第77話 【Day 2】小休止中の配信者ですが、主治医として現れた「冷却スプレーの変人」に、完治するまで絶対安静を命じられた
「……うぅ。体が鉛みたいに重い……」
入院2日目の朝。 小暮 譲は、病院のベッドの上で小さく呻いた。 昨日は気が動転していて分からなかったが、一夜明けて冷静になると、全身の節々が軋むような倦怠感に襲われていた。 長年の疲労が、堰を切ったように溢れ出しているようだ。
「……でも、仕事に行かなきゃ。 御子柴会長の案件、これからが本番なんだぞ……」
社畜の悲しい性で、小暮は点滴スタンドを支えに起き上がろうとした。 その時、病室のドアが静かに、しかし力強く開いた。
「――ストップ。今の君が動いても、回復効率を下げるだけだ」
「え?」
入ってきた白衣の医師を見て、小暮は目を丸くした。 銀縁メガネの奥で光る、理知的で冷静な瞳。 見間違えるはずがない。
「き、如月博士!? なんでここに!?」
そこに立っていたのは、あの「冷却スプレー」や「配管トラブル」で縁のある、天才科学者・如月 恭介だった。
◇
「友人の院長に頼まれてな。手が空いている時は、こうして手伝い(ヘルプ)をしている」
恭介は手際よく電子カルテを操作しながら、淡々と告げた。
「はぁ……。科学者なのに、お医者様もやられているんですか?」
「まあな。人体も機械も、構造を理解していれば修理の要領は同じだ」
「す、すごいなぁ……。本当に何でもできるんですね、博士は」
小暮は純粋に感心してしまった。 物理学の天才で、現場のことも分かってくれて、さらに医術も心得ている。 この人は正真正銘の超人なんだな、と妙に納得してしまった。
「……感心している場合か。さあ、聴診器を当てるから服を捲りたまえ」
そこからの恭介は、いつもの変人ぶりを潜め、驚くほど手際の良いまさに「ドクター」だった。 バイタルチェック、瞳孔反応、反射テスト。 無駄のない動きで小暮の体をスキャンしていく。
「……結論から言おう。 君の体は、メンテナンス不足の旧式エンジンのようだ」
恭介は、カルテを見ながら冷静に告げた。
「慢性的な睡眠不足、眼精疲労、自律神経の乱れ。 そして極度のストレスによる脳疲労。 ……よくもまあ、このスペックで昨日まで稼働していたものだ。精神力だけで持っていたようなものだな」
「は、はあ……。でも、そこまでじゃ……」
「自覚がないのが一番の問題だ。 いいか、今日を含めて最低7日間。このベッドから一歩も出るな。 スマホでの業務連絡も禁止。絶対安静だ」
「な、7日!? 無理ですよ!」
小暮は思わず身を乗り出した。
「会社だって忙しいし……それに、その、趣味の活動(配信)だってあるんです! 一週間も穴を開けたら、みんなに忘れられちゃう……!」
小暮が必死に食い下がると、恭介は持っていたペンライトをポケットにしまい、深く溜息をついた。 そして、ベッドの脇に椅子を引き寄せ、少しだけ視線の高さを合わせた。
「……君は、本当に休むのが下手だな」
「え?」
顔を上げると、恭介の表情が変わっていた。 いつもの、理詰めで相手を追い込むような冷たさはない。 どこか困ったような、しかし心の底から安堵したような……人間味のある眼差し。
「壊れてからでは遅いんだ。 機械ならパーツを交換すれば直るが、君の代わりはどこにもいない。 ……君を待っている人間にとっても、今の君に必要なのは『稼働』ではなく『修復』だ」
恭介は、小暮の顔をじっと見つめた。 それは医師として患者を諭す目であり、同時に「大切な推し」が無事だったことを噛み締める、リスナーとしての目だった。
「……休みたまえ、小暮くん。 これはメンテナンスだ。 最高のパフォーマンスを発揮するために必要な、計画的ダウンタイムだと思えばいい」
恭介の不器用な優しさに毒気を抜かれ、小暮の肩から力が抜けた。
「……分かりました。観念します」
「よろしい。……大人しく寝ていろ」
恭介は満足げに頷くと、白衣を翻して病室を出ていった。
◇
廊下に出た恭介は、ドアのすぐ横に控えていた影山 栞とすれ違った。 二人の間に言葉はない。 ただ、栞が深々と一礼し、恭介が「問題ない」とばかりに小さく手を挙げただけだ。 その一瞬の動作だけで、二人は「推しを守る」という共通の目的を確認し合い、それぞれの持ち場へと戻っていった。
◇
「メンテナンス、か……」
一人残された小暮は、スマホを取り出した。 SNSのアイコンをタップする。 まだ、頭が少しボーッとするけれど、これだけは伝えておかないといけない。
『みんな、おはよう! この間の件、検査の結果問題はなかったよ! でも、お医者さんに「君は休むのが下手すぎる」って怒られちゃいました……。 お恥ずかしながら、今週はいっぱい寝てメンテナンスします! 配信はお休みするけど、みんな心配しないでねっ!』
送信ボタンを押す。 すぐに、温かい「いいね」と「ゆっくり休んで」のリプライが届き始めた。 小暮はスマホを枕元に置き、久しぶりに泥のような眠りにつくのだった。
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