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菫色の署名が導く悪女の契約。甘い悪夢は終わらない  作者: 星見蒼


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50/70

50、いざ、領地!!

馬車の窓を開け放つと、懐かしい草と土の香りがする。


「凄いですね~。見事に何もない!」


馬鹿にするようなジュール様を睨むも、口笛を吹いただけで気にする素振りもない。


「……本当だな」


(……う……すみませんね。田舎で)


隣からルシアン様が窓の外を覗き込んでいる。

ミレーニアを挟んだ状態で、窓に近寄っているわけで、恐ろしいほどに距離は近い。


(窓はそっちにもあります!!どうしてこっちから見るんですか!?)


近すぎてルシアン様の爽やかな緑の香りが、ミレーニアの鼻どころか脳を直撃する。

草と土の匂いに、さらにルシアン様の香り。ブレンドされすぎてクラクラする。

とりあえず退いて欲しい。この距離から離れたい。

空いている方の手で、ルシアン様を押しのける。

……そもそも、なんでルシアン様と手を繋いでいるのか?


(ドキドキして死にそうなんですけど)


それどころではないはずなのに。

こんな状況下でも無駄に跳ねる心臓。

緊急時なのに問題過ぎる。


向かいに座るレネを見れば、どういうわけか、レネはルシアン様を睨んでいる。

よく分からない。

レネの隣のジュール様を見れば、にこりと微笑まれた。


(やっぱり密かに顔がいいわよね……)


赤と青の不可思議な瞳。

オッドアイではなく、ひとつの瞳の中にそれぞれが混在している。

それなのに自然とまじりあって、違和感なく存在しているのだ。


(よくよく考えると、変な人よね?)


じーっと見過ぎたのが悪かったのか、ルシアン様の手に力が入った。

しかもなんか、くいっと引かれた気がする。


首を動かして、ルシアン様へと視線を向けた。


「……あれを見ても面白くないだろう?」

「いえ、そんなことは?」


面白いか面白くないか、で言えば微妙なところだ。

あの目だけでも、じっと見ている価値はあるのではないだろうか?


「面白くないから、俺を見るかレネを見るかどっちかにしろ」


謎な命令をされた。

っていうか、俺を見ろってなに?

心臓止まるんですけど?


仕方ないので、向かいのレネを見た。

レネは満足そうに微笑んだので、どうやら正解らしい。

ただし、ルシアン様の手にはさらに力が入った。


(……ちょっと痛いんですけどね)


訴えるかどうか悩む。

でもこれはルシアン様の優しさなのだ。

子供みたいに泣いてしまったせいで、ルシアン様は過保護になってしまわれたのだ。

仕方ない。仕方ない。


(そう、私は子供なの)


きっと精神年齢が五歳ぐらいだと思われているのだ。

安心させるためにやさしくしてくださるのだ。


(そう思ってないと無理なのよ!!)


とにかく、ルシアン様の優しさに慣れてしまわないように必死だった。


ミレーニアは外へと意識を向ける。


(……もうすぐ、ね)


同じように窓の外を見ていたジュール様が声をあげる。


「あ、看板だ。ヴェルナレット領って書いてある」


道の途中にある道しるべと同じような、木の板で簡易的に作られた看板。


(……うう……まだ、門を作れないのよ~)


資材は有限なのだ。

門に資材を使うよりは、教会や倉庫、治水など、とにかく他のところに回したかった。

そうして、領の入り口に看板を立てるだけにしたのだが。

改めて他人から指摘されると、なんとなく気恥ずかしい……。


一人悶々としている間にも、レネとルシアン様が素早くカーテンを閉める。

これはレネからの提案だった。

領地のみんなはミレーニアが戻ることを良しと思っていない。

だから、ミレーニアが外から見えないようにすべきだと言われた。


まるで必要とされていないようで悲しかった。

レネに何度も『そうじゃないんです。みんなお嬢さまが大事だからです』と言われた。

うん、って分かったふりして頷いてはみたけど、やっぱり辛い。


「あと、どのくらいで着くんだ?」

「そうですね。待ち合わせ場所は“麦芽亭”ですよね?」

「ああ……そう書いてある」

「麦芽……エールが美味しいんですか?」


ジュール様の発言にレネが冷たい眼差しを向けた。

でも待って、レネ。今ジュール様は良いことを言ったのよ。


「そうなんです!めっちゃ美味しいんです。最近出している冷たいエールが最高で」

「え?何それ?気になる!!」

「そうですよね。ぜひぜひご堪能を」

「……お嬢さま」

「ジュール」


レネとルシアン様が呆れた様にこちらを見ているが、やめるわけにはいかない。

新たな販路の獲得は重要なことだ。


「ミレーニア嬢はお酒が飲めないだろう」


(う……バレた)


「あのですね……おじさんたちがとても美味しいと大絶賛しておりまして、たぶん美味しいはずなんです」

「へぇ~楽しみだね、ルシアン」

「……そうだな」


ルシアン様はため息を吐きながらそう言った。

少し羽目を外しすぎたかなぁと、隣を窺えば、ふっと微笑まれた。


(だから、心臓に悪い!!)


「全部片付いたら、その冷たいエールで乾杯するとしよう」

「……はい」

「もちろん、君はアルコールは無しで」

「……ちょっと舐めてみるのは?」


大人の第一歩は舐めるとこからだと聞いている。

もう十八歳、成人したのだからいいのではないだろうか?


「そうだなぁ。……俺と二人なら」

「……今のはなかったことにします」

「どうしてそうなった?」

「みんなと一緒に乾杯します」


そう返したら、ルシアン様が少し不満そうに唇を尖らして。

ジュール様は楽し気に笑って。

向かいに座るレネは当然だとばかりに頷いていた。


(……なんだか信じられない)


ルシアン様がこうして隣にいることが。


夢がミレーニアの想像をはるかに超えて大きくなっていく。

手が届かないはずなのに、まるで届きそうで怖い。


(ルシアン様は、クレヴォワール侯爵子息様)


その手に握られながら、何度も脳内で反芻する。

忘れないように。忘れてしまわないように。

都合の良い夢を見て、手を伸ばしてしまわないように。



そうして馬車に揺られること一時間。

馬車がゆっくりと停車した。


「着いたみたいだね」


ジュール様の言葉に、扉を開けて飛び出そうとしたのだが、何故かルシアン様に引っ張られて、遮られた。

一番最初に降りたのはルシアン様で、次はジュール様。

そこで扉がバタンと閉められた。


(……え?なんで?)


レネと二人残されて、意味も分からず扉を開けようとしたら、レネにも止められた。


(……なにこれ? 私が知らない間に謎の協定が結ばれているの?)


せめて外を見ようとカーテンに手を伸ばしたのだが、それさえダメだと手を叩かれた。


「レネ?」

「しっ!!」


レネはドア側に寄って、外の音を聞こうとしているようだった。

だから同じように耳をぺたりと扉にくっつけた。


「……お前が銀の騎士か」


馬車の向こうから聞こえたのは、

懐かしい声。


ミレーニアは確かに領地に帰ってきたのだと、実感した。

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