自分から沈むのが本当の闇
翌日。今日は普通にシフトが入っていたため、俺はいつものように“クレッシェント”でレジを打ちに励んでいた。
こんなことを言ったら桧山さんには注意されるかもしれないが、やはりレジは心を空っぽにしながら出来るのがいい。おそらく俺みたいなやつがいるから「レジ対応がマニュアルっぽい」とかいうクレームを入れてくる人がいるんだろうが、こっちも最低時給ぎりぎりで働いているのだから許して欲しい。
昨日は森野の初コラボということで浮かれていたが、それはあくまで森野の前進であって、別に俺の状況が改善したという訳ではなかった。
「何かあった? 今日は元気ないけど」
浮かない気持ちが顔に出てたのだろう、俺が他のパートさんとレジを代わると桧山さんが心配そうな顔で声をかけてくれる。
「はい、この前筆記試験通った企業あったじゃないですか」
桧山さんは俺の就活事情を気にかけてよく話しかけてくれるので俺もよく話している。それに、週五シフトの桧山さんは俺が出勤するとほぼ毎回いると言っても過言ではない。
「もしかして……」
桧山さんの表情が曇る。
「今朝不採用通知が来ました」
「ああ……どんまい」
桧山さんは言葉を探すようにしてその言葉を言う。
何がまずかったかと言われれば正直心当たりはいくつもある。やはりあまりに上っ面だけでしゃべったのがいけなかったような気がする。それとも面接中にいらいらしていたのが顔に出てしまっていたのだろうか。もしくは、面接が終わってぐったりしているのを見られて、面接で緊張して精神をやられたメンタル弱者と思われたのかもしれない。
「やっぱり俺みたいなやつ、どこの企業にも必要ないんですかね……」
全然そんな同情を引くようなことを言うつもりはなかったが、俺はついそんな言葉をもらしてしまう。すぐに桧山さんの表情に影が差し、俺は後悔する。
「そうだ、この前ご飯奢るって言ってたのもまだだし、今日シフト終わったらご飯行こうよ。これでも私、内定三つもとってたから就活には詳しいし、色々アドバイスも出来ると思う」
しばらくかける言葉を探していた桧山さんだったが、すぐに声を明るくしてアドバイスをくれる。ただ、桧山さんならもっとたくさん内定もらっていてもいいのにとは思った。
「でも俺今日ラストまでですけど」
例によって俺のシフトは二十一時までである。閉店後の作業なども入れるとここを出るのは半近くになるだろう。だから俺はどちらかというと遠慮のつもりで言った。
「いいよいいよ、私近くで買い物してるし」
ここは駅ビルなので近くには色んな店がある。それでもおそらく俺への配慮でそう言ってくれているのだろうが。
「それに月岡君、企業がどうして落としているのかは知らないけど、私は月岡君にこのお店にいて欲しい。正直、就職なんてしないでずっとこのままいて欲しいって思うこともあるよ」
そう言って桧山さんは冗談っぽく笑う。俺は相当シフト交代に応じてきたし、仕事もさぼっていないという点ではまじめにやっている。心は空っぽにしているけどな。ただ、世の中では俺みたいな奴よりも要領のいいやつが求められているのだろうが。
「じゃ、また後でね。お疲れ様~」
そう言えば桧山さんはもう退勤の時間だった。
「お疲れ様です」
そして桧山さんはいったんお店を離れた。こうして俺は仕事に戻った。
「ふう、やっと終わった」
その後、一人番になると俺は急激に緊張してきた。シフト交代のお礼とか就活のアドバイスとか色々理由はあるものの、女性と二人でご飯という事実は変わらない。家族を除けばそんな機会、小学生のあの時以来なかったんじゃないか?
そんな風に緊張していたせいか、いつもは間違えない売上報告の計算を二回も間違え、店の電気を一か所消し忘れ掛けるなどやたらもたもたしたが、どうにか半ごろには退勤することが出来た。
仕事が終わると俺は急いで帰り支度をし、店を出る。専門店街は二十一時で閉まるが、レストラン街だけは日付が変わるまで営業しているので、俺はスタッフ用の通路からレストラン街へ向かう。
「お疲れ~」
そこにはいつもと違って私服姿の桧山さんが待っていて不覚にもどきりとしてしまう。“クレッシェント”では上の服装が白い襟付きのシャツとエプロンと決まっており、当然いつも会う桧山さんはその恰好をしている。
しかし今日は夏らしい半袖のトップスとひざ下のロングスカートに薄いカーデガンを羽織っているという私服姿で、不覚にもどきどきした。
「お、お疲れ様です」
「じゃあ行こうか。何か食べたい物ある?」
「うーん……」
「もう、考えてなかったの?」
桧山さんがいたずらっぽく笑う。食べにいくことは分かっていた以上仕事中に考えておけば良かった。
「じゃあトンカツで」
俺はちょっとだけ高級なトンカツ屋を指さす。ちなみにレストラン街にある店はどこもちょっとだけ高級で、俺が格別高いところを選んだ訳ではない。
「さすが大学生。食べ盛りだね」
確かに遅番でお腹が空いていたせいで無意識にがっつり系のところを選んだところはあるかもしれない。
俺たちが店に入るとすでに夕飯のピークは終わっており、店内はがらがらだった。お腹が空いていた俺は大盛の定食を頼み、桧山さんはレディース定食というのを頼んでいた。肉は少ない代わりにサラダがちょっと凝っていてデザートもついている。
「じゃあ早速だけど、月岡君が今就活で一番悩んでることって何?」
テーブル越しに向かい合った桧山さんがじっとこちらを見つめてくる。一番悩んでいることか。改めて聞かれると難しいな。しかし面接で受け答え出来ないのも、やる気が出ないのも、元を辿れば一つの問題に行きつく。
「自分でも何をやっていきたいのか分からないところですかね」
