64、動き出す歯車
王都のヴェルナレット伯爵邸――
「明日、登城せよとの書面が届いた」
「え?」
「……おそらく、褒章の話だろう」
今日の昼頃、自身宛てに届いた書面を、当主ジルベール・ド・ヴェルナレットは得意げにテーブルの上へ置いた。妻のカトリーヌと娘のリゼリアが、弾かれたようにそれを覗き込む。
「私たちも同伴を求められていますわ」
「え……お母様、どうしましょう。相応しいドレスなんて、すぐには用意できませんわ!」
二人の歓喜と困惑の混ざった眼差しが、ジルベールに向けられる。
「……あなた、どうしてもっと早く教えてくださらなかったの?」
「仕方ないだろう。気づいたのがつい先ほどなのだから」
執事から受け取ったものの、そのまま放置していたのだ。夕食を終えた後、執事にせっつかれ封を切ったところ、登城を求める勅命書であったというわけだ。
「……もう、本当にあなたときたら……」
「お母様……」
「急いで明日のドレスを選びましょう。少しでも見栄えを良くしなくては」
「ええ……!」
二人が慌ただしく部屋を出ていく。その背中を、ジルベールは呆れたように見送った。
(褒章か……)
どのような形になるのだろうか。
名誉ある称号を与えられるのもいいが、どうせなら形に残るモノ――金貨や宝石がいい。
ジルベールはテーブルの上の勅命書を手に取り、執務机へと移動する。
机の隅には、領地のコルヴァンから届いた報告書が無造作に積まれている。いちいち目を通すのも億劫で、いつもなら内容も確認せず暖炉の火へ投じている。重要な物だけは、執事が判断して口頭で報告してくる。それらは灰になることなく、ただ積み上げられていく。
(……結界石に亀裂、か)
一か月ほど前に領地から届いた報告も、ジルベールは無視した。
領地で問題が起きたと国へ報告すれば、自分が王都に居座る正当性が揺らぐ。あんな荒れ果てた田舎に戻る気など毛頭なかった。きらびやかな王都こそが、自分に相応しい場所なのだ。
領地で起きたことは、領地にいる者が片付ければいい。
当主となってから十年、ずっとそうしてきた。
領地のための予算を要求されることもあったが、それはあの親子に与えている金を削ればいいと返してやった。
(そもそも、私の名前を書くだけだというのに……)
ミレーニアの生活費のみならず、母親の薬代まで出してやっている。払いすぎているくらいだ。加えて私生児として認知までしている。
(……認知などしたくなかったのだが、な)
コルヴァンから「万が一、抜き打ちの監査が入った際に、屋敷にいる娘の素性を怪しまれるリスクがある」と指摘され、仕方なくだ。
(……まあ、それもすべて明日の褒章で報われるというものだ)
一部で「家令のコルヴァンこそが有能だ」という不愉快な噂が流れているのは知っている。当主である自分ではなく、家臣が評価されるのは腹立たしいが、それすら自分の実績となっている。
――苦なく利を得る
コルヴァンが領地に縛り付けられている限り、自分の地位は安泰だ。堅実な手腕を持つ家令が、忠実な臣下として仕える「賢明な主君」。そう評価されるのだ。
それに――
(……あれも、役に立っている)
己の欲望をぶつけた女。
愛情などあるはずもない。領地でならそこそこの顔ではあったが、王都になど置きようもない女。
コルヴァンに言われるまで、あの女の存在など忘れ去っていた。
まさか子を産んでいるなどと知る由もなかった。
だが……あの女がいるから、この華々しい生活が送れている。
(好都合なことに……死にそうで死なない……)
病に侵されたあの女が生きている限り、ミレーニアもコルヴァン一家も、自分の支配から逃れることはできない。
(ミレーニアがクレヴォワール侯爵子息の婚約者に据えられたのは計算外だったがな……)
そのせいで面倒な書類仕事がこちらに回ってくるようになった。
婚約を打診された時点で、そうなることは分かっていたから断ろうとも思ったのだが、相手は侯爵家。提示された支度金もかなりの額だった。何より、二年の期限付きという「契約」であるのがいい。
二年後、用済みになった娘が戻れば、また領地に放り込んでサインをさせればいいだけのこと。一時的に大金を得るための手段だと思えば、安いものだった。
(……さて、明日はいくら貰えるのか……)
金はあればあるほどいい。金こそが人生を豊かにするのだ。
ジルベールは、醜く口角を吊り上げた。
自分の人生は、想像以上に完璧な軌道に乗っている――彼はそう信じて疑わなかった。
――すでにその歯車が、音を立てて狂い始めているとも知らずに。




