乖離(前)
夢を見た。
夢の中で俺は今の姿のまま、思い出の中のミカと一緒に、例のミカのおじいちゃんの家で一緒に遊んでいた。
そしてひとしきり楽しく遊んだ後、日が暮れて俺は帰らなければならない時間になる。
別れ際、ミカは俺の方を見て言った。
「ねえ、今後私たちは離れ離れになるけど、お互い幸せになろうね」
ミカの言葉に俺は衝撃を受けた。
「おい、何を言ってるんだ。俺たち、ずっと一緒にいるって言ったじゃねえか!」
「ううん、そうはいかないの。それに人生にはきっと素敵な出会いがたくさんある。だから私と別れた後も、きっと素晴らしい人生が待っているよ」
彼女は優しく首を横に振る。
「そんな! 待ってくれ、俺にはミカしかいないんだ……」
俺は慌ててミカに手を伸ばす。しかしミカに触れそうになったところで彼女の姿は消滅し、そして俺は目を覚ました。
俺の手はむなしく虚空を彷徨っていた。
その後も俺の就活は凄惨を極めた。書類選考は通ることが多いのだが、一次面接や二次面接でことごとく落ちた。面接の回数を重ねるごとに本心に仮面を被せて上っ面の受け答えをすることだけはうまくなっていったが、あまりに露骨な仮面をかぶっているせいか、結果は全然よくならなかった。
しかも仮面を被れば被るほど面接後の自己嫌悪は大きくなっていった。
そんな事態が続くせいか、心境はより酷くなっていった。
以前はラノベを読むのは楽しかったが、最近はそれすらも苦痛になってきた。ラノベ主人公は物にもよるが、性格や過去のトラウマなどから何らかの事情で引っ込み思案だったり一歩が踏み出せなかったりすることが多い。しかしヒロインとの交流やイベントの発生などで心境に変化が起こり、最終的には変わっていくというパターンが王道である。
昔は読んでいても特にその設定は気にならなかったが、最近は読んでいてもやもやが溜まるようになった。
その原因を解き明かしていくと、どうも主人公の成長にあるような気がした。最初は冴えなかった主人公がモテモテになるのに嫉妬しているだけかと思っていたが、そうではなかった。
主人公はスタート地点では今の俺のように無気力だったり積極的でなかったりする。しかし話が進むにつれて「これではいけない」「変わらなければ」と思うようになっていく。
その変化は主人公にとっては気持ちが前向きになったということなのだろう。しかしそれは紛れもなく過去の否定であり、主人公に無意識に自分を重ねてしまっている俺にとってはそれは自分が否定されているような気がしてくるのである。
成長というのは、今の『悪い』状態の自分を否定することでしか起こりえない。現状を肯定すれば成長はない。そのことに思い至ってしまい、俺は小説の中でさえ現状が否定されることが苦痛になってきた。
もちろん今の俺が世間的には『悪い』状態にあるのは分かっているのだが、そんな現実を小説の中ですら突き付けられるのは困る。
ふとスマホが鳴った。最近、スマホの画面を見ることすら苦痛になってくる。大学の知り合いとも疎遠になってしまった俺のスマホに連絡が来るときは就活関係のメールか、シフト交代の依頼ばかりである。
俺は嫌々スマホの画面を開く。親から数件のラインが来ていた。何の成果も出ない俺の就職活動についての心配だった。俺はそっとラインを閉じた。
そんな風に俺がどん底に陥っているころ、例のコラボ配信の三日後、森野は『コラボ振り返り&雑談』という捻りのないタイトルで配信を行うことになった。最近は毎日か二日に一回ぐらいの頻度で配信があったが、今回はコラボが大変だったから間が空いたのだろう。俺は純粋に森野の配信は見たかったし、森野があのコラボをどう思っているのかにも興味があったので楽しみだった。
「そう言えば有明さんとも連絡とってなかったな」
別に毎日連絡し合うような仲でもなかったが、森野の配信頻度が高かったために何やかんや二日に一回以上は連絡をし合っていた。ツイッターを見ると彼女もいつも通りのつぶやきをしているが、前回配信を見ていたときに感じた微妙な感覚の違いが決定的になることを恐れ、俺はこれ以上踏み込むことが出来なかった。
