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菫色の署名が導く悪女の契約。甘い悪夢は終わらない  作者: 星見蒼


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23、キラキラと石ころ

「……つ……疲れる」


クレヴォワール侯爵家にきて、おおよそ二か月。

新緑の季節となり、領地では農繁期に入る頃だ。


夜も冷え込むことがなくなり、部屋着の上にコートを羽織る必要もなくなった。


「お嬢さま~贅沢ですって」


就寝前、レネがマッサージしてくれるのが習慣となりつつある。

この二か月の間に、レネのメイドとしての技術が確実に上がっている。


ベッドにうつ伏せになっているミレーニアの体を、レネが丁寧にほぐしていく。


(ん~…気持ちいい……このまま寝れそう……)


領地にいた頃とは違って体を動かすことが減った。

それなのに、体に疲れが溜まっていく気がするのだ。


それを伝えたらレネがマッサージをしてくれるようになった。



「今日はどこに行かれたんでしたっけ?」

「……観劇と、カフェ?」


ルシアン様がお休みの日は、婚約者としての責務が発生する。

王都のあちこちに連れ回されるのだ。

騎士様は体力がおありなのだろう。一か所に留まることはあまりない。

最近は、観劇とカフェのセットが多いけど……


「楽しくなかったんですか?」

「ん~……」


綺麗なドレスを着て、にこにこと笑顔を張り付けて、たまにその辺の紳士に必要もなく挨拶して。


楽しいとか以前に、非常に疲れるのだ。

でも、楽しくないかと言われれば、それも違う


観劇の演目は話題のものだし、カフェも人気のところ。

面白いし、美味しい。


でも、疲れるものは疲れる。

それになにより――


目標の五百万リアを達成できていないのだ。


「……お菓子も、チケットも、お食事もルシアン様が支払ったら、どこでお金を使うのよ!!」

「あ~……」

「かといって、支払おうとするとルシアン様の面目が潰れるって……」

「坊ちゃま……子息様が仰ったんですか?」

「……ジュール様が」


不満そうなミレーニアの様子にいち早く気づいたのはジュール様の方で、笑われながら言われたのだ。


――支払うのは男の義務なんだ


意味が分からない。

いや、分かりたくもない。

そしたら、ミレーニアはどこで散財すればいいのか?

最初のドレスサロンの時だって


――まだ、君名義のカードができていない。


とかなんとか言われ、ルシアン様のカードで支払われてしまったのだ。


「……そう言えば、ドレスと宝飾品が増えていないようですけど?」

「う……」


レネが遠回しに言っているのは、ひとりでもドレスと宝飾品を買え、ということだろう。

今ならミレーニア名義のカードが手元にあるのだから。

だが、しかし……


怖いのだ。

ひとりで宝飾店とかミレーニアには無理だ。

ルシアン様と一緒にドレスサロンに行った時の、あの刺すような視線。


「……この小娘が何を買いに来たの?っていう、あれ!!」

「……被害妄想」

「違う!絶対に違う!!行けば分かるから」

「残念ながら一生行くことはないので、分からないままですね」

「う…うぅ……」


増やすことのできないまま、クローゼットはスカスカ。

ようやく増えた一着は、ルシアン様に買ってもらった夜会用のドレス。

つまりお支払いはルシアン様。

……五百万リアは一リアも減らない。


「でも、ほら。婚約者に散財させるっていう点では、成功ですし、二人で五百万リア使ったということでいいんじゃないですか?」


さっきからうつ伏せのまま、バタバタと足を上げて暴れていたせいで、マッサージは強制終了。


レネはいつものように、ベッドに座ってミレーニアの話を聞く姿勢になる。


……甘えているのは分かっている。

レネはもう自由時間のはずなのに、毎夜毎夜、ミレーニアのところに来てくれる。

マッサージを言い訳にして。


優しすぎて泣けてくる。


「……本当にそれでいいのかなぁ?」

「悪女と婚約している事実が重要なんですよね? だから坊ちゃまは熱心にデートを重ねているわけで」

「……そう、だよね」


熱心……

ルシアン様は真面目で一生懸命で。

ジュール様が教えてくれたけど、途中から騎士科に転向して、努力して騎士になったんだって。

それに対してルシアン様は、頭を使うよりも性に合っているって言ってたけど、努力したに決まっている。

たまに目にする手は、領地の魔物討伐隊の人たちと同じで、剣だこもあって、硬そうだった。


そんなルシアン様だから、婚約者として真面目に向き合ってくれる。


「……楽しいんだけどね」


観劇も、その後のカフェも。


淡々とした観劇の感想を聞くのも。

甘いものが好きらしく、あまり変わらなそうな表情でも、よく見ると目元が少し下がっているのを見るのも。


楽しくないわけがない。


「……私、死んじゃうんじゃないかしら?」

「唐突に何を?」

「だってさぁ……信じられないほど幸せじゃない?」

「……そう、ですね」


クレヴォワール侯爵家の皆さんは優しいし。

レネも優しいし。

……ルシアン様も、おそらく優しいんだと思う。


優しさに包まれて、甘やかされて。

死ぬ前の夢なんじゃないかと、寝る前にふと考えてしまう。


「ね、どうしよう……なんの病気なのかなぁ?」

「……そうなると、もっと楽しい夢を見なくちゃいけませんね」

「え?これ以上?」


どんな夢があるのか?

これ以上の幸せとは?


レネを見れば、ぎゅっと抱きしめられた。


「まずは夜会ですね」

「……それはどっちかというと悪夢なんだけど」


そう返せば、レネはクスクスとおかしそうに笑う。

笑い事じゃない。


――婚約者として出席して欲しい


冷たく輝くアイスブルーの瞳。

でも申し訳なさそうに眉が下がっていた。


少しずつ、少しずつ、剥がれていくルシアン様の外側。

ジュール様といる時、アルマンさんと話している時、マルグリットさんから視線を向けられている時。


どこか子供っぽくて、目が離せなくなる。


キラキラして眩しくて。


それは、子供の頃見つけた、小さな小さな石ころの、透明な輝きのようで。

手放したくないと、ぎゅっと掌で閉じ込めた、あの凸凹の温かさ。

握りしめた手のひらの中を見れば、いつだってキラキラしていた。


――あんなキラキラの隣に立つのは嫌だ。


同じ石ころだったとしても、こちらは輝かない、見向きもされない石ころだ。


それでもあのキラキラは、『隣に立っていてくれれば、それでいい』というのだ。


ダンスはしませんって言っても。

ヒールは無理ですって言っても。


――裸足を避けてくれれば。……足首は見えないようにしてくれ


ミレーニアを何だと思っているのか。

そこまで常識知らずではない。


でも、それなら。

石ころのままで、いいというのであれば。


ミレーニアは頷いた。


――ありがとう


あいかわらず、キラキラと。

光に反射するかのように、キラキラと眩しかった。

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