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菫色の署名が導く悪女の契約。甘い悪夢は終わらない  作者: 星見蒼


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41/70

41、名前の裏側

……気づいてなかったのか。


ヴェルナレット嬢、いや、ミレーニア嬢は気づいていなかったらしい。

たびたびルシアンのことを『ルシアン様』と呼んでいたことに。

こちらは別に気にもしていなかったので、訂正すらしていなかったのだが、ちょうどいいので、こちらも『ミレーニア嬢』と呼ばせてもらうことにした。


それにしても……


(好き……か)


“好き”という、その響き。

それに、あんなにも心揺さぶられるとは思わなかった。


(でもなぁ……)


あの声で、しかも微笑まれて。

その甘さに、動揺せざるを得なかった。


(……可愛いなぁ)


さきほどからふわふわと動いている。

狭い店内をこれでもかと移動している。


(買い取ったら怒られるんだろうなぁ)


ぐるりと店内を見渡す。

ミレーニア嬢によく合う、可愛らしい雰囲気に包まれている。

そう言えば、似合わないとか、変なことを言っていたな。

とても彼女らしいのに。似合わないどころか、彼女自身と言ってもいいくらいなのに。


――自己評価が低い


そう言ったのは誰だったか。

アルマン……いや、マルグリットか。

確かにその通りだと思う。

あんなにも可愛いのに、それに、ルシアンよりも遥かに頭がいい。


(人工魔樹の話だって、俺にはさっぱり分からなかった)


温室でジャンと話していた彼女には、確実に基礎教養以上のものがある。

この間彼女が抱えていた分厚い『人工魔生地とその結界』なんて、ルシアンは読んだところで理解できるとは思えない。


(……どうしたものか)


契約の二年。

そんなもので手放せるわけがない。

……もう、自覚している。


だが、彼女の望みはどこにあるのか。


彼女は、まっすぐに、ひたすらまっすぐに領地のことだけを考えている。領地のことを愛している。

そして、彼女と共に来たレネは、彼女を慈しんでいる。

領地は決して、彼女を苦しめてきたわけではないことは、分かる。


(いい加減、調査すべきか)


彼女が悪女でないと気づいてから、目を逸らし続けてきた。

噂の真偽など、確かめる必要もなかった。

目の前で見た、それがすべてだとルシアンは思っていた。


だが、彼女は?

その噂が、直接的には彼女を傷つけていないとしても。

間接的には、確かに彼女を傷つけているのだ。


(……あまり好きではないのだが)


人の調査を依頼するのは、嫌だ。

勝手に、許可もなく、人を暴こうとする行為だ。


(ミレーニア嬢は……どう思うのだろうか?)


嫌われたくない。

好かれたい。同じように想って欲しい。


日々募る、重すぎる感情。

人はここまで、他人に心を奪われるのだと、身をもって知った。


彼女がまっすぐであればあるほど。

自分がどれほど愚かで、残酷で、どうしようもないのかと突きつけられる。

それでも。


これ以上、傷つけられたくない。

たとえ、彼女が笑っていたとしても。

それでも。


(……どこまでも、子供だな)


これは彼女のことを思ってのことではない。

ただ嫌だという、それはルシアンの感情だ。


(でも……必要なことだ)


彼女の望む平穏を守るために。

彼女が何を平穏と感じていたのか。

それを知る必要がある。


(本当は……彼女自身から聞ければいいんだが……)


だが、それを待っている間に、彼女の平穏が失われない保証はない。


(いや……もうすでに、俺が破ったのか……)


ぐっと拳を握りしめる。

長く息を吐く。

ぎゅっと目を閉じ、それからゆっくりと目を開けた。


彼女の姿が見える。


見慣れたワンピース姿に、揺れる栗色の髪。

決してルシアンを振り向くことはない。


(それでもいい)


覚悟を決め、ミレーニア嬢の元へと向かう。


店内の商品に夢中な、可愛らしい菫色の瞳を。

その瞳を見るために、ゆっくりと近づいていった。

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