STAGE12.確信犯
最近、アンの仕事の……特にモデルの仕事の休みが多いみたいだ。
理由を聞いてもはぐらかされる。
踏み込まれたくない部分は誰にだってあるだろうから、おれは話してくれるのを待つことにする。
もう、アンが『アンゼルム』だということも知らなかったころではない。
一番知りたいことは教えてもらった。
おれはあいつの秘密を知っているんだ。
うんとあいつに近い場所にいる。十分だ。
休みが多いことで会う機会が増えたかといえば、さほどでもない。
おれの仕事と学校が忙しいからだ。
仕事の合間を縫ってきちんと学校に行かなければ、卒業に必要な単位が取れない。
忙しい毎日の中で時折アンが相変わらず甘い菓子を持ってやってきて、週に一度ほどおれはアンゼルムの部屋を訪れた。
天使のようなアンの訪問はやはり甘いひと時で、アンゼルムはおれがどんな遅い時間に訪ねても嫌な顔一つ見せず部屋へ入れてくれて穏やかな時間を過ごした。
おれはアンゼルムの部屋でいつも手土産に持っていった菓子を食べながら本当に他愛もない話をするだけで、一時間弱くらいで帰った。
でもなんでもない話をするのは、してみたら本当に大きなことだった。
アンゼルムの父親はモデルで、小さいころに亡くなったこと。それから母親とアメリカと日本を行き来したこと。父親にあこがれてモデルになろうとしたが背が足りなくて女性モデルになったこと。フラッシュを浴びるのとシャッター音がなぜか好きなこと。ディルクと仲が悪かったこと。女性ものの香水はどうしても気に入らなくてユニセックスを使っていること。眼が少し悪くて学校では眼鏡をかけていること。アンの時はコンタクトを使っていること。猫舌なこと。苦いものが苦手なこと。本が好きなこと。ドイツ語はペラペラだが字はあまり読めないこと。暑いのが苦手なこと。
話してるうちにおれはそんなたくさんのアンゼルムを知ることができた。
そして同性の友達という間柄は、肩や頭に気軽に触れることを許された。
ごくほんの時々、あいつに触れ、つかず離れずの距離を保つ。
狙っていたとおりだ。
友人としてなら、ずっと長く一緒にいられる。
アンゼルムの存在を感じることができる毎日。
こんな関係でもいい。このままでいい。友達だってきっと捨てたものじゃない。
この想いがどんどん深まっていってるとしても、あいつがおれに微笑みを向けていてくれる限り、おれはきっと耐えられる。
アンゼルムはおれと恋人になることを望んでないんだ、同意もないのに恋人同士になるというわけにもいかない。
自分に言い聞かせ続ける。
友達だから今毎日を幸せに送っていられるのだと。
恋愛関係と違ってゆったりとした平和な友人関係は壊れてなくすことはないのだと。
まだ深い想いを寄せていることを悟られなければ、逢瀬は続く。
昇華できない苦しい押し殺した恋心はすべて音楽にぶつけた。
表現できる場所があるというのはある意味幸せだ。
12月に入って街はキラキラとはしゃぎ始めた。
かなり忙しい時期だがおれは上旬に半日休みをもぎ取った。
アンゼルムに少し気が早いクリスマスだけど何か甘いものでも食べに行かないかと誘った。
何かに想いを馳せるような顔であいつは、それはいいな、と頷いた。
行く先はあまり知られていないが芸能人がよく行く名店と評判のところを選んだ。
アンゼルムは学校帰りに制服で、おれは仕事帰りに私服で入った。
「雰囲気のいい店だな」
「ディルクに調べてもらった」
「フルーツタワーパフェとダージリンティにしよう」
「おれはベイクドチーズケーキとカフェオレにしようかな」
「何を笑っている? ナオ」
「『アンゼルム』でもやっぱり外で甘いもの食べるんだな、と思って」
「格好に関係ないだろう、食べるものは」
アンゼルムを、アンが本当は男だと知ったあの時以来、二人で外へ出かけるのは初めてだ。
もちろん、『アンゼルム』と二人で出かけるのも初めてだ。
街はイルミネーションで輝いてムードたっぷりだ。
デートみたいで浮かれそうになる。
「この店は美味しいって評判みたい。席の配置に気を利かせてくれるから芸能人がよく来るって」
「なるほど、確かに美味しいな」
アンゼルムはニコッと笑った。
また、他愛もない話を始めた。
ヴォルフラムはパフェをすっかり食べて、ストロベリータルトを頼んだ。
機嫌がよくニコニコしてるのが可愛い。
こっちまで顔がほころんでくるじゃないか。
こんなひと時をいつまでも壊したくないなあ。
「ナオはやっぱり進学はしないのか」
「そりゃもちろん。アンゼルムは進学するのか」
「ああ。入れる大学に行くさ。これでも学内で成績はいい方なんだ」
「へえ、受験、大変じゃないか。仕事もあるのに」
「大丈夫だ」
「だから最近仕事が減ったのか?」
「まあ、いろんな事情があってな」
「大学生のアンゼルムか……」
「なんだ?」
「大学入っちゃったら環境も変わるから仲がいい友達とかきっとできるんだろうな」
「さあ、どうだろうな」
なんだか大学生のアンゼルムを想像すると、おれを置き去りにしてこいつがどこかへ行ってしまうような気がした。
へらへらと笑って冗談めかしておれは言った。
「おれのこと、忘れちゃったりしないでよ」
「ぼくが大学に入ったらナオはうちに訪ねてこなくなるのか?」
「そんなことはないけど」
アンゼルムは明るい顔で返した。
「じゃあ、今まで通りさ」
おれは少し目を伏せた。
胸が甘くどこか痛く疼いたんだ。
今まで通り。
