60、家令の心
結界が修復されてから、数時間後――
美麗な青年がコルヴァンの執務室を訪れ、一通の封書を差し出してきた。
「クレヴォワール侯爵当主代理に、この手紙を渡して欲しい」
すっかり忘れていたが、お嬢さまはクレヴォワール侯爵子息と婚約をしていた。
そして、領地の危機に『銀の騎士』として現れたのは、その婚約者――
ルシアン・ド・クレヴォワール。
そして彼の従者が、国に百人もいないと言われる魔術師のジュール様。
そのお力で結界を修復してくださった。
「……この手紙を?」
渡された手紙は随分と薄い。
「ジュールがしたのは一時的な修復のみだ。結界石の損傷ということであれば、新たな結界石に取り換えるか、結界石自体の修復をする必要がある。どちらかと言えば、結界石を取り換える方が現実的だと思う」
「当主さまは……」
「分かっている。だから姉上を頼る」
ルシアン様の姉上は、クレヴォワール侯爵家当主代理。
セラフィーヌ・ド・クレヴォワール。
「それは……」
「躊躇している時間はない。これ以上の犠牲を払う意味が分からない」
彼が正論を言っていることは分かる。
コルヴァンだって当主がどうなろうとかまわない。
ただ、お嬢さまは違う。
お嬢さまは私生児とはいえ、正式に当主の娘として認知されている。
あの男が罪に問われれば、それはお嬢さまにも及ぶ可能性があった。
それだけは、したくない。
あの男の子供として生まれたというだけで、自由を奪われ続け、それでも懸命に生きているお嬢さまをそんな目に合わせたくない。
だから、結界のことだってここまで放置してしまったのだ。
お嬢さまが罪に問われず、なんとか逃れる方法が思い浮かばぬまま。
「コルヴァン殿」
ルシアン様が一歩、こちらに近づいてきた。
「……いい加減、この歪みから解放されるべきだ」
その眼は強く、美しく。
そして、どこにも淀みがない。
彼のようにまっすぐでありたかった。
(……わたしがこの歪みを生んだ)
あの親子を守るためとはいえ、自分が当主に進言したのだ。
娘として認知させ、代わりに仕事をさせるように、と。
せめて、どこかで歪みを正せば良かったのだ。
でも、できなかった。
少し手を伸ばせば、どこかに届いたかもしれない。
けれど、コルヴァンにはそれができなかった。
失うことを恐れ、失敗を恐れ。
歪んでいようとも、今を守ることで精一杯だった。
「あとはこちらに任せてほしい」
頭を下げられ、目頭が熱くなる。
この方は、コルヴァンが伸ばすことができなかった手を、無理やり掴んで、届かせようとしている。
あとは、こちらからも手を伸ばすだけ。
もうそれだけなのだ。
「分かりました。すぐに届けさせます」
コルヴァンは大きく頷いた。
(やっと……終わる)
息子の恋人だったアナスイをあの男に奪われてから、ずっと続いてきた悪夢が。
今、ようやく終わろうとしている。
ロランに言えば夜だろうが、嵐だろうが走るだろう。
あれは馬を飛ばすのが得意だ。
それに……
アナスイの、その娘の為に出来ることがあるのだ。
それこそがロランにとって救いにもなるだろう。




