59話、カモミールとラベンダー
(……速い!速すぎる!!)
ルシアン様が走らせる馬の速度が速すぎる。
ふふって楽しく笑えたのは途中まで、段々と馬の速度が上がっていった。
風がビュンビュンと勢いよく吹き抜けていく。
(……こ、この速度で走れちゃうんだ)
騎士さまなんだなぁって実感する。
(ううう……そんなことより……)
近い。
ルシアン様に横抱きにされて馬に乗っているわけで。
密着する体から漂う汗の香り。
正直こちらの心臓はバクバク言っている。
恥ずかしくて、ルシアン様の顔なんて見れるわけもないし、とにかく視線を流れゆく景色へと向けた。
「あ!」
つい、声をあげてしまった。
すぐにルシアン様が馬を止めた。
少し急だったせいか、馬は嘶き態勢が前へと沈み込む。
ミレーニアの体も大きく前へと傾いたが、ルシアン様が腕でがっちりと守ってくれた。
(……う……さらに恥ずかしいことに)
触れている場所だけではなくて、触れていないはずの場所まで熱い。
逃れたくて暴れたくなるが、馬の上ではそうもいかない。
「どうした?」
少しだけ緩んだ腕の力に、ルシアン様から距離をとる。
といってもほんのわずかだけど。
「あの……家が見えまして」
「家?」
「私の、家」
ルシアン様の首が傾く。
どうしてかなぁ?と思ってハッと気づく。
「あ、あの私……私生児だから、その伯爵邸には……」
住めなかった。と返すより前に。
「どこ?」
「え?」
「君の家」
「……あ、えっと」
指先を後ろに向ける。
ルシアン様が馬の向きを変えた。
「行こうか」
「え?」
ゆっくりと馬が歩いていく。
「あ、あの私ひとりで」
「君の家が見たいんだけど……迷惑か?」
ドクンと心臓が嫌な音を立てる。
さっきまでの熱さが消えて、急激に冷たくなっていく。
(そ……そんなの)
迷惑に決まってるじゃない!!
喉の奥で言葉が詰まる。
(普通の小さな家なの!!見る価値なんてない)
王都のルシアン様の侯爵邸とは比べ物にならない。
だってミレーニアの家は……平民の家なのだから。
「無理です」
「……どうしても?」
「なぜ……見る必要が?」
「ミレーニア嬢の家だろう?」
「そうですけど……」
「婚約者の家なら、見たくなって当然だろ?」
(……当然?本当に?)
どんなに考えても、正当性があるとは思えなかった。
たとえあったとしても認めたくはなかった。
それなのに、ルシアン様はジッとこちらを見ている。
譲らないぞ、という意思を感じる。
(……ほんと最悪)
侯爵子息様は、なんでも我がままを聞いてもらってきたんだ。
だから、こんな図々しいことを平然と言うのだ。
はぁと大きくため息をつき。
「私の家は、あれです」
やけくそだった。
びしっと示した指の先、木造のこじんまりとした家がある。
二人で暮らすにしても少し狭い家。
個人部屋なんてなく、お母さんとふたりで同じ部屋にベッドを二つ並べて眠る。
作業は全て台所があるテーブルの上。
(……あんな小さな家……)
ルシアン様が何を思うのか。
息が詰まる。苦しい。
(私の大好きな、大事な家なのに)
そう思ってしまう自分が苦しくて。辛くて。
涙が溢れそうになるのをぐっとこらえる。
けれど。
「あの花はミレーニア嬢が植えたのか?」
「え?」
ルシアン様の目は、家の前の花壇に向けられていた。
カモミールとラベンダーだ。
白い花と紫の花が、風に揺れている。
「紫色の方は知っている。ラベンダーだ」
「はい……」
「白いのはなに?」
「カモミールです」
「名前は聞いたことある」
おそるおそる顔を上げる。
そこにはいつものルシアン様がいる。
そう、この人はいつだってそう。
涼し気な顔をしているのだ。
ミレーニアが私生児だろうが、悪女だろうが、この人にはどうでもいいことなのだ。
(馬鹿みたい……)
ミレーニアは改めて自分の家を見る。
ルシアン様の言う通り、花が咲いている。
「ハーブは体にいいから植えてるんです」
「ハーブ?」
「そうです、カモミールもラベンダーもハーブ。それからミントとレモングラスも植えてます」
お母さんが少しでも楽になるように。
ハーブ茶を煎じて飲ませる。
香りだっていい。
ミレーニアの大好きな花たちだ。
「あっち側の花壇の方がそうなのか?」
「はい、そうです……ルシアン様、目がいいですね?」
「ああ、よく言われる」
ちょっと回答がずれている気がするけれど、それも含めてルシアン様で。
ミレーニアは馬の上で、自分の家をただ眺める。
「母君に会いに行かないのか?」
降りる気配のないミレーニアに不思議に思ったのだろう。
しかもルシアン様自身も降りようとしている。
まさかと思うが一緒に会いに行く気なのだろうか?
ありえそうで、こわい。
「家だけ、でいいんです」
「……会いたいのでは?」
その静かな瞳に、ミレーニアの心はあっさりと溶かされる。
(会いたい)
でも。
「お母さんに会ったら……泣いちゃいそうで……」
子供みたいな理由に恥ずかしくなる。
っていうか、今日一日でどんだけ泣くのか。
その前から考えたら、ルシアン様の前でどんだけ泣いたのか。
「だめなのか?」
「え?」
「泣いたらダメなのか?」
アイスブルーの瞳が美しい。
どうしてここまで美しく綺麗でいられるんだろう?
ミレーニアとは大違いだ。
「……だって」
「ん?」
「泣いたら、困りますよね?」
ルシアン様もこの間『困ったなぁ』って言ってた。
誰だって目の前で泣かれたら、どうしたらいいのか戸惑う。
まして、自身に何の責任も原因も無ければ。
「そうだなぁ……困る」
(ほら、ね)
「でも、泣かれないで我慢されるのは、もっと嫌だな」
ルシアン様の手が頬に触れた。
それから目尻をやさしく指でなぞられる。
「……泣いたら涙をこうやって拭えるけど、我慢されたらそれができないだろう?」
(……ちょっと意味が分からない)
指が何度も行き来する。
その熱さにドキドキして、返すべき言葉を見つけられない。
「泣くのは我慢しなくてもいい」
「……我慢しない……?」
「そうだ。我慢なんて必要ない……あ!」
唐突にルシアン様が声を上げた。
何かを思い出したらしい。
「ルシアン様?」
「できれば、俺の前だけにしてほしい……いや、さすがにそれはあれか」
「……あ、あの?」
「俺とレネと、それから母君……ん~君はロラン殿やコルヴァン殿にも弱いか……後バルド殿? ずいぶんと人が増えたな」
「何をおっしゃってるのか分からないんですけど??」
「とにかく、不特定多数ではなくて、俺を含めた、数人の範囲内で頼む」
至極真面目に返されて、ミレーニアは笑ってしまう。
泣くはずだったのに、おかしくなって笑う。
それにルシアン様がふわりと微笑んだ。
(あ~……もう)
好きだなと思う。
……限界が来た。
気持ちが溢れて、溢れて、止まらない。
「……お母さんには、また後で会いに行きます」
とりあえずは、お屋敷に戻るのが最優先だ。
ジュール様だって運ばなくてはいけない。
お母さんに会うのはその後。
会って、泣いて。
――ルシアン様が言うように思う存分、お母さんの前で泣いて。
そして笑うんだ。
だから。
「戻りましょう!!」
ミレーニアは高らかに宣言した。




