26、女神の思惑
――クレヴォワール侯爵領
セラフィーヌは、部屋の窓から月明かりをぼんやりと眺めていた。
「……ルシアン君のことが心配?」
「心配……そうね……」
大きくて暖かい腕がセラフィーヌをやさしく包み込む。
ひとりで立たなくてはいけないと思っていたあの頃。
傍でいつも見守っていてくれた。
「それとも……義理の妹君になるかもしれない彼女のこと?」
真ん丸に見開かれた菫色の瞳。
僅かな時間でしかなかったが、違和感しかなかった。
そうして、アルマンとマルグリットから上がってくる報告は、それを払拭することなく、むしろ上塗りしていく。
「……ルシアンは、間違えてしまわないかしら」
あの子が、悪女などではない、ただの女性を傷つけてしまわないか、それだけが不安だった。
「ルシアン君には、すべて教えたのかい?」
「……いいえ」
どこまで伝えるか悩んだ。
あの子と、そしてヴェルナレット嬢のことを想えば、すべてを伝えるべきだったかもしれない。
でも、それではあの子は、ヴェルナレット嬢ときちんと向き合わないのではないかと。
自身の傲慢さに気づくこともなく。
その罪深さを知ることもなく。
ただ、契約を破棄して、終わらせてしまうのではないだろうか?
あの二人にとっては、それこそがもっとも傷が浅いのかもしれない。
けれど、セラフィーヌは別の道を望んでしまった。
もしかしたら、と勝手に選んでしまったのだ。
(……あの子は怒るかしら。いえ、気づきもしないかもしれない)
どこまでも愚かで、どこまでも可愛い弟。
「妬けるね」
青みを帯びた緑色の瞳が、セラフィーヌの顔を覗き込む。
「……何を仰ってるのかしら」
「たとえルシアン君とはいえ、君をそんなに悩ませるだなんて妬けるに決まっているだろう?」
ぐっと強く抱きしめられて、笑ってしまう。
(本当におかしな人)
婚約の始まりからして、おかしな人だった。
それでも、セラフィーヌにとっては唯一の人。
五年前。
やけくそのように結んだ契約は、今も続いている。
より強く、より熱く、より穏やかに。
「セラフィーヌ」
やわらかな声に、瞳を閉じる。
(……当主なんてどうだっていいのよ)
あの子が、幸せであれば。
幸せになれるなら、なんだっていいのよ。
セラフィーヌは、ゆっくりと瞼を上げる。
自身を見つめる瞳に微笑んで。
そっと腕をほどいて、机へと向かう。
そして――
ヴェルナレット嬢と、その領地に関する報告書を
引き出しの奥へとしまい込んだ。
それはルシアンには明かさなかった、
もうひとつの“真実”。




