第36話 初めての食事
森の中を歩く二人。
葵が先を歩き、その少し後ろをグレンがついてくる。
グレンは周囲を警戒しながら歩いていた。
魔の森。
それも、かなり奥。
普通なら人間の少女が一人で歩けるような場所ではない。
それなのに――
「……」
前を歩く少女は、まるで慣れた道を歩くように進んでいく。
時折立ち止まっては周囲を確認し、何かを採取している。
グレンはそんな葵を黙って観察していた。
やがて。
「……着きました!」
葵が足を止める。
グレンも前を見る。
そこにあったのは――
森の中に建てられた、小さな家だった。
「…………」
グレンは思わず足を止めた。
「……これは」
木材や植物の蔓などを利用して作られた家。
決して大きくはない。
だが、雨風を防ぐだけの粗末な小屋というわけでもない。
壁はしっかりと組まれ、隙間も少ない。
入り口には簡素な扉。
屋根もしっかりと作られている。
そして中を覗くと――
「…………」
ベッド。
収納。
調理スペース。
採取した素材を整理するための籠。
グレンは目を見開いた。
「……これは、お前が作ったのか?」
「家……とは言えないかもしれませんが」
葵は少し恥ずかしそうに答える。
「雨風はしのげます」
「…………」
グレンは再び家を見て、導かれるままに中へ入る。
魔物が跋扈する危険な場所で、ここまで生活環境を整えている事に驚く。
「……この森で、ここまでのものを作れるのか」
思わず呟く。
グレンは戦士として、この森の危険性を知っている。
こんな場所で家を建てるだけでも容易ではない。
ましてや。
「……家具まで」
収納棚。
籠。
調理道具。
寝床。
そして、見たこともないような素材で作られた道具。
一体どれほどの時間をかけたのか。
「……」
グレンは改めて葵を見る。
小柄な少女。
どう見ても、この森で一人で生きていけるような身体には見えない。
「そもそも――」
グレンが口を開く。
「人間のお前が、なぜこんな場所にいる?」
葵は少し考えた。
「えっと……」
葵は今までのことを話した。
ヴァルディア王国。
突然の召喚。
クラスメイトたちと一緒に召喚されたこと。
その中で自分だけが危険な能力だと思われたこと。
そして――
魔の森へ送られたこと。
「……それで、ここで暮らしてます」
グレンは黙って聞いていた。
「異世界……?」
初めて聞く言葉。
にわかには信じがたい。
だが。
目の前の少女が嘘をついているようにも見えない。
「…………」
グレンは少し考える。
そして。
「ヴァルディア王国か」
「はい」
「……魔国とは、現在和睦協定を結んでいるはずだ」
「え?」
「少なくとも、魔国が人間にとって直接の脅威となっている状況ではない」
「……そうなんだ」
葵は首を傾げる。
「じゃあ……なんで召喚されたんだろう?」
考えてみても分からない。
でも。
「まあ……今考えても仕方ないか」
葵は深く考えるのをやめた。
グレンはそんな葵を見つめる。
やはり、不思議な少女だ。
「とりあえず今日は、ここで休んでください」
葵がそう言って、ベッドの近くに置いてあったものを持ってくる。
「これ」
グレンが見る。
「……なんだ?」
「クッションです」
葵が差し出した。
グレンは受け取る。
無言。
葵が少し不安そうに見る。
「どうですか?」
グレンはクッションを押しながら答えた。
「俺はこれまで、こんなに柔らかいものを見たことがない」
グレンはクッションをじっと見る。
「貴族の屋敷にある物でも、ここまで身体を預けられるものはそうそうないだろう」
「そ、そんなに?」
葵は少し嬉しくなった。
⸻
「そうだ」
葵が立ち上がる。
「お腹空いてませんか?」
グレンは少し考える。
そう言われれば。
空腹だった。
だが、口には出さない。
葵は返事を待たずに調理を始めた。
〖保存〗からフロストラビットの肉を取り出す。
それからキノコ。
木の実。
薬草。
「えっと……」
葵はグレンの状態を〖検索〗する。
――傷:複数。
――体力低下。
――栄養不足。
――消化器官への負担に注意。
「やっぱり普通の料理より、柔らかいもののほうがいいよね」
肉を細かく刻む。
できるだけ細かく。
鍋に水を入れ、肉を煮込む。
キノコを加える。
木の実も少し。
そして――
傷の回復を助ける薬草を入れる。
「よし」
ぐつぐつと煮込む。
やがて。
優しい香りが家の中に広がった。
グレンの耳が僅かに動く。
「できました」
器に盛る。
「少しでも食べた方が、傷の回復が良くなりますから……」
葵はグレンへ差し出した。
「どうぞ」
グレンは器を見る。
そして。
葵を見る。
「…………」
毒は入っていないか。
罠ではないか。
当然、警戒する。
しかし。
香りが食欲を刺激する。
そして何より――
「…………」
自分の身体が、食べることを求めている。
グレンはゆっくりと器を受け取った。
スプーンを手に取る。
一口。
「…………」
柔らかい。
肉が細かく煮込まれているため、ほとんど噛む必要がない。
スープも温かい。
胃に負担がかからない。
そして――
「……」
身体の奥から、じわりと力が戻ってくるような感覚。
傷の痛みも。
ほんの少しだけ和らいでいる。
グレンは無言のまま、もう一口。
そしてまた一口。
「……お口にあいますか?」
葵が恐る恐る尋ねる。
グレンはしばらく黙っていた。
やがて。
「……悪くない」
「!」
葵の顔がぱっと明るくなる。
「よかった!」
グレンはそんな葵を見ていた。
まだ信用していない。
自分をここへ連れてきた目的も分からない。
この少女が何者なのかも分からない。
それでも――
少なくとも今は。
「……」
温かい食事と。
柔らかなクッション。
そして。
自分を助けてくれた少女。
グレンにとって、それは久しく得られなかったものだった。
「……」
グレンは静かにスープを飲み続けた。