俺もツイッターにはいつも通りⅤライバーの感想などを呟いてはいたが、たまたまなのか有明さんも同じ気持ちなのか、リプライをしてくることはなかった。
ちなみに前回の森野の配信について、俺は有名な森野リスナーのツイッターアカウントをあさって感想を調べた。当然『良かった』『これからもどんどんコラボして欲しい』というコメントは多かったが、いつもは長文で感想を書いているようなアカウントが『良かった』しか書いてないと俺と同じように何か思うところがあるのではないか、と邪推して自分を慰めていた。本当にそうなのかは分かる訳がないが。
そんな訳で今回の森野の放送を開くのは少し怖かった。前回はコラボなのでいつもと雰囲気が違ったが今回は元に戻っているのではないかと言う期待と、森野はどこか俺たちの手の届かないところにいつもなら少し早めに待機所に向かうのだが、今日は何となくそれが怖くて、俺はネットの海をうろうろしていた。
俺が時々巡回しているⅤライバー関連のまとめサイトを見ていると、ふと他サイトの新着記事まとめで『三十になってもフリーターだけど俺の人生どこが敗着だったのか考えてくれ』というタイトルが目に入った。正直見ても嫌な気持ちになることは分かっていたが、気が付くと、俺はそのタイトルをクリックしていた。
まとめサイトはその記事をクリックしてから実際に記事を閲覧するまでに他のサイトを二、三回経由しないといけない。面倒だな、と思ったところで引き返しておけば良かったのだが気が付くと俺はその記事に飛んでいた。
『1.名無しさん@無職
一体どこが敗着だったんや……幼いころは必死で勉強して名前は出さないけど有名国立大学入ってそこそこの企業に就職したのに』
『2. 名無しさん@無職
>1 何で辞めたんだ?』
『5.名無しさん@無職
>2 上司がクソだったから。細かく指示してくれる癖にすぐ「自分で考えろ」て言う。自分で考えると「勝手なことするな」て言われる』
『7.名無しさん@無職
>5 それはお前が無能だったからだろ』
『8.名無しさん@無職
>5 上司ってそんなもんやろ』
『10.名無しさん@無職
>8 本当それだったわ……。次の職場もそんなに変わらなかった』
『11.名無しさん@無職
>10 次の職場には行けたけどやめたのか』
『13.名無しさん@無職
>11 上司はクソだし、サービス残業しないといけないみたいな空気あるし』
『15.名無しさん@無職
>13 どこも同じ。俺も家のローン返すために心を無にして働いてる』
『16.名無しさん@無職
>15 ローンってことは家族がいる感じ?』
『20.名無しさん@無職
>16 うん。そうでもないと働くなんて無理だろ』
『21.名無しさん@無職
>20 ちな童貞それが敗因か……』
『25.名無しさん@無職
>21 マジレスするとよっぽど仕事が好きとか合ってるとか除けば、金稼ぐ目的みたいなものがないとやってられんだろ』
『27.名無しさん@無職
>25 まじか……。俺の人生無だわ。じゃあもうどこが敗着とかじゃないじゃん。正直コスパ悪いと思ってたから金かかる趣味なんてないわ』
俺はそれ以上耐えられなくなってブラウザバックした。こいつは俺の未来、いや、ちゃんと就職して一度は転職にも成功している以上俺よりいくらかましかもしれない。
俺の数少ない楽しみは配信を見てたまにアニメを見たりラノベを読んだりする程度である。それがコスパのいい暮らしだと思っていた。当然恋人など出来たことがないし、欲しいとも思わない。
働こうというモチベーションは『周りの同回生がみんな就活してるから』『日本では新卒で就職しないといけないから』という漠然とした、そして自分とは関係のないものしかない。
