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菫色の署名が導く悪女の契約。甘い悪夢は終わらない  作者: 星見蒼


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46、零れ落ちるもの

――もっと早く調査していれば


後悔が押し寄せる。

思わず手に力を入れれば、繋がったままのミレーニア嬢の手を強く握ってしまい、慌てて力を抜く。

だが、それは彼女の方からぎゅっと握り返された。


そっと隣を見た。

今はまっすぐに前を向いている。

必死に前を向いている。

握っている手が今でも震えている。

今度は力加減を間違えないように、少しだけ力を入れた。


――お嬢さま!!


冒険者ギルドのドアを開けた瞬間、レネの悲鳴が聞こえた。

そして、ルシアンのところに飛び込んできたのはミレーニア嬢だった。

このまま逃がしてはいけないと、そのまま抱え、肩に担ぎ上げた。

ミレーニア嬢は抑えられている両足を懸命に動かし、手はドンドンとルシアンの背中や肩を叩いた。

それでも離すわけにはいかなかった。


彼女を肩に抱えたまま、護衛とレネを探す。

先に見えたのは、ジュールが掲示板へと向かう姿。

次に護衛。

護衛の一人が、ルシアンのもとに走り寄ってきた。

頭を下げられ報告しようとするのを遮る。

今は、彼女が優先だ。

何があったのかは、後でいい。


その間もミレーニア嬢は逃げようと必死だ。

おそらく自身が怪我をしようが落ちようがそんなことはお構いなしで、とにかく逃げたいのだろう。

肩に担いだままでは危なすぎるので、膝裏を支えて胸のあたりで抱きかかえるように体勢を変えた。


そこでジュールが戻ってきた。

依頼書を受け取ったことを確認し、ジュールに『レネは?』と問えば、腕の中のミレーニア嬢がびくりと震えた。

ギルド内にいるはずのレネがこちらに来ない様子からも、理由は分からないが、今は一緒にいない方が良いのだろう。

そう判断し歩き始めたところ、ミレーニア嬢の腕がギュッとルシアンの首に巻き付いた。

その力の強さが、彼女の胸の痛みを教えているようだった。


彼女を抱えたままギルドを後にし、下ろしてからは手を繋いで商業区を歩く。

彼女の好きな蜂蜜クラッカーの露店も通り過ぎ、とにかくただ前へ前へと進んでいた。

ぎゅうぎゅうと彼女の手に力が入る。

隣で小さな嗚咽が聞こえてくる。


泣いているのだ。


通りを少しだけ離れて、人があまり来ない場所まで行く。

そこで足を止めた。


菫色の瞳からはとめどなく涙が流れている。

零れ落ちるそれを、ルシアンはどうしたらいいのか、まるで分からない。


――困ったなぁ


情けなくもそう零してしまった。


すると彼女がルシアンの背中に腕を回した。

子供のようだった。

小さな子供が、親に縋るような仕草に、ルシアンはそっと彼女を抱きしめ返す。

とんとんと背中を叩けば、『うう……』と胸のあたりで声がした。


あの日、ショールを買った日も彼女は泣きそうだった。

でも、あの時は泣かなかった。

ただ辛そうにぎゅうっと唇を噛んでいた。


あの時は、泣かせたくないと思ったけれど。

今は、泣いていてほしいと思った。


この涙を抱えたまま、笑ってほしいとは思わない。

泣いて泣いて、泣いて、泣き続けて構わない。

その涙の全部を、この胸で吸い取ることができたら。

彼女の悲しみ全部を、この胸で、この手で奪うことができたなら。


やわらかな髪に触れ、そっと撫でる。


「レネ」


胸の中で小さな声がした。

どうやらレネに会いたくなったらしい。

少しだけ……いやかなりレネが羨ましい。

彼女の奥の奥にいて、ずっと支えてきたのだろう。


「もどろうか?」


そう訊けば、なぜか不思議そうにルシアンを見上げている。

レネの名前を呟いたことにも気づいていないらしい。


子供のように、ただまっすぐに見つめてくる菫色の瞳が、愛おしくて堪らない。

思わず微笑めば、なぜか彼女がまた抱きついてきた。


先ほどまでとは違い、どことなく遠慮しているようにも感じる。

そんなの要らないのに。

彼女のためなら、いくらでも、この胸も、腕も、全てを貸すのに。


そう思いを込めて。

強く、強く、抱き返した。

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