえ、専門外の科学者が興味本位で近づくことは許容できなかった。
「俺に主治医をさせろと言ったんだ。 この病院の院長とは古い付き合いでな。話はついている」
「ですから、それが分かりませんわ。 貴方は物理学者でしょう? 専門外の医療行為など、彼を危険にさらすだけです」
栞が毅然と拒絶すると、恭介はフンと鼻を鳴らし、医師としての身分証を栞に見せた。
「……持っていたんですの?」
「海外で暇つぶしにな。 昔、とある医学部生と『人体の構造におけるエネルギー効率』について議論になってな。 そいつが『医学も知らない素人が』と抜かしおったから、論破するためだけに取った」
「…………はい?」
栞は思わず素っ頓狂な声を出した。 医学部生を黙らせるためだけに、世界最難関の一つである医師免許を取得した?
「ついでに、日本でも使えるように研修も済ませてある。 その時の指導医が、かつて論破した相手だったのは傑作だったがな」
恭介はニヤリと笑った。 その動機はあまりに幼稚で、傲慢で、そして呆れるほど天才的だった。
(……天才と変人は紙一重と言いますが、この方は紙すらありませんわね)
栞は呆れ果てたが、同時に一つだけ、確かなことも感じ取っていた。 この男の目には、単なる知的好奇心以上の――「仲間を案じる切実な色」があることを。
「……分かりましたわ。 ただし、少しでも彼に負担をかけたら、私が全力で排除します」
「フン。私のメンテナンス能力を疑うな」
◇
そして、診察が終わった後。 病室から出てきた恭介を、栞は壁に寄りかかって待っていた。 先ほどの第77話のラスト、すれ違いざまの無言の連携――その直後の会話である。
「……どうでしたの?」
「深刻なダメージはない。 脳波も正常、内臓機能もストレス性の数値が出ているだけで、器質的な異常は見られない。 ただのガス欠だ」
恭介が淡々と報告すると、栞は深く、長く息を吐き出した。 張り詰めていた糸が緩み、その場に崩れ落ちそうになるのを必死に堪える。
「……よかった。本当によかった……」
「ああ。全くだ」
恭介もまた、眼鏡の位置を直しながら、安堵を隠そうともしなかった。 彼にとってルル(小暮)は、自身の理論を理解し、孤独な研究者としての自分を受け入れてくれた、数少ない「理解者」なのだ。
「あとは寝ていれば治る。 ……邪魔をしたな。看病は任せたぞ、カゲ」
「ええ。任されましたわ、ドクター」
二人は短くハンドルネームで呼び合い、確かな信頼を交わして別れた。 ネット上の関係が、リアルで交錯し、共闘関係へと変わった瞬間だった。
◇
病院を出て、駐車場へと歩く恭介。 彼はふと、自分の手を見つめた。
かつて、生意気な医学生をやり込めるためだけに手に入れた、ただの「武器」としての知識。 それが今日、大切な友人の無事を確かめ、守るための「盾」になった。
「……フン。 あの時は『こんな紙切れ、何の役にも立たん』と思ったが……」
彼は空を見上げ、独りごちた。
「……持っておくものだな。 悪くない気分だ」
天才科学者は、白衣のポケットに手を突っ込み、いつになく軽やかな足取りで研究所へと帰っていった。 ただの紙切れが、本当の意味での医師免許へと変わった日だった。
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