45、揺らぐ手が求めるもの
(……落ち着かない)
ルシアン様がショールを買ってくださったあの日から、ミレーニアの心は、ずっと落ち着かない。
なにをしていても、胸がざわざわとする。
それを解消しようと、レネを連れて平民街の商業区へと来た。
正確には、護衛も二人ついている。
少し離れた位置からミレーニアとレネを守ってくれている。
そんなのは不要だと言ったのだけれど、マルグリットさんもアルマンさんも譲らなくて、レネにまで『わたしが誘拐されたらどうするんですか?』とレネ自身を人質にとられ、確かに自分は良くても、レネが誘拐されるのは困る。……ということで、護衛をつけて、街を歩いている。
「どこに行きます?」
にこにこと笑ってくれるレネ。
離れないようにと、手を繋いでいる。
(……だめだわ)
ルシアン様のことが頭から離れない。
だから外に飛び出したはずなのに、ここはルシアン様とよく歩く道だし、いつも手を繋いでいるし。
これでは思い出すために歩いているようなものである。
「お嬢さま?」
「……そうだわ!あっちにするわ!!」
商業区でもミレーニアが行っていない場所がある。
それは……
「……なんの用があるんですか?」
呆れたようなレネの声。
分かるけど、しょうがない。
「まぁいいじゃない。ほら、領地の警備隊や討伐隊のみんなの防具とか武具とか見つかるかもしれないし」
「……今、買うお金ないですよね?」
「最新はどういうものがあるか分かるし」
「……はぁ」
本当に申し訳ないとは思う。
レネだって、可愛い雑貨や、美味しいお菓子を見たりしたいに違いない。
でも、そこはだいたいルシアン様と歩いているのだ。
今のミレーニアにはキツイ。無理だ。
「あ!!見て! 冒険者ギルドだわ!!」
「……お嬢さま」
「行ってみましょう!!」
ルシアン様がそうするように、レネを強引に引っ張っていく。
同じ商業区でも、武具屋、防具屋、それから魔具屋が立ち並び、いつもの通りとまるで雰囲気が違う。
行き交う人々も、大きな体つきの人や、背中に大剣を背負っている人、それから魔法師なのかルシアン様のようにフードを被っている人もいる。
(ここなら、ルシアン様も不審者扱いされなかったのね)
ついつい思考がルシアン様に傾いていく。
ぶんぶんと大きく頭を振って、それを追い出す。
レネの手を強く握って、なるべく外へと意識を向ける。
そうして、ずんずんと進んでいけば。
目の前に冒険者ギルドが現れた。
「……大きいですね」
石造りの堅牢な大きい建物。
領地にあるギルドとは比べ物にもならない。
さっきまで文句ばかりだったレネも、冒険者ギルドを呆然と見上げている。
「そうね、すごいわ。さすが王都ね」
ギルドの重厚なドアを護衛に開けてもらって、ミレーニアたちは中へと進む。
「人が多いわ……」
「ええ……ギルドってこんなに人が来るもんなんですね」
ギルドのロビーは吹き抜けとなっているせいか、声が響いてざわざわしている。
重い防具を身に着けた傭兵らしき人もいれば、軽装の人もいる。
奥のカウンターには五つも受付があるのに、行列ができている。
(この人たちは……なんの依頼をこなすのかしら?)
ミレーニアは興味本位で、左側の壁一面に張られた依頼書を覗きに行く。
人探し、盗賊の討伐、放棄魔生地の解消、魔塔の探索。
辛いものもあるが、ワクワクするものもある。
領地にはなかった、そしてここ王都でも感じられなかった、広い世界がそこにある。
(……ヴェルナレット領も、いつか、こんな風に)
広い世界と繋がることができたら。
領地内だけではなく、もっと、ずっと向こうとの繋がりを感じることができたら。
そのために、どれだけの月日が必要なのかは分からない。
もしかしたら、ミレーニアが生きているうちには無理かもしれない。
でも。
目指すべき未来が見えてきた気がする。
大丈夫……大丈夫。
まだ、夢を見れる。
ふぅっと息を吐く。
揺れていた自分の気持ちが落ち着いてきた。
(よし!)
ミレーニアは気合を入れて、戻ろうとした。
だが、その時、ミレーニアと同じように掲示板を見ていたはずのレネの。
不自然な動きに気づいた。
まるでミレーニアから何かを隠すような、そんな動き。
しかも、目が合うと、にっこりと笑った。
おかしい。絶対におかしい。
強引にレネの体を押しのけて。
レネが隠そうとした何かを探す。
その間も掲示板から遠ざけようとしているのか、レネがミレーニアの腕を掴んで、引っ張っている。
「行きましょう。もう充分見ましたよね?」
やわらかなはずの声が震えている。
必死に、何かを堪えている。
そして、ミレーニアは見つけてしまった。
(……なんで……どうして?)
