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菫色の署名が導く悪女の契約。甘い悪夢は終わらない  作者: 星見蒼


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42/70

42、二枚のショール

――ルシアン様が動かない。


ミレーニアは、そっとそちらを見た。


お店の入り口のドアの横。

絶妙に邪魔にならない位置で、真っ黒なフードを被ったルシアン様が、腕を組んで立っている。

ちらりと店員さんを見れば、なぜか微笑まれた。

その前のやり取りを見られていたのだ。

完全に勘違いされている。


(だいたい……ミレーニア嬢って何よ)


ルシアン様の顔がフードで見えなくて良かった。

あれで顔まで見えていたら、倒れてその辺の物を壊したかもしれない。


(そしたら、その時はルシアン様のせいにして、ルシアン様に支払って貰って……って!!五百万リア!!私の五百万リアで弁償できたかも!!)


いや、違う。

ちょっと間違えた。

減らない五百万リアがひそかに頭の片隅にあるせいで、思考がおかしくなった。


ルシアン様から、店内へと視線を戻す。


(あぁ……なにもかもが可愛い……)


領地に戻ったら、自分の部屋にもドライフラワーを吊るそうかなぁ。

いや、お母さんの体に障るかもしれないから、それはやめよう。

あ……お屋敷の執務室ならいいかも。

全部をドライフラワーで埋めたら、コルヴァンさんに怒られるかもしれないけど、一か所ぐらいならきっと許してくれる。休憩室なら大丈夫かもしれない。


(……領地にもこんなお店がほしい。支店とか出してくれないかなぁ)


店内の至る所にある可愛い物たち。

キャンドルも、香石も、それからハンカチにお財布、籠、石鹸……とにかく、欲しいものだらけ。


(はぁ……いいなぁ……)


この間ノートやペンを買ったばかりだから、これ以上、無駄遣いはできないし、まさか、これを五百万リアから出すわけにもいかない。

領地にあれば、いつかは買えるかもしれないし、なにより癒しの空間だ。

きっと、毎日でも通う。


「で、何が欲しいんだ?」


唐突に声がして、思わずびくりとしてしまう。

いつの間にか、移動してきたらしい。

すぐ後ろにルシアン様の気配。


「……別に買うつもりはないです」

「……そうなのか?」


不思議そうに返されて、これだからお金持ちは、と思ってしまう。


「見るだけです」


お金は無限ではない。

欲しくても買えないことなんて、当たり前にある。

月五百万リアも自由にできるお坊ちゃまに分かるはずもないだろうけど。


ツキンとどこかが痛む。


「そうか……」

「……」


素直に返してくるルシアン様に、自分がなんだか小さく思える。

痛みがさらに増した気がした。


「何か気になったのは?」


近づく距離、響く声。

……やさしくて泣けてくる。

それなのに痛みは全然和らがない。

ツキン、ツキンと、刺してくる。


「別に……なにも……」


嘘しかつけない自分が嫌だ。


ルシアン様は、真っすぐな人。

こんな嘘なんてきっとつかない。

だから『当主になりたくない』などと、平気で言えるのだ。

……とんだ甘ちゃんだ。


甘くて、まっすぐで、ミレーニアとは違いすぎる。


「ミレーニア嬢?」


ルシアン様から逃げるように、その場を離れる。

聞こえなかったふりまでして。


(ほんと最低……)


もうお店を出ようかとさえ思った。

その時。


(あ……)


一枚のショールが目に入った。

生成りの優しい色合いに、縁取りのレースに小鳥があしらわれている。

とても綺麗で上品だ。

それに生地も柔らかい。これなら……


(お母さんにちょうどいいかも!!)


――三千リア。


凄く高いわけじゃない。


……この間使ったばかりだけど、その余りでも、なんとか買える。

ワンピースのポケットの中には、領地から持って来た小さなお財布が入っている。


買おう。


そう思って、店員さんのところに行きかけたのだが、持ち上げたショールの下に、また別のショールが現れて、さっきのは小鳥だったけど、こちらは小花が散りばめられている。


(か……可愛い)


どっちも捨てがたい。


(いや……お母さんなら、鳥の方がいいかなぁ……でも、こっちの花だって……)


「……買うのか?」


思い悩んでいて、ルシアン様の存在をすっかり忘れていた。


「いえ……その……」


これだけは自分で買いたい。

下手な答え方をしたら、ルシアン様は買おうとするだろう。

間違えてはいけない。


「どっちがいいのか悩んでいるのか?」

「……あ……こっちのお花も可愛いし、鳥の文様は繊細で綺麗だし」

「ふむ……」


ルシアン様がじっと、ミレーニアを見ている気がする。

フードで分かりづらいけれど、とても落ち着かない。


「あ……あの」

「確かにどちらもミレーニア嬢に似合いそうだ」

「……」


初めて褒められた気がする。

いや、違う……単なる意見だ。そう、どっちが似合うかを真剣に考えてくれて……それで……


「可愛いと思う」


何が、とか。分からなかった。

何に対しての可愛いのか、全然、まったく。

それでも、充分だった。

ミレーニアの心臓を直撃した。

その動揺のせいで余計なことを口走ってしまった。


「私のじゃなくて、お母さんのだから」


フードの下でルシアン様がどんな表情をしたのか分からない。

でも息を呑んだ気配がした。


(……どうしよう。どうしよう)


私生児の、母親なんて。

ルシアン様にとってどうでもいい相手だ。


視線を下に向ける。

履き慣れた靴は、何度も繕い直してよく見たらボロボロだ。


(こんなの……見慣れているのに。ずっとそうだったのに)


なにもかもが痛くて。

唇をぎゅっと噛みしめた。




「……そうか……」




長い長い――


そう感じたのはミレーニアの感情によるものなのかもしれないが。


長い沈黙のあと、

ルシアン様は小さく呟き。


「では、私がこちらをミレーニア嬢に贈って、そちらはミレーニア嬢が母君に贈るのはどうだろうか?」


ミレーニアが持っていた小花のショールが、いつの間にかルシアン様の手元に移る。


そして、ミレーニアの手にもう一方の、小鳥のショール。


(……どう……して)


泣いてしまいそうで。


ぎゅっと瞼を閉じて、パチパチと瞬きを繰り返す。


「……ミレーニア嬢?」


なぜかルシアン様の声が震えているような気がした。

それも良くなかったのだと思う。


「……そう、します」


ミレーニアは頷いてしまった。


喉の奥から振り絞るようにして、なんとか返した言葉に、ルシアン様はわずかに微笑んだ。

そして、会計へと向かっていく。


ミレーニアはその背中を見つめるしかできない。

足が動かない。息ができない。


(あぁ……どうしよう……)


断らなくてはいけなかったのに、断れなかった。


嬉しかったのだ。


ルシアン様の気遣いが。

……嘘ばかりのミレーニアの、わずかな真実に向けられた気遣いが。


やさしすぎて、あたたかくて、うれしくて。


ぎゅうっとショールを胸に抱きしめる。


(おかあさん。おかあさん。どうしよう)


会いたくて、会いたくて、たまらない。


今の情けないミレーニアをやさしく抱きしめて欲しい。

大丈夫よって笑って欲しい。


このままじゃ……


大丈夫じゃなくなっちゃうよ……

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