21、アメジストの夜
「良かったですね」
「ん!満足のいく契約だったわ」
レネが寝具を整え終えた。
最近は髪まで梳いてもらっている。
至れり尽くせりに慣れてしまっている自分が少し怖い。
でもレネが嬉しそうに笑っているから、たぶん、このままでいいのだろう。
「それでは、本日もおやすみなさい」
「……おやすみなさい」
櫛が化粧台に戻されて、ポンポン背中と頭を撫でられる。
寂しい気持ちが透けてしまっているのだろうか?
ミレーニアはもう、十八歳で成人だ。
寂しくても笑うことくらいできる。
化粧台の鏡に映った自分は、ちゃんと笑っている。
……はず。
そっと化粧台の扉を閉め、部屋をぐるりと見渡す。
――ひとりの夜は静か。
お母さんの寝息が聞こえない。
煩いと思ったことはないけど、聞こえないだけでこんなに静かだと思わなかった。
素足のまま、絨毯の上を移動する。
やわらかい。あたたかい。
くるくる、くるくる。回ってみる。
誰もいない部屋で、ひとりで回っても、全然楽しくならない。
楽しいことがあったのに。
嬉しいことがあったのに。
契約は、ばっちりだった。
化粧品とハンドクリームは、侯爵家で買ってくれる予定になっているし、ついでにインク落としもお買い上げ。
ベルモンさんはクレヴォワール侯爵家と繋がりができて、とっても喜んでくれたし、領地の話もこっそりと教えてくれた。
それに。
――ああ……そうだ。お嬢さま、そのドレス大変よくお似合いですよ。
ベルモンさんが帰る間際に、思い出したように伝えてくれた。
そっとクローゼットへと向かう。
そこには今日買ったドレスが仕舞われている。
初めて行ったドレスサロン。
領地のお店とは大違い。
そもそも今の領地にドレスサロンなんて無い。
昔はあったようだけど、あの地脈振動のせいで、そういった高級店は領地から引き揚げてしまった。
広い店内に、色とりどりのドレス。
ふわりふわりと軽やかに。
きらきらと華やかに。
目にも眩しいそれに気圧された。
訪れている人たちも、当たり前だけど貴族の方ばかりで、豪華なドレスを身に纏っていた。
……ドレスの付属品だったのは、ミレーニアだけ。
場違いだって、お店に入ってすぐにわかった。
向けられた視線の鋭さ。
それでも、あの中を歩けたのは、自分が悪女だから。
男の人に声を掛けて、五百万リアを消費するという重要な任務があったから。
だから、ルシアン様が近くに来ても、なんとか耐えることができた。
ドレスの良し悪しなんて正直分からなくて、
この間と同じようにとりあえず一番高そうな物を手にして、
広い広い試着室に詰め込まれて、
そうして、わざわざルシアン様の前に出されて。
――いかがでしょうか?
ミレーニアの意見なんて、あの人たちにはいらなかったのかもしれない。
あの人たちが知りたかったのは、ルシアン様の反応だけ。
まぁ、それでもいいかと思っていた。
別にドレスなんてなんだっていい。
侯爵家に相応しく、悪女として成り立つならなんだって。
それなのに。
――あれは?
ルシアン様が示したのは、密かにミレーニアが気にしていたドレスだった。
小さく菫の花が刺繍されていて、とても可愛らしくて。
でも、可愛すぎてミレーニアには合わない。
ワンピースを買う時も、なるべくシンプルなものを選ぶようにしている。
店員さんが、一瞬困ったような顔をしたのが見えた。
だからすぐに。
『可愛いのは、似合わないんです』
そう言ったのに。
ルシアン様は、じっとミレーニアを見て、考え込んで。
それから、そのドレスを手に取って、ミレーニアの横に立つ。
ドレスがミレーニアにあてられた。
ルシアン様との距離が近すぎて、さわやかな香りが鼻から全身を駆け抜けていく。
――色はそこまでおかしくないし、この菫の花も可愛らしいと思うが……
確かに似合っていないなぁ……
耳元でなんとも残酷なことを言われた。
鏡に映っているのは、見慣れた平凡な顔と、キラキラと眩しいルシアン様。
ドレスよりも、何よりも似合っていない。
――彼女に似合わせることはできないのか?
まさかの無茶ぶりだ。
己が無理難題を言ったなどと、これっぽちも思っていない涼し気な顔。
凄すぎると思った。
その後、店員さんたちは必死にミレーニアに似合わせようとしていた。
上にストールを羽織らせたり、甘さを少しそぎ落す方法を教えて下さったり。
どうせなら、ちょっとデザインを変えようかとか。
ミレーニアにとっては、いたたまれない時間が流れていく。
ちらりと、ルシアン様を見れば、非常に満足げ。
ちなみにジュール様は笑っていたし、マルグリットさんは大きくため息を吐いていた。
(……変な人)
初めてのお出かけで分かったのは、それ。
ルシアン様は、まっすぐにミレーニアを見た。
似合っていない事実も込みで、まっすぐに。
その辺の石ころみたいなミレーニアを、きちんと見てくれて、石ころにも合うドレスを探そうとしてくれた。
まぁ……他力本願だったけど。
それでも、ミレーニアにとっては、初めてのことだった。
あんな綺麗な瞳がずっと自分を映すのだ。
ドキドキして当たり前ではないだろうか?
こんなの、自分には一生縁の無いものだと思っていた。
平民でも貴族でもない自分は、中途半端で、誰にも需要がない。
それなのに、こんな夢を見させられて……
ぎゅうっと目を閉じた。
瞼の裏に、眩しい銀色とアイスブルーが浮かぶ。
「……そうね。夢なんだから楽しまなくっちゃ」
たくさんのドレスも、あの綺麗な人も。
いつかは消えてなくなる。
贅沢で幸せな夢。
「ふふ……眠れそう。きっと最高の夢が見れるわ」
ミレーニアはクローゼットの扉をゆっくりと閉める。
ビロードの絨毯の上を、くるくる、くるくる、踊りながらベッドへと辿り着く。
ぽふんと跳ね返すスプリング。
「……幸せ、だわ」
息が詰まる。
苦しい。
ゆっくりと息を吐く。
大丈夫。
大丈夫。
……まだ、全然、大丈夫。




