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第35話 傷だらけの来訪者

朝、葵はいつも通り家を出た。


【気配察知】を意識しながら、森の中を歩く。


「……あっちに何かいる」


小さな気配、恐らく小動物だ。


気配のする方に進んでいくと、木々の隙間少し先の地面に何かが倒れているのを見つけた。


動かない。


恐る恐る近付くと大きな魔物の様なそれは、一人の青年だった。


灰色の髪。


頭の上には、ツンと尖った獣の耳。


そして、腰のあたりから伸びる尻尾。


「……犬?狼?」


葵は首を傾げる。


魔物とは違う、人間に近い姿。


「……獣人?」


その身体は傷だらけだった。


服はボロボロ。


身体中に切り傷や打撲の跡がある。


そして――


「……腕が……」


左腕が、肘から先まで失われている。


「…………」


葵は息を呑んだ。


あまりにも酷い。


「もしかして……昨日のあの気配って、この獣人のものだったのかな?」


昨日【気配察知】で感じた、感じたことのない気配。


あれほど濃かった気配の正体が、目の前の獣人なのだろうか。


「……すごいケガしてる……」


慎重に近づく。


「大丈夫、ですか?」


返事はない。


目も閉じたまま。


「……治療しないと」


葵はしゃがみ込む。


その瞬間、獣人の目が開き鋭い琥珀色の瞳が葵を睨みつける。


その目には、明確な警戒と敵意があった。


「……!」


次の瞬間。


最後の力を振り絞るように、獣人が葵へ襲いかかる。


「危なっ!」


咄嗟に身体を横へ逸らすと、獣人の爪が空を切り、葵の目の前を通過する。


あと少し避けるのが遅ければ、顔を切られていた。


獣人は、そのまま力を失い、ぐったりと地面へ倒れる。


呼吸は荒く、苦しそうに胸が上下している。


顔は苦痛に歪んでいた。


「た、大変!!」


葵は慌てて駆け寄った。


さっきの攻撃なんて気にしている場合じゃない。


「えっと……どうすれば……!」


葵はすぐに〖検索〗を使う。


――《対象:狼獣人》


――状態:重傷


――出血多量。


――複数の裂傷。


――打撲。


――栄養不足。


――極度の疲労。


――左腕欠損。


「……こんなに……」


葵は息を呑む。


「治療方法を〖検索〗!」


――《裂傷》


出血を止め、傷口を洗浄。


薬草による止血・抗炎症処置が有効。


――《深い裂傷》


傷口を清潔にし、適切に固定。


感染症に注意。


――《重度の疲労・栄養不足》


水分・栄養補給が必要。


「分かった……!」


葵は保存していた薬草を次々と取り出す。


まず傷口を洗う。


出血の激しい場所を確認。


止血。


薬草を使って処置。


必要な場所を魔糸で固定する。


「〖魔糸創生〗」


指先から魔糸が伸びる。


それを使って傷口を固定する。


さらに水を取り出し、少しずつ飲ませる。


「ゆっくり……」


反応はない。


それでも葵は治療を続けた。


一つ。


また一つ。


〖検索〗で状態を確認しながら、必要な処置を繰り返す。


やがて――


荒かった呼吸が、少しずつ穏やかになっていく。


「……よかった」


葵は何度も〖検索〗を使って状態を確認する。


「……命に関わる状態からは、抜けた……かな」


まだ安心はできないが、さっきよりはずっと良い。


狼獣人は、損傷と疲労のせいか眠ったようだった。


葵はその場に座り込んだ。


「……家に運べたらいいんだけど」


葵よりも一回りも2回りも大きい狼獣人の身体を見る。


「……重そう」


試しに肩を持ち上げようとするも、びくともしない。


「無理……」


今の葵では運べない。


それに、ここから家まで結構な距離がある。


「どうしよう……」


置いていくわけにもいかない。


この森には魔物がいる。


傷ついた状態では、襲われたらひとたまりもない。


「……ここで見てるしかないか」


葵は狼獣人の隣に座った。


「起きるまで、ここにいよう」


焚き火もない。


ただ、静かな森の中。


葵は狼獣人の様子を確認しながら待ち続ける。


けれど――


「……眠い……」


連日の探索による疲労と、緊迫した状況での慣れない治療のせいか、少しずつ瞼が重くなってきた。


「ちょっとだけ……」


治療により回復したおかげか、少しだけ暖かさを取り戻した狼獣人の隣で葵は眠りに落ちた。


⸻


どれくらい時間が経っただろう。


「…………」


グレンは目を覚ました。


「……っ」


身体を動かすと、傷が痛む。


だが。


あれほど全身を蝕んでいた激痛が、明らかに和らいでいた。


「…………」


そして、隣を見るとそこには、一人の少女が眠っていた。


「……!」


人間!


なぜ、人間がここにいる?


反射的に身体を起こす。


殺す。


そう思い右手に力を込め、少女の首へ手を伸ばそうとしたところで、動きを止める。


少女に伸ばした手には、薬草のようなものが巻かれており、自身の身体を見ると、傷が処置されている。


「…………」


どういうことだ。


グレンは少女を見る。


武器も持たず、無防備に眠っている少女。


自分を助けた?


人間が?


「…………」


グレンは混乱した。


そのとき。


「ん……」


少女が身じろぎする。


「……あれ?」


葵が目を覚ます。


目の前にグレンが座っていることに気づく。


「えっ!?」


葵は飛び起きた。


「ご、ごめんなさい!」


グレンが睨む。


「私も寝ちゃってました!」


葵は慌てて頭を下げる。


グレンはしばらく葵を見つめる。


そして、低い声で尋ねた。


「……何者だ?」


「えっと……」


葵は少し考える。


「葵です」


「…………」


「一ノ瀬葵」


グレンの表情が僅かに変わる。


まるで――


そういうことを聞いているんじゃない


と言いたげな顔。


「……あ」


葵も気づいた。


「そういう意味じゃないですよね……」


葵は、気まずさから目線をそらすと、まだ完全には治っていないグレンの傷が目に入る。


「あの…もし、行くところが無いなら……」


葵は少し迷ってから言った。


「家、来ますか?」


「…………」


グレンは訝しむように目を細める。


「なんのために?」


「まだ、傷……治りきってないから」


葵はグレンを見る。


「良ければ……切り傷くらいなら治せるので」


グレンは黙った。


目の前の少女。


この魔の森に、たった一人でいる。


どう考えても普通ではない。


警戒するべきだ。


信用などできない。


だが。


自分の傷は、確かにこの少女が治療した。


そして今。


自分には行く場所がない。


この状態では、森の魔物を狩ることも難しい。


食料を確保することすらできない。


このままなら――


飢えて死ぬか。


魔物に襲われて死ぬ。


それだけだ。


それに、目の前の少女一人くらいなら。


「…………」


殺そうと思えば、殺せる。


そう判断したグレンは、しばらく黙ったあと


「……わかった」


短く答えた。


「!」


葵の顔が明るくなる。


「じゃあ、行きましょう!」


葵は立ち上がり、先導するように森の中を歩き始める。


少し遅れてグレンも立ち上がった。


まだ完全には治っていない身体。


警戒心を解くつもりもない。


ただ。


今は、この少女についていく。


葵の少し後ろを。


狼獣人の男――グレンが歩いていった。

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