いや、大丈夫だ、おれはまだずっとこのままでやっていける。
優しく穏やかなひと時の数々を手放したくない。
おれのポケットで携帯電話がバイブした。
慌てて取り出すと田村からのメールで、今回作った曲の一部に歌いにくいキィがあるとの文句のメールだった。
明日また会ったら考える、と適当に返信して携帯をポケットにしまう。
しまおうとして、そのポケットに入っていたものをぽろっとテーブルの上に落としてしまった。
それを見てアンゼルムがエメラルドの瞳をさらに大きく見開いた。
「……その時計」
「あ、ああ」
慌てておれは落とした青い腕時計をポケットにしまった。
「おれ、時計持ってないから、他に」
アンに以前誕生日プレゼントして、実は男だと告白したときにおれの家に置き去りにされていた鮮やかな青のベルトの腕時計だ。
「いつも携帯で時間見てるじゃないか」
「ああ……うん」
こんなものをいつも肌身離さず持ち歩いていたって知れるのはやっぱりまずいよな。
「あの時、慌てていたから忘れて帰った」
「忘れていったのか。わざとおいて行ったのかと思ったよ」
「どうしてわざと?」
「……特別想いを込めたプレゼントだったからかな」
時計をしまったポケットを服の上から優しく撫でた。
アンゼルムがぽつりと言った。
「それを今も持ち歩いているんだな」
はっとしておれは慌てて謝った。
「……ごめん」
「やっぱり友達になんてなれないじゃないか……」
アンゼルムが不満そうな声を出した。
何とか宥めなきゃ。
「おれ、お前の部屋で二人きりでいても何もしてないだろ? 友達としてやっていけるよ、大丈夫だ」
「お前がぼくなんかに気を取られて女性に目を向けないかもしれないことが問題なんだ。女性と結ばれなくちゃ、平凡な幸せはない」
胸を張って、毅然とした態度でアンゼルムはもっともらしいことを言う。
でもおれはこいつのこの話にはずっと引っかかってた。
「おれずっと思ってたけど」
「なんだ」
「アンゼルム、おれのこと中心に考えてくれるんだよな。おれのため、っていつも」
アンゼルムはいつもおれのことばかり気にしてる。
自分がどうしたいかじゃなくて、おれのためになるにはどうするべきかって考えてる。
だからこいつはおれのことを好きなのに、男同士はおれのためにならないっておれを拒んでるんだ。
でもそれっておかしいよ。
「それがなんだ」
「でもおれのためって……おれの幸せが何かっていうことを決めるのはお前じゃなくておれなんだからな」
アンゼルムは目を見開いておれを見た。
「ナオ」
「世間一般に言われる平凡な幸福なんておれは欲しくない」
「一時の気の迷いだろう?」
「おれは昔っからこういうはねっ返りだったよ」
説得するような口調でアンゼルムは返す。
「……平凡と言ってもみんなが幸せだと感じるからこそ広まっているスタイルなんだ」
「おれの幸せはおれ自身にしか感じられないものだ。他からマニュアルを持ってきて型にはめこもうとしないでくれ」
「じゃあ、ナオは何が幸せなんだ」
「きまってるだろ、お前だよ、アンゼルム。お前に傍にいてほしい」
「男同士だ!」
非難するようなアンゼルムの声に、でもおれは穏やかに返事をした。
「知ってるよ。でも、お前が男のおれのこと今も好きなことも知ってる」
「……」
「……ごめん」
「ナオ?」
「ごめん、ごめんごめんごめん、ごめん! なんか口が滑った!」
「ナオ」
「おれ何も言わなかったことにして! ごめん! ……なんでもいい、会いたい。友達でいいんだ。変なこと言ってごめん。本当にごめん」
「しかし……」
おれは確信犯だ。
アンゼルムはおれのことを今も好きだ。
だから会いたいとせがめば会ってくれると半分以上予測して言っている部分があった。
「今まで通りに会って欲しいんだ」
「……」
「アンゼルム、頼むよ……」
「もし……」
「なに」
アンゼルムは一口紅茶を飲んでカップを置き、うつむいた。
「もし、もう会わないと言ったら……?」
自分の頭からスウッと血の気が引いたのがわかった。
アンゼルムは本気では言っていない。表情でわかる。
でもぞっとする。
「信じない……!」
アンゼルムが顔を上げておれを見た。
青い顔をしているのを見られてしまっただろうか。
もう会わないなんてことになったら自分が一体何をするか自信がない。
一体おれはどうなってしまうだろうか。
「ナオ?」
「信じない。もう会わないなんて嘘だ。会ってくれるだろ、アンゼルム」
「友人として?」
「もう会えるのならなんだっていい。お前の望むとおりに」
「……さっきナオは、今まで通りに、と言ったな。変わらず会おう。ただナオ、忙しいのなら無理はするな」
おれはやっと心の底からの笑顔をアンゼルムに向けることができた。
「お前と話してる時は憩いの時間なんだ。無理も何もないよ」
「……ああ」
アンゼルムはほっとしたような落ち着いた顔を見せた。
まだ会える。
終わらない。
できるところまでなんとしても続けてやる。
たとえ未来が開けなくても、ただひたすら穏やかなだけだったとしても、何十年も会うだけだったとしても止めない。
ずっと友達のような関係だとしても一生傍を離れたくない。
……欲しくて身が引き裂けそうになっても。
華やぐ街のなか、肩を並べて歩いてアンゼルムの部屋まで帰り、クリスマスツリーを飾った。
それだけのなにげないことが楽しくて、でもイルミネーションが目に沁みて、なぜかこみ上げそうになった涙をひそかに堪えていた。




