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陰キャの王  作者: 今川幸乃
光
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3/18

バイト先の先輩 桧山さん


ブーッ、ブーッ、ブーッ……


 俺が配信に集中していると、突然スマホが振動した。この連続の振動はメールやラインではなく電話である。


「くそが」

 俺は舌打ちした。俺に電話をかけてくるような仲のいい友達はいない。きっとこれはろくでもない用件だろう。


 よっぽど無視してやろうかと思ったが、すでに配信への集中は途切れてしまっていた。このまま電話を無視して見続けてもどうせ気になって楽しめないだろう、と思った俺はこの上なく不自然な気持ちでスマホをとる。


『桧山真昼』


 ディスプレイに表示された名前を見て俺はやはり嫌な気持ちになる。

 桧山さんは俺のバイト先の雑貨屋『クレッシェント』のバイトリーダー的な立ち位置の人物だ。三十ぐらいの女性でおそらくフリーターである。的な、というのは桧山さんがシフトに入っている時間が多いため、また持ち前のコミュニケーション能力から何となく人間関係の中心になっているためで正式に『チーフ』の役職になっている訳ではないからである。

 でも、実質チーフみたいな仕事をしているのにチーフの役職が与えられないのはチーフ手当がケチられているだけではないかとも思う。


 そんな桧山さんだが、当然俺たちはプライベートで電話しあうほど仲がいい訳ではない。大体今日は桧山さんのシフトの日だった気がする。つまりかかってくる用件でありえるのは、シフトの相談だろう。しかもラインではなく電話ということはおそらく急ぎ。これで八割方用件は絞られた。嫌な意味で。

 俺は覚悟を決めて電話をとる。


「はい、月岡です」

『桧山です。休み中なのにごめん、今ちょっといいかな?』

 桧山さんは心底申し訳なさそうにいう。この電話をかけた際の最初の気遣いからも彼女の律儀な性格がうかがえる。


「大丈夫ですよ」

『実は今日の遅番の秋山君から急に体調崩したって連絡があって、もし月岡君の今日の予定が大丈夫なら出てもらえないかなって』


 またか。俺は秋山という名前を聞いて嫌な気持ちになった。最近は入った大学生だが、やたらシフト交代を頼んでくるし、ドタキャンも二回目である。もちろん本当に病気なら仕方がないのだが、そう思える人と思えない人がいる。


 基本的に遅番の人は午後九時まで残る必要があるため、大学生がなることが多い。俺も大学生だからあまり大きなことは言えないが、大学生は人によってはしょっちゅうドタキャンすることがある。特にリア充は。


「大丈夫です、たまたま今日は暇だったんで」

『本当に? もしだめなら私が夜まで残るけど』


 そう、別に断っても誰にも責められない俺が二つ返事で了解したのは、俺が断ると恐らく桧山さんが最後まで残ることになるからだ。確か午前から出勤している桧山さんにそれを強いるのは心苦しい。もちろん、俺以外の誰かが出てくれる可能性もゼロではないが。


「いいですよ、ちょうど最近金欠だったんでむしろありがたいです」

 本心を言えば今日は家でだらだらする気分だったので全然ありがたくはない。おそらく、これで明日の試験勉強と企業探しは今日しなくなるだろう。だが、それを桧山さんに言うのも筋違いだし、それで最後まで残られても嫌なのでそんなことはおくびにも出さない。

