第10話 談話室
「こっちに来なさい」
叔父の敏明が沙紀の腕を軽く引き、母親に目配せをした。親族たちがざわめく廊下から少し離れた、自動販売機の置かれた談話スペースへ連れて行く。
母親の久美子は沙紀を促し、小さなテーブルに向かい合わせに座った。白い照明が、二人の顔を照らしている。少し離れて、敏明が腰を下ろした。
「何があったの?」
母親の声は低く、落ち着いていた。
「拓也が麗奈を連れて帰宅したわ」
「それで?」
「わたしと離婚するって」
「そう。あなたはどうしたの?」
「私は拓也に話そうとしたけど……できなくて」
「何を話そうとしたの?」
沙紀は一瞬、唇を噛んだ。
「赤ちゃんができたこと」
「話せたの?」
沙紀は首を振った。
母親はわずかに目を細め、ため息をついた。
「残念だったわね」
「わたし、拓也を取り返すわ」
「やめておきなさい」
母親の声は冷ややかだった。
「なぜ?」
「あなたは、拓也のことがそれほど好きではないでしょ?」
「え!」
沙紀の目が大きく開いた。
「あなたはあんな軽薄で子供みたいに感情的な男とは、うまくいかないわ」
「そんな、でも子供ができたのよ!」
沙紀の声が少し高くなった。
母親は、淡々と続けた。
「それがどうしたの? 慰謝料を養育費に上乗せしてもらいなさい。子供は家で育てなさい。それで十分よ」
「でも、私は麗奈を許せない」
「拓也を取ったのはあなたよ」
「お母さんまでそんなことを言うの!」
沙紀の声に、非難が混じった。しかし久美子は、静かに肩をすくめた。
「好きでもない男と結婚するから。自業自得よ」
「お母さんだって、結婚に賛成してたじゃない!」
「あなたが喜んでたから、水を差すわけにいかないでしょ」
沙紀は言葉に詰まった。
「麗奈を拓也に会わせないために、海外に出した話は本当なの?」
「ええ、あなたの『おじい様』がしたことよ。あなたのためを思ってね」
久美子は淡々と告げた。
「何で今さら、麗奈が戻ってくるのよ!」
「おじい様の具合が悪くなったからに決まってるでしょ」
「ひどいわ……」
久美子はあきれた顔をした。
「お子様すぎるのよ、あなたは」
「お母さんまで……。わたし、別れないわ」
「なぜ?」
「麗奈に拓也を渡したくない」
母親は静かに沙紀を見つめ、ため息を一つ漏らした。
「麗奈が許せないからと言って、壊れた結婚を続けるつもり?」
「いやなの」
沙紀の目から、涙があふれた。
母親は冷めた視線を娘に向けたまま、はっきりと言った。
「麗奈に復讐したいなら、別の方法を考えなさい。おじいさんが死んだら、麗奈が戻ってくるのは分かっていたわ。離婚は受け入れなさい」
母は、薄く微笑んだ。
その笑みは、同情ではなかった。先がある、とだけ言っているように見えた。沙紀は背筋に、冷たいものを感じた。




