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菫色の署名が導く悪女の契約。甘い悪夢は終わらない  作者: 星見蒼


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21/70

21、アメジストの夜

「良かったですね」

「ん!満足のいく契約だったわ」


レネが寝具を整え終えた。

最近は髪まで梳いてもらっている。

至れり尽くせりに慣れてしまっている自分が少し怖い。

でもレネが嬉しそうに笑っているから、たぶん、このままでいいのだろう。


「それでは、本日もおやすみなさい」

「……おやすみなさい」


櫛が化粧台に戻されて、ポンポン背中と頭を撫でられる。

寂しい気持ちが透けてしまっているのだろうか?


ミレーニアはもう、十八歳で成人だ。

寂しくても笑うことくらいできる。


化粧台の鏡に映った自分は、ちゃんと笑っている。

……はず。


そっと化粧台の扉を閉め、部屋をぐるりと見渡す。


――ひとりの夜は静か。


お母さんの寝息が聞こえない。

煩いと思ったことはないけど、聞こえないだけでこんなに静かだと思わなかった。


素足のまま、絨毯の上を移動する。


やわらかい。あたたかい。


くるくる、くるくる。回ってみる。


誰もいない部屋で、ひとりで回っても、全然楽しくならない。


楽しいことがあったのに。

嬉しいことがあったのに。


契約は、ばっちりだった。

化粧品とハンドクリームは、侯爵家で買ってくれる予定になっているし、ついでにインク落としもお買い上げ。

ベルモンさんはクレヴォワール侯爵家と繋がりができて、とっても喜んでくれたし、領地の話もこっそりと教えてくれた。

それに。


――ああ……そうだ。お嬢さま、そのドレス大変よくお似合いですよ。


ベルモンさんが帰る間際に、思い出したように伝えてくれた。


そっとクローゼットへと向かう。

そこには今日買ったドレスが仕舞われている。


初めて行ったドレスサロン。

領地のお店とは大違い。

そもそも今の領地にドレスサロンなんて無い。

昔はあったようだけど、あの地脈振動のせいで、そういった高級店は領地から引き揚げてしまった。


広い店内に、色とりどりのドレス。

ふわりふわりと軽やかに。

きらきらと華やかに。

目にも眩しいそれに気圧された。

訪れている人たちも、当たり前だけど貴族の方ばかりで、豪華なドレスを身に纏っていた。


……ドレスの付属品だったのは、ミレーニアだけ。

場違いだって、お店に入ってすぐにわかった。

向けられた視線の鋭さ。

それでも、あの中を歩けたのは、自分が悪女だから。

男の人に声を掛けて、五百万リアを消費するという重要な任務があったから。


だから、ルシアン様が近くに来ても、なんとか耐えることができた。


ドレスの良し悪しなんて正直分からなくて、

この間と同じようにとりあえず一番高そうな物を手にして、

広い広い試着室に詰め込まれて、


そうして、わざわざルシアン様の前に出されて。


――いかがでしょうか?


ミレーニアの意見なんて、あの人たちにはいらなかったのかもしれない。

あの人たちが知りたかったのは、ルシアン様の反応だけ。

まぁ、それでもいいかと思っていた。

別にドレスなんてなんだっていい。

侯爵家に相応しく、悪女として成り立つならなんだって。


それなのに。


――あれは?


ルシアン様が示したのは、密かにミレーニアが気にしていたドレスだった。

小さく菫の花が刺繍されていて、とても可愛らしくて。

でも、可愛すぎてミレーニアには合わない。

ワンピースを買う時も、なるべくシンプルなものを選ぶようにしている。


店員さんが、一瞬困ったような顔をしたのが見えた。

だからすぐに。


『可愛いのは、似合わないんです』


そう言ったのに。

ルシアン様は、じっとミレーニアを見て、考え込んで。

それから、そのドレスを手に取って、ミレーニアの横に立つ。


ドレスがミレーニアにあてられた。

ルシアン様との距離が近すぎて、さわやかな香りが鼻から全身を駆け抜けていく。


――色はそこまでおかしくないし、この菫の花も可愛らしいと思うが……

確かに似合っていないなぁ……


耳元でなんとも残酷なことを言われた。


鏡に映っているのは、見慣れた平凡な顔と、キラキラと眩しいルシアン様。

ドレスよりも、何よりも似合っていない。


――彼女に似合わせることはできないのか?


まさかの無茶ぶりだ。

己が無理難題を言ったなどと、これっぽちも思っていない涼し気な顔。

凄すぎると思った。


その後、店員さんたちは必死にミレーニアに似合わせようとしていた。

上にストールを羽織らせたり、甘さを少しそぎ落す方法を教えて下さったり。

どうせなら、ちょっとデザインを変えようかとか。


ミレーニアにとっては、いたたまれない時間が流れていく。

ちらりと、ルシアン様を見れば、非常に満足げ。

ちなみにジュール様は笑っていたし、マルグリットさんは大きくため息を吐いていた。


(……変な人)


初めてのお出かけで分かったのは、それ。


ルシアン様は、まっすぐにミレーニアを見た。

似合っていない事実も込みで、まっすぐに。


その辺の石ころみたいなミレーニアを、きちんと見てくれて、石ころにも合うドレスを探そうとしてくれた。

まぁ……他力本願だったけど。


それでも、ミレーニアにとっては、初めてのことだった。

あんな綺麗な瞳がずっと自分を映すのだ。

ドキドキして当たり前ではないだろうか?


こんなの、自分には一生縁の無いものだと思っていた。

平民でも貴族でもない自分は、中途半端で、誰にも需要がない。


それなのに、こんな夢を見させられて……


ぎゅうっと目を閉じた。

瞼の裏に、眩しい銀色とアイスブルーが浮かぶ。


「……そうね。夢なんだから楽しまなくっちゃ」


たくさんのドレスも、あの綺麗な人も。

いつかは消えてなくなる。

贅沢で幸せな夢。


「ふふ……眠れそう。きっと最高の夢が見れるわ」


ミレーニアはクローゼットの扉をゆっくりと閉める。

ビロードの絨毯の上を、くるくる、くるくる、踊りながらベッドへと辿り着く。


ぽふんと跳ね返すスプリング。


「……幸せ、だわ」


息が詰まる。

苦しい。


ゆっくりと息を吐く。


大丈夫。

大丈夫。


……まだ、全然、大丈夫。

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