40、悪女の名前
今日は休日。
予めルシアン様に、『温室でのお勉強会は無しで、悪女契約を遂行する』と伝えたところ、平民街に行くことになった。
――それでは悪女の契約に反するのでは?
と確認したのだが、しばらく無言だったルシアン様が返してきたのは
――悪女に振り回されて平民街まで遊びに行っている、ということでいいのでは?
という一言である。
……そこまでは考えつかなかった。
ちょっとルシアン様のことを侮っていた気がする。
そんなわけで、本日も平民街の商業区を歩いている。
王都は本当に人が多い。
異国から来ていると思われる見慣れない服も多くて、つい目を奪われる。
あちこちよそ見をしては人にぶつかりそうになり、その度にルシアン様が庇ってくださっていたのだが。
――あの、この手は?
――……この方が面倒が少ない
確かに、それはその通りで。
注意散漫だったミレーニアが悪いと言えば悪い。
(……だからって、手を繋いだままだなんて)
本日もミレーニアの隣でフードを被ったままのルシアン様。
そちらへと視線を向けたところで、フードのせいで表情なんて全く見えない。
それが悔しい。
こっちは密かにドキドキしているのに。
なんなら手汗が気になってしょうがないというのに。
(どうせ、涼しい顔でもしてるんでしょうけど!!)
ふんっと鼻を鳴らして、ルシアン様から視線を剥がす。
そうして何気なく、通りを見ていた。
露店の奥の、お店のあたりまで。
「……あ」
つい足を止めてしまうと、繋がったままの手が、くいっとルシアン様の歩みまで止めてしまう。
しまった!!と思っても遅い。
ルシアン様の目が、ミレーニアの視線の先を追いかける。
「……入るか」
ミレーニアの返事を待つこともなく、スタスタとお店へと向かって行く。
何度も繰り返すが、手は繋いだままだ。
ルシアン様の歩みを止めようと、足に力を入れたところで、騎士様の力に勝てるわけがない。
それでも諦めきれず、必死に抵抗をしているのだが、ミレーニアはズルズルと引っ張られていく。
(ふつう……もうちょっと気を遣わない?ねぇ?)
ルシアン様はこういうところが紳士的ではない。
淑女に対する態度がなっていないと思うのだが……
今までそのご尊顔で許されてきたのだろうか?
フードの怪しげな人物に引きずられていくミレーニアを、行き交う人々が心配そうに見ている。
中には助けようとこちらに向かう人もいたので、目線で“大丈夫ですよ~”と伝え、笑顔も浮かべてみた。
さすがに侯爵令息を不審者として通報されるわけにはいかない。
(まぁ……今まで何度も呼び止められているけれど……)
そうやってミレーニアの方が周囲を気にかけているうちに、
チリン――
鈴の音がした。
ルシアン様がお店のドアを開けたのだ。
その音に導かれるまま、ミレーニアはお店の中を見た。
……見てしまった。
「……あぁ……可愛い……」
可愛いものが好きなミレーニアが勝てるわけがなかった。
ふらふらとお店の中に足を踏み入れる。
木造のこじんまりとした店内には、なんとも可愛らしい空間が広がっている。
壁は一面白く塗られ、天井から吊り下がっているドライフラワーの、くすんだ紫、黄色、青、白、それらが甘すぎずに、ちょうどいい。
(……素敵!!)
小花の入ったキャンドル、色とりどりの小さな香石、繊細な刺繍のハンカチやお財布、編み目が美しい籠。
棚の上に、所狭しと置かれている全てが、可愛くてミレーニアの心臓を打ち抜く。
(だめ、無理……抗えない!!)
ぐるりと店内を見渡し、どこから行こうかと思い悩む。
まずは、目の前のキャンドルに、と向かおうとして、動きが妙に制限されていることに気づいた。
「……あれ?」
くいっと引っ張れば、とん、っとルシアン様がミレーニアに衝突した。
狭い店内なので仕方がないと言えば、仕方がない。
ただ、ちょっと……いくらなんでも距離が近すぎではないだろうか?
これは夜会の距離だ。
仕方なく腰を抱かれた……違う、手を添えられた、その距離だ。
「あのですね……」
「……こういうのが好きなのか?」
至近距離から、まっすぐに見つめられた。
息が止まる。
アイスブルーの瞳に耐え切れず、視線をルシアン様の首元へとずらした。
「ヴェルナレット嬢?」
耳元だった!!
絶対に耳元だった!!
声が!!
直接響いた!! 脳を直撃した!!
慌てて離れようとして、でも、ルシアン様の手が背中にというか、腰に回っている。
「危ない。暴れるな」
「……」
ええ、確かに狭い店内です。
周りの状況も考えず、後ろに勢いよく動こうとしたことは認めます。それが問題行為であったことも。一歩間違えば商品にぶつかって壊していたかもしれない。
それでも!!
(今のは私のせいですか? 違いますよね? しかも暴れるな?とはこれ如何に)
文句は山ほどあった。
だが文句を言うために睨めば、結局距離は近づき、ミレーニアが逆に反撃にあう。
納得がいかない。これはなんなのだ!!
ミレーニアはゆっくりと距離を取る。
前後左右、きっちりと周りを見渡して、商品にぶつからないか確認して。
そこでようやく、ルシアン様の手が、腰から離れた。
ほっと安堵の息を漏らしていると。
「で、こういうのが好きなのか?」
繰り返された質問。
この距離感なら、ちゃんと答えられるんですけどね。
「……なんか、失礼な聞き方じゃありませんか?」
(可愛いのと無縁みたいな!どうせ似合わないとか思ってるんだわ!!)
ジロリと今度こそ睨んでやる。
するとフードを被った頭が傾く。
さらりとフードの中で銀の髪が揺れた。
「……失礼? そんなつもりはないのだが……ヴェルナレット嬢が何が好きなのかよく分からなかったから、聞いただけなんだが?」
「……」
ルシアン様の返しに、少し冷静になってくる。
自分が感情的だったと反省した。
その間もルシアン様の質問が続く。
「ドレスも宝石も興味ないだろう?」
「……そうですけど?」
「ワンピースは好きそうだ」
「ドレスより動きやすい……からなんですけど」
「甘いものは俺ほど好きそうじゃない」
そう言われて、ちょっと笑ってしまう。
甘いものを食べている時のルシアン様は、無表情だけど、どこか瞳の奥がやわらかくて。
「……ルシアン様は、ほんと好きですよね」
「……っ」
なぜか、フードの奥が揺れた。
息を呑む音が聞こえた。
(え?なんで??なんかおかしなこと言ったかしら……あ!!)
つい、いつもの癖でルシアン様と呼んでしまった。
レネ以外の人の前では、きちんとクレヴォワール子息様って呼んでいたはずなのに。
「……ご、ごめんなさい。あの……クレヴォワール侯爵子息さま……」
「……別にいい」
いいはずがない。絶対に良くない。
表向きは確かに婚約者だが、実際には悪女契約だ。偽りなのだ。
名前呼びが許される関係ではない。
それなのに……
「クレヴォワールは長いから、ルシアンでいい」
「いえ、あの……」
そんなの許可されても困る。
『今まで通り、クレヴォワール侯爵子息様で』
そう、返そうとしたのに。
ルシアン様は、爆弾を落とした。
「俺もミレーニア嬢と呼ぶ」




