28、夜会の香り
壁際に移動できたことに、隣のヴェルナレット嬢は心底ほっとしているらしい。
ルシアンの腕に添えていた手の緊張が、随分とほぐれていた。
そうして、挨拶に来る貴族たちに、にこにこと愛想を振りまいている。
(……それにしても、鬱陶しいなぁ……)
ドレスには多少口出ししたが、髪型については訊かれなかったので、何も指定しなかった。
それを後悔している。
緩やかに結われているせいか、首筋に沿うように流れる幾筋かの髪。
うなじが少し見え隠れしているのも良くないのだろう。
不躾な視線が彼女へと向けられている。
仕方なく婚約者であることを示すため、そっと腰に手を添えた。
「……あの……何を?」
びくりと震えた彼女が、ギギギ……と音がしそうな、ぎこちなさでルシアンを見た。
「婚約者としての振る舞いだが?」
添える程度なので許して欲しい。
それに、他にも同じ距離感の者はいる。おかしなことではないと思う。
「……そう、ですか」
またギギギ……と彼女は顔の向きを元の位置に戻した。
その動きに合わせて、首元から香水の香りがするが、甘すぎて好きになれない。
彼女の甘さはこういうのではない。こんなねっとりとした甘さではない。
(いつも通りで別に良かったのに……)
夜会に合わせて香水を変える必要などない。
どうせ嗅ぐのはルシアンだけ。
つい、くんっと鼻を動かしそうになって、己を自制する。
これでは『変態』と言われても否定できなくなってしまう。
「ふう……」
隣で小さく息を吐く音。
ちょうど、挨拶の波が途切れたのだ。
「疲れているなら……」
腰に添えていた手を、支えるように少し寄せたところ、ミレーニア嬢の顔が勢いよく動いて
「大丈夫です!ヒール低いんで!!」
と謎の宣言を受けた。
別に人ひとりぐらい、騎士として支えることには慣れている。
抱えて運ぶことだってあるのだ。遠慮はいらないのだが……
「そうか……」
「……それより喉が渇きました」
たしかに。
彼女は、ここに来てから何も口にしていない。
グラスに注がれていたワインは、ルシアンが飲んだ。
「水を貰ってこよう」
しかし彼女を一人にするのは心配だ。
ジュールはこういう場には来たがらない。
馬車に置いてきたので、今頃のんびり寝ていることだろう。
どうしたものかと……周囲に視線を巡らせていると。
「お願いします……あ、私あっちで座ってますね」
彼女が示した先は、バルコニーで。
確かに外の空気が吸えて、気分も良くなるかもしれないが、少し薄暗い。
躊躇っていたのだが、彼女はこちらの返事など待つことなく、スタスタと歩いていってしまう。
(まぁ……近衛も配置されているから、大丈夫だろう)
ルシアンはそう判断し、バルコニーに向かう彼女の背中を見送った。