 それに、一周回って試験勉強と企業探しをしなくてすむ大義名分を手に入れたという気持ちもないではなかった。


『いつもごめんね、埋め合わせに今度何か奢るから』

「やめてください、桧山さんに奢ってもらう筋合いはないですって」


 そう、そもそも桧山さんはただのバイトである。マネージャーに奢ってもらうのは百歩譲って分からなくはないが、桧山さんに奢ってもらう筋合いはない。


『でもいつもいつも悪いし』

 俺は試験前日だろうと就活があろうと関係なくバイトに出ることが多いため、誰かの都合が悪くなったときのシフト交代の常連のようになっていた。まるで代打の切り札である。


「桧山さんが気にすることじゃないです。それで何時からですか?」

『十五時でもいける? 無理なら私時間伸びるけど』

「大丈夫ですよ」

『本当ありがとう。絶対今度何か奢るから』


 そう言って電話は切れた。俺ははあっとため息をついて今の時刻を確認する。十三時半か、微妙だ。三十分ぐらいあれば到着するから一時間弱の何とも言えない時間が空くことになる。


「まあ、動画見ながらご飯食べるか」

 幸いまだまだ森野未影の生放送は続くようだった。俺はイヤホンを外して生放送の音を垂れ流しつつ、冷凍していた米を電子レンジに入れるのだった。



 その後、ちょうど十四時過ぎに森野の生放送が終わったので俺は歩いて家を出た。

 駅まで少し歩いて電車に一回乗り、着いた先の駅ビルに俺が働いている雑貨屋「クレッシェント」がある。駅ビルにあるせいか、時間帯によってはまあまあの量のお客さんがくる。忙しいが、単にバイトが集まりにくいのか、人件費を絞っているからなのかは俺には分からない。



「お疲れ様です」

 店内に入ると品出しをしている桧山さんを見かけたので俺は挨拶をする。俺の姿を見た桧山さんは申し訳なさそうな表情になる。


「お疲れ様。わざわざ来てもらって本当にありがとう」

「本当に別にいいですって」


 そう言って俺は制服のエプロンを身に着けてシフトに入る。この時間にはもう一人、レジに入っていた川原さんという年配の主婦の方がいる。

 川原さんは良くも悪くも普通のおばちゃんという感じの人で、実は店で一番パート暦が長い。仕事は一通り出来るものの、隙あらば雑談を仕掛けてくる困った人でもある。


「お疲れ様です」

「あら、結局月岡君が来ることになったの! 最近そんなことばっかりねえ。全く、秋山君は本当にだらしないんだから」

 秋山君は茶髪で見るからに遊んでいそうな大学生で、川原さんは最初から彼に対する評価が低かった。


「じゃあ私、休憩もらうね」

「どうぞ」


 俺がシフトに入るのと入れ替わりに川原さんが休憩に入り、その間俺と桧山さんの二人番になる。桧山さんは真面目なので黙々と品出しを行い、俺は心を無にしてレジを打っていた。リーチは天才を凡夫に変えるというが、レジも同じだと思う。時々混んだ時だけ桧山さんに来てもらった。そして十六時に川原さんが休憩から戻って来て、桧山さんは代わりに退勤する。


「お疲れ様。ご飯のこと、気が向いたら考えといてね」

「いや、本当にいいんで。お疲れ様です」


 桧山さんが帰ると、たまたまではあるがお客さんの流れが落ち着いた。レジを代わってもらった俺は品出しに向かおうとするが、待ってましたとばかりに川原さんが話しかけてくる。

 ちなみに桧山さんはあまり長々と私語をしているとやんわりと釘を刺してくるので、川原さんは二人きりになったときだけ鬼のようにしゃべりかけてくる。これは俺以外の人にもそうらしい。


「そう言えば秋山君の前にいた坂下さんも一か月でやめちゃったわよねえ。近ごろの大学生の子ってそんな子ばかりなのかしら。ちょっとは月岡君を見習って欲しいわあ」


 いや、俺も近ごろの大学生なんだが。しかしあまりに大学生活が充実していなさすぎてシフト交代ばかりしていたらバイト先ではしっかりしていると思われたというのは皮肉な話である。