もっと言えば今の自分が無であることなのだが、その辺まで話を広げると就活の話というか人生の話になってしまう。
「そっか。月並みな質問だけど、今このバイトをしていて似たような仕事をしたいっていう気持ちはないの?」
「うーん、別に嫌という訳ではないですけど……。それにマネージャーのあの姿を見ているとどうも」
俺の言葉に桧山さんは苦笑する。
「まあそれはあるよね……私もこの仕事好きだけど社員はちょっと」
噂によると桧山さんは社員にならないか打診を受けたが断っているという。
ちなみに、俺よりも桧山さんの方が頻繁にシフト交代などを行っていたり、タイムカードを押さずに残業(これを俺はサイレント残業と呼んでいる)していたりすることを俺は知っている。パートでさえこれなのだから、そういうのを見るとやはり嫌だなという気持ちは強かった。
「でも色々説明会とか行ってるでしょ? 何かぴんと来るものとかない?」
「確かに行ってますが、結局どこも同じような営業とか事務とかの仕事ですからね」
「そっか」
桧山さんはそう言って一瞬顔を伏せる。
この時の桧山さんの表情はもしかしたら俺の就職についてのアンテナが曇っていることへの悲しみを表現していたのかもしれない。
「何か好きなこととかないの? 趣味とか」
「それもあんまりですね」
俺が勝手にオタクコンプレックスと名付けている心境がある。
陽キャになじめない陰キャの中ではオタクが多数派になる。基本的にアニメ・ゲーム・ラノベあたりのオタクであることが多い。いわゆる二次元というやつだ。おそらく、俺も広い意味ではその中に含まれるのだろう。
しかし俺のように陰キャでも何となく浅く広く色んな作品に手をつけてきた人物はオタクの輪の中にも入れない。彼らは好きな作品なり嫁キャラなりに対しての思いを熱く語っているが、俺にはそこまでの情熱もなかった。
そのせいで中学高校の時もオタクの輪の中にすら入ることが出来ず、必然的に交友関係は安定しなかった。ただでさえコミュニケーション力が低いのに共通の話題が少ないと、学校で会っても話すことがあまりない。
そしてこの問題は大学に入ると、そもそもあまり会わなくなることで『改善』した。『改善』した結果、ただでさえ薄い関係がさらに薄くなり、現在ほぼ消滅している。
俺が沈黙していると料理が運ばれてくる。俺は仕切り直しとばかりにトンカツに箸をつける。ちょっと高い店というだけあって、衣はサクサクでおいしかった。桧山さんも何事かを考えながら定食に箸をつけていたが、やがて考えがまとまったのか、口を開く。
「なら今度知り合いの会社をいくつか紹介しようか? 直接仕事を見学したり、話を聞いたりしたらまた印象が変わるかもしれないし」
桧山さんの申し出は本来内定がない学生にとっては願ってもないものだろう。桧山さんが俺(の仕事ぶり)に好意を持ってくれているのは間違いないだろうから、桧山さんの口添えがあれば知り合いの方も好意的なところから採用を考えてくれるかもしれない。
最悪合わない業種だとしても、話を聞くことが出来たり、仕事を見学させてもらえたり出来れば、今後の就職活動のヒントにもなるだろう。
いずれにせよ、藁にもすがらないといけないような今の状況で断るという選択肢はないような魅力的な提案と言える。
「いえ、それはいいです」
それでも俺は反射的に断ってしまっていた。その時の俺の心境を説明するのは難しい。
一応表だって理由を挙げるなら、わざわざ紹介してもらって、俺がその仕事を気に入らなかったら悪いという遠慮がある。また、こんな俺が桧山さんの知り合いに「採用しがいのある若者」として仕事を紹介されることに対する居心地の悪さもある。
とはいえきちんと掘り下げて考えると、変な話、上っ面の面接をしている企業に対してはお互い上っ面の付き合いが出来るという暗い安心感のようなものがあるのかもしれない。そういう俺の本気ではないところを企業の面接官も見抜いているのではないか。
そして結局俺の気持ちの底を見ていくと、どうせ俺は何にも本気で取り組むことが出来ないという諦めがあるのではないか。そして俺はそれを本気で変えるつもりもない。もっとも、何事にも本気になれないという心境をどのように変えればいいのかもよく分からないが。
そしてそのことに気づいた俺は激しい自己嫌悪に襲われた。本当の絶望というのは状況が悪くなることよりも、状況をどうにかしようという気持ちが消えるときに訪れるのではないか。そしてそのタイミングは現状に気づきつつある今ではないか。
「そっか」
そんな俺の心境を見抜いたのか、桧山さんは悲し気にそう言った。これ以上何か言ってもどうにもならないという悲しみかもしれない。
俺はお釈迦様から垂らされた蜘蛛の糸が目の前で消えたような気がした。
ここまで親身になってくれたのにどうにもならないクズで申し訳ない。俺は心からそう思った。
「でももし気が変わったらいつでも教えてね。そう言えば……」
この話は終わり、とばかりに桧山さんは話題を変える。それから俺たちは仕事の愚痴など他愛もない雑談をして別れた。そして俺は自分の食事代は自分で出す気でいたが、俺がトイレに行っている間にお勘定は済まされていた。鮮やか過ぎる手際であった。そして俺がどれだけ払うと言っても聞いてくれなかったことも付け加えておく。
「それはそれとして、さっきの話、もし気が変わったらいつでも教えてね」
別れ際、桧山さんはもう一度だけそう言った。
「はい、でももうしばらく自分で頑張ってみます」
俺はそんなとってつけたような台詞を言って、手を振って別れた。桧山さんの姿が見えなくなると俺は激しい自己嫌悪に襲われた。




