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菫色の署名が導く悪女の契約。甘い悪夢は終わらない  作者: 星見蒼


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53、現地へ

馬車に揺られて、おおよそ三十分。

領地の中心から離れているということもあるのか、ずいぶんと道が悪い。

ガタゴトと大きく揺れながら馬車が進んでいく。


ミレーニア嬢は、窓の外の景色を静かに見つめていた。

しかし、進めば進むほど彼女の顔色が悪くなっていく。

彼女の隣に座っていたレネは、どこへ行くのか分かっていたのだろうか。

ただ黙って、ミレーニア嬢の手をやさしく撫でていた。


ジュールも珍しく難しい顔をしていて、一言も口を開かなかった。


重苦しい空気の中、馬車はとうとう目的地に到着した。

一度ガタリと大きく揺れ、そして止まった。


(……魔生地か)


馬車の窓からでも、結界ドームがゆらりゆらりと揺らめくのが見えた。その奥の魔樹林もきらきらと光を放っている。

ここが問題の地というなら、彼らが必死に隠した理由も察せられるというものだ。

魔生地は領地のものであるが、その性質から国の管理下にもある。


ルシアンは馬車から降りた。

そして、中にいるミレーニア嬢に向けて手を伸ばした。


彼女は震える手で、ルシアンの手をぎゅっと掴み、勢いに任せるようにして飛び出してくる。

転ばないようにと、腕を伸ばして抱える。


そして次に降りてくるレネに手を差し出そうとしたのだが、そちらはジュールが気を利かせていたので、邪魔にならぬようミレーニア嬢の肩を抱え、横にずれた。



「……どういうことだ……?」


レネを馬車から降ろしたジュールが、眉根を寄せた。

魔生地を覆う結界ドームをジッと見据えている。


その様子に、ここまで案内してきた男――家老の息子ロランの目に輝きが宿る。


「……もしかして、魔法師ですか?」

「いえ……」


ジュールがそれだけ返すと、その輝きは一瞬にして消える。


「そうですか……」

「討伐隊に魔法師はいないのか?」


ルシアンが問い掛ければ、彼は首を左右に振った。

その隣でバルドが吐き捨てる。


「魔法師は金が掛かる」


そして、睨みつけるように魔生地を見つめている。


ミレーニア嬢も不安そうに魔生地を、結界ドームを見ていた。

魔力を読みとれないルシアンには、何が問題なのか分からない。


ちらりとジュールを見れば、あたりを見渡したかと思うと、迷いのない足取りでどこかへと向かう。

ルシアンはミレーニア嬢の手を引いて、そちらに続く。

レネとロラン、それからバルドも後をついてきた。


「……原因はこれか」

「そんな……」


ジュールが示す先には、結界ドームのコアである結界石が埋め込まれている。

だが、その結界石――白金の聖石に亀裂が入っていた。


魔力の検知ができなくても、それが与える影響の大きさは理解できる。


「……放置……していたのか?」

「金が無いからな」


バルドの短い返し。

そこに皮肉が込められていることは、ルシアンでも気づいた。


「金が無いというが……領地の安全とは変えられないだろう?」


姉上から受け取った報告書を思い出す。

ヴェルナレット領の収益、予算。

災害によって収益が減っているのは確かだ。

そして、そのほとんどが復興費に割り当てられていた。

だが、それでも。

魔法師の一人、いや、二人ぐらいは雇えたはずだ。

それになにより。

結界石の亀裂となれば、金の問題ではない。

結界ドームが破綻すれば、魔物が溢れ領地の被害は甚大だ。

それを食い止めることができなければ……魔物は領地の外へと出る。

一領地の問題ではすまなくなるのだ。

それなのに……


「お父様は領地なんてどうでもいいのよ」


ミレーニア嬢が結界石に近づいて、その手で触れる。


「報告はしたんでしょ?」


彼女の問いかけにロランが頷いた。


「なんて言われたの?」

「……そちらでなんとかしろと」

「国への影響は伝えたのよね?」

「……返事はありませんでした」

「……お金は?」

「……特には」

「そうでしょうね……」


唖然とする。

報告書で、あの男が領地の経営になんら関わっていなかったことは知っていたが、まさかこの状況まで放置するとは。


――想像以上の下衆だ。


「それなのに……どうして私に教えてくれなかったの?」


ミレーニア嬢がゆっくりと、ロランを振り返る。


「……」

「そうね……私にはお父様の意見に逆らうことなんてできないわ。結界を直すことだってできない」

「……」

「でも……何とかお金を稼ぐことは出来たかもしれないじゃない!!」


ミレーニア嬢がロランの腕を掴んで、見上げて、叫んでいる。


「なにか……なにかできたかもしれないじゃない!!何もできないなんて……勝手に決めつけないで!!」

「……申し訳、ありません」


ロランが唇を噛みしめている。

それを見過ごせなかったのか、バルドが口を挟んだ。


「ひぃさん……止めてやれ」

「なんでよ!!」


ミレーニア嬢の叫びが、バルドへと向けられる。

だがバルドはその視線を受けても、言葉を止めたりはしなかった。


「ひぃさんを戻したくなかったんだよ」

「……なにを?」

「戻ってきたら、ひぃさんはこの地に縛り付けられる」

「……そんなの」

「見たくないんだよ」

「え……」

「ひぃさんが、これ以上、苦しむのを見たくないんだよ」

「わたし……別に……」

「分かってるよ。ひぃさんは、俺たちといて、お袋さんといて、それで幸せを感じられるって」

「そうよ……そう」

「でもなぁ、もっと幸せになって欲しいんだよ」


バルドの苦しそうな、それでいてやさしい笑みは、レネと同じだった。

彼の隣で、レネも泣きそうになりながら頷いている。


「わたし……わたし……」


なにも返せなくなったミレーニア嬢が、地面へと崩れ落ちていく。


「……しあわせだったのに。ぜんぜん……しあわせだったのに……」


ぽたぽたと、零れていく涙。

ルシアンは見ていられなくなり、彼女の体を救い上げ、立たせようとしたのだが、くるりと体の向きを変えた彼女が、ぎゅうっと背中に腕を回してきた。


「しあわせなの。ずっと、ずっとしあわせなの!!」


ルシアンの胸に吸い込まれていく叫び。

それが強くて、苦しくて。


「……ジュール。何が見える」


彼女の背中を撫でながら、“魔法師”ではない“魔術師”のジュールに聞く。


「魔法陣がボロボロだね。この状態でよく持ったよ。……でも、もうそれほど猶予はない」

「直せるか?」

「……一時的には。ただし、中の魔物を討伐して欲しいかな。中の魔素がもう少し弱まれば、二週間程度は時間が稼げる」


力強い宣言に、ルシアンは為すべきことを決める。


「バルド殿、ロラン殿」


悲痛な顔から、唖然とし始めた彼らに声を掛ける。


「時間が惜しい。このまま突入する。今すぐ討伐隊を集めてくれ」


腕の中へと目を落とせば、彼らと同じように目を丸くしているミレーニア嬢がいる。

目尻にはまだ涙がたまっている。

指先でそれを拭って、頬に触れる。


「とりあえずはジュールが修復してくれる。その後は、姉上の力を借りる」


絶対にこのままにしたりはしない。

ミレーニア嬢を泣かせたままになどしない。


彼女が愛しているこの土地を。

そして彼女を。

これ以上傷つけさせはしない。

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