俺は思考を打ち切って森野の配信の待機所に向かった。とりあえず配信を聞いていればその間だけでも現実を忘れることは出来る。どうするかは落ち着いてからまた考えよう。
放送少し前に待機画面に向かうと、俺はふと異変に気付いた。チャンネル登録者数が数千単位で増えているのだ。確かに永原は十万単位の登録者を持っているし、先日のコラボアーカイブもすでに八万ほど再生されている。それは永原の他のコラボ配信と比べても遜色ない数字であった。
その大部分は森野のリスナーではないことを考えると、そのうちの何%かが新たに森野のチャンネルを登録すれば数千になる。しかもまだ待機画面とはいえ、生放送の視聴者数がいつもの倍ぐらいいる。待機所には『コラボから』『初見です』などのコメントも散見された。
「みんなおはよう~。ちょっと前回のコラボから日が空いてごめんね。単にコミュ障だから一時間とはいえ初コラボで精神的に疲れたっていうのもあって少しさぼっちゃった。あ、別にエリカさんだから疲れたとかじゃなくて、私は久しくコメント以外と会話してないから人と会話するだけでMPガリガリ削れるんだよね」
すぐに『分かる』『まじか』という二つのコメントが入り乱れる。以前なら大体『分かる』と『草』で埋まってたような気がするが、どうも新規リスナーが多いせいで雰囲気が変わってきているらしい。
森野も数字とコメントの雰囲気に気づいたらしく、コメントをチラ見して(視線の動きで分かる)言う。
「あ、新規の皆さんもいらっしゃい。多分この前のコラボから来てくれたんだよね、ありがとう。今なら初見の方多いからコメントしても浮かないよ~」
森野の言葉に『初見です』などの他愛もないあいさつで一時的にコメント欄の流れが加速する。
「まずはこの前のコラボの感想だけど、引きこもりとか言ってたけどあれは嘘だね。あれは引きこもりの話術じゃない、あのトーク力はすごい。基本私はコミュ障だから人と話すとうまく話せないし、コラボの時も結構しゃべりすぎちゃうところとかあったんだけど、エリカさんがうまく合わせてくれたおかげでそんなに不自然にならずに済んだのかなって。私のリスナーは陽キャを逆恨みしてる人が多いけど、本当の陽キャは陰キャをも包み込んでくれるんだなって」
社交辞令ではなく、この前の配信を聞いている限り本当にそんな感じだった。
『そうか、俺が今まで出会ってきた陽キャはファッション陽キャだったんだな』
『え、エリカさんって陽キャだったの?』
『今の名言じゃね? 本当の陽キャは陰キャを包み込むって』
『陰陽師じゃん』
不覚にもそのコメントを見て笑ってしまった。確かに陰と陽を司っているからな。ちなみに永原が陽キャとみなされていることに驚いているのは向こうのリスナーだろう。
『初見です。森野さんは何で「陰キャの姫」を名乗ってるんですか?』
『ごめん、それ私が名乗ってるんじゃないんだけど。人も増えたしもう一回この話しておく? 元々私はこういう感じじゃなくて普通にゲームとか歌とか雑談とかで女子高生Ⅴライバーやっていくつもりだったんだよ』
森野の既存リスナーはおそらく八割以上が知っている話だろうが、改めて語られると感慨深い。
「ある時、『最近の若者は哲学とか知らないからな』ていうクソコメントを拾っちゃって、私は高校生の頃早弁して昼休みはずっと図書室にこもって『存在と時間』を読んでたが? てマウントを取り返したところ、コメントが『陰キャじゃん』『高校生の頃……あっ』で埋まったっていう事件があって。試合に勝って勝負に負けた感じだよね。そのおかげで今があるって思ったら勝負に勝ってるとも言えるけど。もはや懐かしいよね、一年近く経ってるんじゃないかな? その頃からのリスナーさんは古参名乗っていいよ」
『よっしゃ』
『ワイは高校のころフロイト読んでたぞ(隙自語)』
『そのクソコメント打ったの俺やぞ』
『お前かよ。でも全ての始まりだったから許す』
森野の言葉にテンションが上がった古参の方々でコメント欄が埋まる。




