誘拐された記憶
ラビーの放ったコルク銃の弾が棚に並んだ的の人形の一つに命中したとき、事も無げにラビーは言った。
「昔、涼平君を誘拐したやつ、死んだよ」
ちょうど二十年前、つまり五歳だった頃に僕は誘拐されたことがある。裏野ドリームランドに遊びに来たとき、僕は家族とはぐれて迷子になった。そのときに世話をしてくれたドリームランドのスタッフに拐われたのだ。彼が本当にドリームランドの関係者だったのかはわからない。園内のどこか、明かりの乏しい静かな部屋に連れて行かれ、閉じ込められた。泣いても叫んでも誰も助けに来てはくれなかった。そのときのじめっとした嫌な空気の感触は今も忘れられないでいるし、以来、暗く閉ざされた空間が恐ろしくて、夜眠るときも電気を明々と点けている。
今度は的に当たらなくて、ラビーが舌打ちをした。コルクの弾を込めながら、ラビーが言った。
「君を殺し損ねたのがよっぽど悔しかったのかね」
あまりにショックな出来事だったからなのか、僕には誘拐されたときの記憶がほとんど残っていない。両親に叱られ、泣かれ、そして抱きしめられたことはよく覚えているが、どうやって助け出されたのかは、まったく覚えていなかった。そのことをラビーに言うと「俺が助けてやったんだよ」と得意げに胸を張る。
後日、犯人は逮捕されたのだろう。事件からしばらくして、母親に「もう大丈夫だから」と言われた。そのときは何のことだかわからなかったが、後から考えてみれば、そういうことだったのだろうと思った。
「二十年越しのリベンジってやつかね。あいつ、女児を連れてドリームランドにやってきたよ」
「その子は?」
心配して僕が訊くと、ラビーは首を横に振った。
世の中、悲しいことばかりだ。娘を失った両親のことを思うと胸が張り裂けそうになる。
的を射つ気分ではなくなって、射的コーナーから離れると、ラビーはその後に着いてきた。
「今のドリームランドはあんなだからね。都合が良かったんだろう」
ドリームランドは十三年前に閉鎖した。元々経営状態が芳しくなかったようだが、相次いだジェットコースターの事故がとどめを刺したらしい。閉園時間間際、日の落ちた中で起きた最後の事故は、不謹慎な週刊誌によって「銀河鉄道の夜」と書き立てられた。空に向かって飛び出した凄惨な脱線事故は、九名の死者を出した。事故のイメージが強すぎたのか、閉鎖後もドリームランドに新たな買い手は付かなかった。赤字経営の会社にドリームランドを解体する資金力はなく、結局、昔の姿のまま、今も残っている。
「それで、犯人はなんで死んだの?」
僕はアクアツアーの船に乗り込みながら訊いた。
ラビーも続けて船に乗ってきた。
「眠っている間にポックリとね」
そう言って、ラビーは指を鳴らそうとしたが、毛に覆われた着ぐるみの指では、まったく音が出なかった。
「世の中、不公平だね。女の子は怖い思い、痛い思いをして死んだんだろうに、犯人はさほど苦しまずに楽に死んじゃうなんて」
「楽に逝かせたりはしないさ。散々いたぶってやったよ」
ラビー曰く、今のドリームランドはヤバいところなのだそうだ。元来、遊園地というのは、夢の詰まった、一種のパワースポットのようなところらしい。入場者が多ければ、その力は均等に分散されて、さほど影響はないそうだが、たとえば雨の日など入場者が少ないときに心の醜い人間が足を踏み入れると、必ず悪夢にうなされるという。人が訪れることがないため、閉鎖した遊園地は特に危険で、足を踏み入れた者に溜めに溜めたパワーが一気に降り注ぐらしい。今回の犯人のように死に至るほどの悪夢を見ることは珍しくはないのだとか。
アクアツアーの池の主である巨大な出目金が目玉と背びれを顕にしたので、僕は船のデッキから出目金の背中に飛び移った。そのまま出目金の背中を渡って、陸地降り立った。ラビーも慌てて、出目金の背に飛び乗った。
荒唐無稽な、ラビーのこの話を僕は信じた。そもそもこのラビーとの会話そのものが僕の夢なのだ。誘拐されて以来、不思議なことに僕は毎晩ドリームランドの夢を見ていた。それがどれだけ異常なことなのかは理解している。心療内科医は、誘拐のトラウマが関係しれいるのではないかと言った。でもトラウマが二十年もの間、毎晩欠かさず同じ場所が舞台の夢を見せたりするだろうか。それより遊園地にはある種のパワーが宿っているのだと言われたほうが、僕としてはしっくりくる。
ラビーと一緒に観覧車に乗り込んだ。
「僕を救ったときのように、女の子を助けてやることはできなかったの?」
「他に誰もいなかったからね。君のときのようにうまくはいかないよ。あのとき君にしてあげたことなんて、実はたかが知れてるんだ。閉じ込められてた部屋のドアを開けてあげただけ」
でもそのおかげで、僕は部屋から脱出することができ、別のスタッフに保護されたらしい。
「でも気をつけたほうがいい。たったそれだけのことだけど、あのとき涼平君はドリームランドの力をもろに浴びているから。毎晩こうしてドリームランドの夢を見るのもそのせいさ。だからね、心は清く保ったほうがいい。まぁ、君は大丈夫だろうけど」
気づけば、空にピピピピという電子音がこだましている。
「じゃあ、また夜に」
僕はそう言って、目を開けた。
テレビをつけると、誘拐事件のニュースをやっていた。ニュースは、容疑者が自宅で死亡していたこと、その自宅から女児の刺殺体が見つかったこと、また殺害現場は別の場所だと考えられることを伝えていた。画面に映し出された容疑者の顔写真が、記憶の奥底にある、二十年前に僕を攫った男の顔に重なった。




