第38話 森を知る者
葵が家を出てから、しばらく。
グレンは一人、家の中に残っていた。
「……」
静かだった。
聞こえるのは、遠くから聞こえる鳥の鳴き声と、風で木々が揺れる音。
グレンはクッションに座ったまま、改めて周囲を見回す。
「……本当に、ここで暮らしているのか」
昨日も見た。
それでも、落ち着いて眺めてみると妙な家だった。
最低限の家具。
食料を入れている籠。
薬草。
木製の食器。
鍋やフライパン。
そして、様々な素材。
どれも森の中で手に入れたものなのだろう。
「……一人で、ここまで」
グレンは小さく呟いた。
自分も魔の森を知っている。
だからこそ分かる。
この場所で生活基盤を作ることが、どれだけ難しいか。
「普通の人間なら……とっくに死んでいる」
だが、葵は生きている。
それどころか――。
生活を楽しんでいるようにすら見える。
⸻
しばらくして。
「ただいまー!」
外から葵の声が聞こえた。
グレンが顔を上げる。
葵が両手いっぱいに素材を抱えて戻ってきた。
「おかえり」
「あ、起きてました?」
「ああ」
「よかった」
葵は素材を床に置く。
「今日は結構見つけましたよ!」
「……何を探している?」
「食べ物とか、使えそうな素材とかです」
葵は一つずつ並べていく。
「これは食べられる木の実で、こっちは薬草。あと、この葉っぱは乾燥させると香りが良くて――」
グレンは黙って聞いていた。
そして、一つの植物を見た瞬間。
「待て」
「え?」
グレンがその植物を指差す。
「それは食べるな」
葵の手が止まる。
「えっ?」
「毒草だ」
「……!」
葵は慌てて植物を離す。
「〖検索〗!」
――【ナイトリーフ】
――毒性:弱
――少量であれば【毒耐性Ⅰ】により摂取可能。
「……毒草ですね」
「分かったのか?」
「はい。〖検索〗で」
グレンは少し驚いた顔をした。
「……なるほど」
「でも、毒草だって分かってれば使い道はあります」
「使うのか?」
「薬になるものもありますから」
「……」
グレンは少し考える。
「確かに、ナイトリーフは処理の仕方によっては薬になる」
「そうなんですか?」
「知っているのかと思った」
「〖検索〗で調べただけなので……」
葵は苦笑する。
「自分の知識っていうより、教えてもらってる感じなんですよね」
「それでも便利な能力だ」
⸻
葵は集めてきた植物を整理し始める。
するとグレンが言った。
「この辺りの植物なら、俺も多少は分かる」
「本当ですか?」
「ああ」
葵の目が輝く。
「じゃあ、いろいろ教えてください!」
「……分かった」
グレンは一つの赤い実を手に取る。
「これは食べられる」
「ダスクベリーです」
「知っているのか」
「はい」
「なら、これは?」
次の植物。
「……ブルーハーブ」
「正解だ」
さらに別の植物。
「これは?」
「……」
葵は〖検索〗を使おうとする。
「〖検索〗――」
「待て」
「はい?」
「まず自分で考えてみろ」
「え?」
グレンは少し笑った。
「全部その能力に頼るのではなく、自分の目で覚えた方がいい」
「……確かに」
葵は植物をじっと見る。
葉の形。
匂い。
茎。
「……分かりません」
「……」
「〖検索〗使っていいですか?」
「……好きにしろ」
「やった」
グレンは呆れたように息を吐いた。
だが、その表情はどこか柔らかかった。
⸻
昼を過ぎる頃には、葵が集めた植物の多くについて、グレンが簡単な知識を教えてくれた。
食べられるもの。
毒のあるもの。
薬になるもの。
魔物が好むもの。
逆に、魔物が嫌うもの。
「へぇ……」
葵は感心しながら聞いている。
「やっぱり、森を知ってる人がいると全然違いますね」
「そうか?」
「はい!」
葵は嬉しそうに笑う。
「今まで〖検索〗だけで調べてたので、実際に知ってる人から聞くと分かりやすいです」
「……そうか」
グレンは少し視線を逸らした。
誰かに頼られる。
そんな感覚は、久しぶりだった。
⸻
夕方になり、葵は夕食の準備を始めた。
「今日は教えてもらった薬草も少し使ってみようかな」
「傷に使うものを料理に?」
「これは食用ですよ」
「そうか」
葵は鍋を火にかける。
グレンはその様子を眺めていた。
「……」
ふと、気づく。
昨日までなら、この場所からすぐに離れようとしていただろう。
人間は信用できない。
そう思っていた。
だが今は――。
「……」
不思議だった。
この家にいることに、あまり抵抗を感じなくなっている。
そんな自分に、グレン自身が少し驚いていた。
⸻
二人で食事をしていると。
「……ん?」
葵の手が止まった。
「どうした?」
葵は顔を上げる。
「……今、何か聞こえませんでした?」
グレンも耳を澄ます。
「……」
森の奥。
風の音。
木々の揺れる音。
そして――。
「……何かいるな」
グレンが低い声で言った。
葵も【気配察知】を使う。
「……います」
「どの方向だ?」
葵が森の奥を見る。
「……あっち」
グレンも同じ方向を見る。
だが。
「……妙だ」
「何がですか?」
「気配が近いのに、音がしない」
葵はじっと森を見る。
【気配察知】には確かに何かが引っかかっている。
けれど――。
〖検索〗を使おうとしても、まだ対象を正確に捉えられない。
「……なんだろう」
グレンは立ち上がろうとする。
「俺が見てくる」
「駄目です!」
葵が即座に止めた。
「まだ傷が治ってないんですから!」
「……」
グレンは仕方なく座り直した。
そして二人は、森の奥を見つめる。
しばらくして。
――ガサッ。
茂みが揺れた。
だが、何も出てこない。
「……」
「……」
二人とも黙っている。
やがて気配は、ゆっくりと遠ざかっていった。
「……行った?」
葵が呟く。
「そのようだな」
グレンは森の奥を見つめる。
「だが、気をつけろ」
「はい」
「この森には、俺も知らないものがいる」
その言葉に、葵は少しだけ緊張した。
これまで何度も感じてきた、あの謎の気配。
もしかすると――。
今日のものも、同じなのかもしれない。
葵は森の奥を見つめた。
「……もっと、森のことを知らないと」
グレンはその言葉を聞いて、静かに頷いた。
「なら、俺が教えてやる」
「……!」
葵は嬉しそうに笑った。
「お願いします!」
こうして。
葵とグレンの共同生活は、少しずつ始まっていった。




