第73話 【過去編】同接7人の配信者ですが、総務部の「高嶺の花」は、なぜ冴えない平社員と仲良くするのか
(これは本編の2、3年前。彼女がまだ日本支社の総務部で、孤高の存在として働いていた頃の話――)
「……小暮さん。お疲れ様です」
昼休み明けのオフィス。 私のデスクに、缶コーヒーがことりと置かれた。 顔を上げると、総務部の 影山 栞さんが、涼やかな顔で立っていた。
「あ、影山さん。いつもすみません」
「いいえ。自販機のキャンペーンで二本出たので。……微糖がお好きでしたわよね?」
彼女は淡々と告げて去っていくが、その背中からは隠しきれない上機嫌なオーラが出ていた。 周囲の社員たちは「あの氷の影山さんが、なぜあんな窓際のオジサンと?」と遠巻きに噂している。
(……ありがたいけど、なんだか申し訳ないなぁ)
小暮は、置かれたコーヒーを手に取り、少し照れくさそうに頭をかいた。 先日、彼女と半額弁当を分け合って以来、こうして何かと気にかけてくれるようになった。 高嶺の花と噂される彼女だが、話してみれば普通の、いや、むしろ人一倍気遣いのできる優しい女性だ。 小暮にとって彼女は「令嬢」ではなく、「律儀で可愛らしい後輩」だった。
◇
そんなある日の夕方。 部署の定例ミーティングでのことだった。
「いやぁ、最近の若い子は覇気がないねぇ! もっとガツガツいかんと!」
上座で大声を上げているのは、課長の 大木だ。 彼は仕事熱心で根は悪くないのだが、価値観が昭和で止まっており、悪気なく「全方位にモヤッとする発言」を撒き散らす癖があった。
「おい佐藤、なんだそのネクタイの色は。地味すぎて精気を感じんぞ! ガハハ!」
「鈴木くん、君は最近太ったんじゃないか? 幸せ太りか~? 羨ましいねぇ!」
佐藤は苦笑いし、鈴木は引きつった笑顔で俯く。 現代ならアウト寄りのグレーな発言。 場を盛り上げようとする大木の空回りによって、空気は重く淀んでいた。
そして、大木の矛先は、書記をしていた栞に向いた。
「影山くんもなぁ、仕事は完璧だけど、愛想が足りんよ。 そんなにツンとしてちゃ、男が寄り付かんぞ? もっとこう、上司を立てるような『可愛げ』がないとなぁ!」
「…………」
栞の手がピタリと止まった。 彼女の瞳が一瞬で絶対零度まで冷え込む。 反論すれば角が立つ。しかし、黙っていればこの不快な空気は続く。 彼女が唇を噛み締めようとした、その時だった。
「――課長。そのへんにしておきましょう」
おっとりとした声が、場の空気を緩ませた。 小暮だった。
「ん? なんだ小暮。ワシは部下とのコミュニケーションをだな……」
「ええ、分かります。課長がこの場を明るくしようとしてくれてるの、すごく伝わってきますから。 やっぱり、課長みたいにエネルギッシュな方が真ん中にいると、部署全体が引き締まって活気が出ますよね」
小暮はニコニコと、まずは相手を肯定した。
「ただ……その、なんと言いますか。 課長のその『高出力なエネルギー』を受け止めるには、僕らの世代の機材だと、ちょっとスペックが追いつかない時があるというか……。 ほら、高電圧すぎてブレーカーが落ちちゃう、みたいな?」
「ブ、ブレーカー?」
「はい。だから、影山さんも愛想がないんじゃなくて、課長の熱量に圧倒されて、ショート寸前なのかもしれませんよ? 彼女、お茶出しの気配りとか資料の正確さとか、すごいスペック高いですし」
小暮は、大木を悪者にせず、あくまで「相性の問題」としてやんわりと翻訳した。
「……む」
大木はキョトンとした。 「お前の発言が悪い」と言われたら怒っただろうが、「お前のエネルギーが強すぎる」と言われて、悪い気はしなかったのだ。
「……そうか。ワシの出力が高すぎたか。 ガハハ! それはすまんかったな。省エネモードでいくとしよう」
「ええ。最新のエコモードでお願いします」
小暮が和やかに返すと、張り詰めていた空気がふわりと緩んだ。 栞も、俯いたまま小さく息を吐き、微かに口元を緩めた。
(……この人は、いつもこうだ。 誰も否定せず、誰も傷つけず、ただ「整えて」しまう)
◇
その夜。 小暮の自宅。 まだ配信機材も安物で、同接は2人か3人という時代の配信。
『……というわけでね。 今日、職場でとっても元気な上司の人がいてさ。 みんなを鼓舞しようっていうエネルギーが凄くて、そういう情熱があるのって素敵だなぁって思ったんだ』
画面の向こうで、小狐ルルが穏やかに語っている。
『……ただ、ほんの少しだけ、出力端子の規格が今のOSと合わなかっただけで。 中身はいいデータなのに、エラーが出ちゃうのは惜しいなぁって。 だから僕が、変換アダプタみたいに間に入って、うまく繋げたらいいなって……ちょっとお節介焼いちゃった』
リスナーからのコメントがポツリと流れた。
『カゲ: ……古い規格のハードウェアも、貴方のような「変換アダプタ」があれば、まだ現役で輝けるのかもしれませんね。 そういう優しいメンテナンスができる人がいる職場は、とても素敵だと思います』
小暮は、そのコメントを読んで嬉しそうに目を細めた。
「あはは、メンテナンス担当かぁ。上手いこと言うね、カゲさん。 まあ、せっかくの情熱だからね。捨てちゃうのはもったいないし、うまく噛み合わせていきたいよね」
◇
都内のマンション。 栞は、お風呂上がりのリラックスした姿で、スマホの画面を指で優しくなぞった。
「……ふふ。やっぱり、貴方は変わりませんわね」
昼間のオフィスで、課長を立てつつ私を守ってくれた小暮さん。 今、画面の中で、誰のことも悪く言わずにエピソードを語るルルさん。
場所が違っても、立場が違っても、その根底にある「全肯定の優しさ」は全く変わらない。
「……安心しましたわ」
彼女は、昼間の大木課長の言葉でささくれ立っていた心が、ルルの声で凪いでいくのを感じた。 まだロンドン行きなんて話も出ていない、平穏な日々。 けれど彼女の中で、一つの決意は確固たるものになっていた。
「私は、貴方の一番の『理解者』であり続けます。 ……おやすみなさい、私のヒーロー」
彼女はそっと配信におやすみのコメントを残し、心地よい眠りについた。 これは、彼女が「同接7人の一人」として定着し始めた頃の、静かで温かい夜の出来事だった。
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