 ちなみに秋山君だけでなく坂下さんも陽キャリア充オーラがしたので俺はあまり好きではなかった。まあ、数度顔を合わせただけでやめてしまったが。


 陰キャはそもそもこういうバイトには来ないが、来るときは接客に苦戦するとしても、まあまあまじめに働く、というのが俺の印象である。

 何にせよ、ちょうど仕事のやる気もなかったこともあって俺は適当に話を合わせる。


「確かに、あいつら小遣い稼ぎぐらいの軽い気持ちで入って来ますからね。そういうのやめて欲しいですよ、全く」

 俺も何となくシフトを毎回変わっているだけで意識が高い訳ではないが、他人の悪口を言うのは楽しい。


「そうそう。あとマネージャーもしっかりして欲しいわねえ。いつも本部の会議とか研修だとかでろくにお店に来ないんだから。新人教育もほとんど私たちに任せっきりだし」

 私たちにというよりは桧山さんに任せっきりなんだけどな。

ちなみにマネージャーもたまに店に来るといつも疲れ切った顔をしているので、おそらく忙しいのは本当だと思われる。


「いやあ、マネージャーというよりは本部が悪いですよ、だって……」

「そうよねえ!」

 俺が続きを言う前に川原さんが食い気味で言葉を被せてくる。俺にもしゃべらせてくれ。どんだけうっぷんが溜まってるんだ。


「最近いつも仕事が増えてる気がするわ。私の時給なんて最低時給が上がった時にしか上がらないのに。全く、どんなに仕事が増えても給料増えないんじゃやってられないわ」


 ちなみに川原さんは少なくとも俺が勤務を始めた三年前からずっと「やってられないわ」と言っているが、やめる気配はない。おそらく、勤め始めたときからずっと言っているのではないか。


「ちょっと、しゃべってないでレジして欲しいんだけど!」

 しゃべっていると急に気の強そうなおばちゃんがレジから怒鳴ってくる。川原さん、レジの方を見ずに雑談に花を咲かせてたのか……


「ごめんね、今行くから」

 川原さんはそう言って悪びれもせずにレジに走っていくのだった。ちなみに今の「ごめんね」は俺ではなくお客さんに向けられたものである。敬語使えよ。


 その後十八時から俺が休憩に入り、戻って来てすぐに十九時になって川原さんが帰っていく。すると残った二時間は完全に俺の一人番になってしまう。とはいえ、この時間からはお客さんも減り、二十時台になるとかなりまばらになる。


 秋山君はこの時間にバックルームでさぼっている(防犯カメラでレジにお客さんが来たときだけ応対する)のではないかという疑惑がかかっていたが、俺は律儀に品出しと翌日の準備をしていた。真面目というよりは単に要領が悪いだけである。前に一度だけさぼってスマホゲームをしていたら熱中しすぎてレジに来たお客さんに気づかなくて怒られ、あわや大クレームになるところだった。


 一人で閑散とした店内にモップ掛けし、レジのお金を数えて釣銭を作り、売上の帳簿をまとめて電気を消して帰る。数えきれないぐらいやってきた作業だけあって上の空でも滞りなく進んでいく。桧山さんや川原さんがいたときは気が紛れたが、一人になるとふと疑問に思う。


「俺は一体将来どうなるんだろうな」

 一度何となく応募したこの仕事を続けているが、別に仕事がすごく好きかと言われればそうでもない。前にマネージャーに会った時は「就活失敗したらうちに来ればいいよ」と言われたが、その時のマネージャーの目の下にどす黒い隈が出来ていたので俺は言葉を濁した。


「そう言えば桧山さんは一度どこかに就職してたって言ってたな。今度聞いてみるか」

 俺が何かしたという訳ではないが、秋山君の体たらくを見ていると、こんな俺でも仕事が出来る方ではないかという気がしてきて、少しだけ前向きな気持ちにはなった。桧山さんや川原さんも俺を認めてくれてはいるしな。


 そして俺は電気を消し終えて暗くなった店を出るのだった。何となくツイッターを見ていると、明日は十二時から森野が配信するということが分かった。試験はあるけど明日こそはちゃんと最初から聞きたいな、と思った。

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