39、石ころの夢
温室に入り浸るようになって、一週間。
ミレーニアは、初めての買い物をした。
――文房具を。
「……一リアも減ってないけど」
「そうですよ。どうして五百万リアの方から買わなかったんですか」
なぜかレネに責められた。
ご機嫌斜めらしく、マッサージの手つきが雑というか、痛い。
「だって……悪女契約とはなんの関係もないし……」
「そんなの気にしなくたっていいじゃないですか」
「……クレヴォワール侯爵家のためのものならまだしも、私の趣味みたいなものじゃない?」
「……趣味、ですか。でもそれならなおさら、五百万リアで買えば良かったんですよ」
冷たい。
レネが冷たい。
「怒ってるの?」
体を起こして、ベッドの上に座り込む。
同じようにベッドの上にいたレネと向き合う形になった。
「……怒っている……そうですね」
さっきまでは確かに目が吊り上がっていたと思う。
でも今のレネはなんだか、辛そう……ううん、悲しそうだ。
「今だけは領地のことを忘れてもいいと思うんですけどね」
(ああ……そういうことか)
ミレーニアは今、領地にいない。
何ができるわけでもないのに、それでも必死になっているから。
だから、レネは気にかけてくれているのだ。
でも……
「契約は二年よ。その後は、また領地に戻るのよ」
領地のことを忘れる必要はないと思う。
もちろん、悪女契約のことだって忘れていない。
平日には一生懸命、勉強して。
休日に、めいっぱい悪女になればいい。
「ね、そうでしょう?」
口の端を上げて、にっこりと笑ってみせたはずなのに。
レネは納得していないのか、首を左右に振る。
「それなら、今は、ノートもペンもインクも、全部、お坊ちゃまに払ってもらったらいいのでは?……というか、そもそも買う必要さえなかったと思うんですけどね」
領地から持って来たミレーニアのお小遣いは、決して多くない。
それを知っているから、レネは怒っているのだ。
(……でも、悪女契約には関係ないものだわ)
文房具を買ったのは、ここで得た知識を持ち帰るため。
それだって、ミレーニアが才女であれば、必要のないものだ。
本来なら買わなくてもいいものを、侯爵家の私費で支払ってもらうわけにはいかない。
「いいのよ。……それに、ちゃんと平民街で買ってきたから」
(まぁ……それでも、領地とは違って高かったけど)
物価の差だ。
貧乏伯爵領と華やかな王都。
平民とはいえ、生活水準が違う。
「……お嬢さま……」
レネがぐっと唇を噛んで、耐えているような表情をする。
どうしてあなたの方が泣きそうなの?
そんな顔されたら、こっちが悲しくなる。
「ねぇレネ、ここにいる間は、衣食住の心配はしなくていいし、しかも美味しいお菓子まで食べられるのよ、それなのにお金は要らないの」
お金が足りるか、足りないか。
……なんて考える必要もない。
与えられたものを、消費していくだけ。
だからこそ――
慣れてはいけない。
忘れてはいけない。
悪女契約が終われば、
ミレーニアは、ここから離れるのだ。
離れて、戻って。
そしてまた、お金の計算をして、領地のことを考えて。
そうやって領地のみんなと生きていくのだ。
その時には、もう。
(……あの人はいない)
当たり前みたいに、ミレーニアの隣に並んで。
強引に手を掴んでは、引っ張って。連れ回して。
貴族なのに、どこかズレている人。
でも、どんなにずれていたとしても。
ミレーニアと同じではない。
だから。
同じ場所には、いられない。
ミレーニアにとって、今いるここは、
夢なのだ。
キラキラの、輝く石と並んでいられるのは、ほんのわずかな時間だけ。
その辺の石ころが、ポンと蹴られて、ここに来たように。
また、ぽーんと、領地に……帰るんだ。
ミレーニアはレネに笑ってみせた。
怒らないでって。
そうして、レネの手を引いてベッドから下りて。
滑るようにやわらかな絨毯の上を移動する。
部屋の片隅、机の上に置いたままのノート。
水色の表紙には、キラキラと輝く魔樹の花の絵が描かれている。
「ね、安いのに意外と可愛いのよ」
それを手にして、掲げるようにして見せた。
「……そう、ですね」
レネが諦めたように、笑ってくれた。




