第70話 同接7人の配信者ですが、選挙活動中の「冷徹な大臣」と遭遇し、SPに囲まれながらも『本音の握手』を交わした
「――皆様の清き一票を! この日本を、前に進めるために!!」
衆議院解散に伴う総選挙。 小暮 譲の住む街の駅前は、選挙カーの爆音と熱狂に包まれていた。 長ネギが刺さったスーパーの買い物袋を下げて帰路についていた小暮は、その喧騒に巻き込まれ、立ち往生していた。
「うわぁ、すごい人だ……。誰か有名な人が来てるのかな?」
人垣の向こう、街宣車の上に立っていたのは――現職大臣であり、『氷の女帝』の異名を持つ 剣崎 塔子だった。
テレビで見る通りの、隙のないスーツ姿。 冷徹なまでに整った美貌と、聴衆を圧倒する鋭い演説。 しかし、小暮の目は違ったところを見ていた。
(……足元、ふらついてるな。声も少し枯れてる。 ここ数日、全国を飛び回ってるってニュースで見たけど……相当無理してるんじゃないか?)
小暮は、画面越しのリスナーの疲れを察するように、目の前の大臣のコンディションを心配した。
◇
「ご声援、ありがとうございます!」
演説が終わり、塔子が街宣車から降りてくる。 聴衆へのお手振りが始まった。 SPたちが鋭い眼光で周囲を警戒し、有権者たちが握手を求めて殺到する。
「きゃー! 剣崎さーん!」
「大臣! 頑張ってください!」
もみくちゃにされる群衆の中で、小暮も逃げ場を失い、あれよあれよと言う間に最前列へ押し出されてしまった。
「……っ!」
目の前に、塔子がいた。 至近距離で見る彼女は、テレビよりも線が細く、そして化粧で隠しきれない隈があった。 彼女は機械的に笑顔を作り、次々と手を握っている。 その目は、誰のことも見ていないようで、ただ「有権者という数字」を見ているように虚ろだった。
そして、小暮の番が来た。
SPが「立ち止まらないでください!」と叫ぶ。 塔子が、習慣のように白い手袋のまま手を差し出す。 「応援、ありがとうございま――」
「――あの」
小暮は、握手をしようとする彼女の手を、あえて握らなかった。 その代わり、深く頭を下げ、静かに声をかけた。
「……顔色が、悪いです。 国のためのお仕事、大事だと思いますが……どうか、ご自身のお体も大切にしてください。 貴方が倒れたら、悲しむ人がいますから」
それは、有権者としての要望でも、支持者としての激励でもない。 ただの通りすがりの市民としての、純粋な「労わり」だった。
「…………」
塔子の動きが止まった。 機械的だった笑顔が崩れ、その瞳に「光」が戻る。 彼女はハッとしたように小暮を見た。 冴えない、買い物袋を下げた中年男性。 だが、その眼差しは、どこか懐かしく、温かい。
「……貴方は」
塔子は、差し出していた手を一度引っ込めた。 そして、嵌めていた白い手袋を、スッと脱ぎ捨てた。
「大臣!? 手袋を外すのはマナー違反で……!」
秘書の制止を手で遮り、塔子は素手を小暮に差し出した。 その手は細く、冷たく、そして少し震えていた。
「……ありがとうございます。 そのお言葉だけで、私はあと10年は戦えます」
小暮がおずおずとその手を握り返すと、彼女は驚くほど強い力でギュッと握り締めた。
「約束します。 貴方のような方が、スーパーの帰りにこうして平穏に歩ける日常……。 それを守り抜くのが、私の仕事です。……必ず、守りますわ」
その言葉は、演説用の美辞麗句ではなかった。 一人の人間としての、「本音の誓い」だった。
◇
「……とまあ、そんなことがあってね。 いやぁ、すごかったよ。手が震えちゃった」
その夜の配信。 小狐ルルは、興奮冷めやらぬ様子で語っていた。
『SPの人に睨まれて怖かったけど、あの大臣さん、すごく真っ直ぐな目をしていたよ。 やっぱり、国を背負う人ってカッコいいね!』
ルルが無邪気に語るその声を、塔子は移動中の公用車の中で聴いていた。 車窓の外は雨。 疲労はピークに達していたが、彼女の心は温かかった。
「……ふふ。怖がらせてしまいましたか」
彼女は、自身の右手をそっと見つめた。 あの時握った、無骨で温かい手の感触がまだ残っている。
「……やはり貴方でしたのね。 あのような喧騒の中で、私を『大臣』ではなく『人間』として見てくれたのは」
塔子はタブレットに向かい、コメントを打った。 いつもなら理路整然とした長文を送るところだが、今日は短く。
『フクロウ: (赤スパ)……その大臣も、貴方の言葉に救われたと思いますわ。 おやすみなさい。明日も、頑張れます』
「あ、フクロウさん! スパチャありがとう! そっか、届いてるといいなぁ。 みんなも、お仕事大変だろうけど、体だけは大事にしてね! おやすみ!」
ルルの優しい声が、車内の冷たい空気を溶かしていく。 鉄の女と呼ばれた大臣は、久しぶりに少女のような柔らかな笑みを浮かべ、次の演説会場へと向かうのだった。
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