目の前の、一枚の依頼書。
何度も、何度も文字を追いかける。
何度読み返しても、同じ。
――魔物討伐、Aランク
場所はヴェルナレット領
依頼主はコルヴァン・マルソー
領地の、家令の名前だ。
ゆっくりとレネの方を振り返る。
今にも泣きそうな顔をした彼女に、何を問いただしたらいいのか分からない。
(……知って、いたのよね?)
訊くこともできない。
広がったはずの世界が、急速に閉じられていく。
足元が揺らいでいく。
「……お嬢さま」
レネが震えながらそれでも、ミレーニアに近づいてくる。
だけど――
ミレーニアは、向き合えない。
無理だった。
バッと勢いよく走る。
反応が遅れた護衛の手を逃れて、人の波を走り抜ける。
「お嬢さま!!」
「ヴェルナレット嬢!!」
逃げなくては。
レネには追い付かれないだろうが、護衛は違う。
なんとしても、逃げなくっちゃ。
ミレーニアは、ギルドの扉に手を掛けようとした。
でも。
人にぶつかって。
そして。
抱きあげられた。
「いや!!離して!!」
ぶんぶんと手足を振り回す。
強い力で両足を抑えられていて、逃げられない。
それでも。
落ちてもいい。怪我をしてもいい。
そう思って、必死に必死に暴れた。
一瞬浮いた体は、すぐに抱え込まれた。
「ジュール、依頼書は?」
「今、貰ってきたよ」
聞き慣れた声だった。
「レネは?」
「護衛と一緒にいるみたいだけど……」
レネという言葉に体が反応する。
今は会えない。会いたくない。
「……ミレーニア嬢」
やさしい声。
銀色の髪が、歩くたびに揺れて、ミレーニアの頬に触れて、不思議と心地いい。
もう、何も考えたくない。
ぎゅうっと首に腕を巻き付ける。
「どうする?どうしたい?」
分からなくて、抱きついたまま首を左右に振る。
「……どこに行きたい?」
(……どこ?)
いつだって領地に帰りたかった。
あの場所がミレーニアのすべてだった。
でも……今、ミレーニアはそこからも弾き出されたのだ。
石ころは、どこにいったらいい?
答えなんて知らない。
「……そうだな。甘い物でも食べに行こうか」
そっと下ろされた。
手は離されることなく、いつも通り握られて。
それが嫌だったはずなのに、今はそのままにして欲しくて。
連れて行かれるままに歩く。
ギルドから出て、外へ、外へと。
レネはいない。
誰もいない。
街にはたくさんの人がいて。
がやがやとしているのに。
そのすべては、ミレーニアには関係ない。
「……蜂蜜クラッカーがあるが、どうする?」
いらない。なにもいらない。
ふるふると頭を左右にふる。
「そうか」
いつもは強引なのに、今日はゆっくりとミレーニアの速度に合わせてくれている。
ぽとぽとと涙が零れる。
勝手にあふれて、止まらない。
どうしたらいいのか分からない。
泣いたことなんて……あっただろうか?
分からない。
もう、覚えてない。
だから、泣き方も分からない。
「困ったなぁ」
隣から声がして、アイスブルーの瞳が情けなく歪んで。
それが余計に悲しくて。辛くて。
ぎゅうって縋りつく。
いつもの、レネのやわらかな体とは違う。
硬くて、ぜんぜん違う。
でも、それが安心できる。
とんとん、とあやされるように背中を叩かれた。
その手も大きくて。
(レネじゃない……)
だんだん、寂しくなっていく。
レネ、レネ。レネ。
「……もどるか?」
不思議だ。
なんで分かるんだろう。
どうして、ミレーニアでも混乱している、この気持ちを分かってくれるのだろうか?
見上げた先。
どこまでも綺麗な瞳があって
――好き
なぜ、今なのか。
そんな状況でもないのに、唐突に押し寄せる感情。
溢れて溢れて止まらない。
ミレーニアは、両腕を伸ばす。
目を閉じて、とくんとくん、と動く鼓動を聴いて。
――今だけは。
許してほしいと思った。
今だけだから。
ちゃんと、ここから離れるから。
だから、今だけ。
レネの笑顔を思い出す。
領地の、お母さんの、コルヴァンさんの。
ミレーニアのすべてを、あたたかい腕の中で、思い返した。




