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『領地から一歩も出てないのに悪女!? 契約書は読み慣れてますが、ひと月500万リアの契約婚約って……私生児の私にどうしろと?』  作者: 星見蒼


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2、契約の思惑

「意外と可愛らしい方でしたね。想像とは違って」


ヴェルナレット嬢の足音が遠のいた頃、ジュールが口を開いた。


「想像って……」


ルシアンは組んでいた足を崩して、ソファに寝転がる。

家令のアルマンが窘めるような視線を向けてくるが、気づかないふりをした。


「もちろん、魅惑の肢体ですよ」


ジュールの指が、宙に柔らかな曲線を描く。

それはルシアンがミレーニアに対して、勝手に抱いていた印象と同じだった。


――ヴェルナレット家の悪女


それが、ミレーニア・ド・ヴェルナレットの通り名だ。


伯爵に認知された私生児でありながら、大人しく慎ましく生活をしているわけでもなく、王都で奔放に過ごしているらしい。

“悪女”と呼ばれているのは、そのせいだ。


(問題がありすぎるから、社交の場には出せないと聞いていたが……)


「あれで数多の男を惑わせているなんて、相当ですよ」


にんまりと笑うジュールに、自分も同じことを思ったなどと絶対に悟られたくない。

無言を貫いていると、ジュールが下世話すぎる感想を漏らす。


「健康的な肌ってのもいいもんですしね」


さすがに注意すべきかとルシアンが口を開くよりも早く、アルマンの鋭い声が飛んだ。


「いい加減にしなさい。……契約とはいえ坊ちゃまの婚約者ですよ」

「おっと……そうだった」

「……坊ちゃまはやめろ」

「失礼しました」


そこで終わるかと思えたアルマンの説教は、ルシアンへと矛先を変える。


「当主になりたくないからと、悪女と噂される女性と契約婚約をしようだなんて……子供じみた真似をなさいますので、つい」


口の端は上がっているが、目は笑っていない。

姉がお目付け役として王都に送り込んできた家令は、実にスマートな男である。


「仕方ないだろう?……こうでもしないと姉上は俺に家督を譲る気だ」

「それでよろしいではありませんか」


アルマンも結局は姉と同じだ。

正当な当主はルシアンだと譲らない。


――五年前、両親が亡くなり、姉は文官を辞めて当主代理となった。

そして今、二十歳となったルシアンにその地位を譲ろうとしている。


姉が当主の仕事なんてもう嫌だ。辞めたいというなら、ルシアンは喜んで引き受ける。

だが、違う。

姉は当主の仕事が、領地の経営が好きなのだ。

それを何一つ苦労することなく、ただ「男である」というだけでルシアンが奪うのだ。

例え姉がそう望んでいたとしても、いや望んでいるからこそ、ルシアンは受け入れられない。


「まぁいいじゃん。とりあえずルシアンが婚約したんだからさ」


明るく呑気に割り込んでくるジュールに、アルマンの目が細く鋭くなる。


「……いいですか。あの方は悪女だとしてもルシアン様の婚約者ですからね」

「分かってるよ。いくら僕でもルシアンの婚約者には手を出さないって」

「……信用できませんが」

「なにそれ?僕がいつ、ルシアンの彼女に手を出したの?」

「……そもそもルシアン様には、お付き合いなさった女性がいらっしゃいません」

「それだけ聞くとルシアンって可哀想な男だな」

「……言ってろ」


ジュールが喋り出すと、常に話が逸脱する。

アルマンがくどくどとジュールに説教をしているのを眺めながら、改めて婚約を申し込んだ相手のことを考える。


健康的な肌。栗色の髪。

じっと契約書を見つめていた瞳は、菫色。

妖艶などとは程遠い、瞳の色と同じ菫のような純朴そうな女性だった。


「……悪女、か」


噂を疑わしく思ってしまう、それ自体が悪女の魅力なのかもしれない。


(気をつけないとな……)


自分は姉ほど、冷静でも理知的でもない。

感情的で、アルマンの言葉を借りれば「子供じみている」のだから。


悪女と契約したのは、あくまでも「当主に相応しくない」と判断されるため。

ルシアン自身に傷がつくのは構わないが、姉が守り続けている家名に傷などつけるわけにはいかない。


だからこそ、正式な婚約証書とは別に、独自の契約書も用意したのだ。


「彼女、きっちり契約書読んでましたね」

「……そうだな」


書面の文字を丁寧に追いかけていた指は、普段目にする貴族令嬢と比べると違和感があった。


(肌の色……だけではなくて――)


「愛人契約とかあるんですかねぇ」


ジュールの一言が、ルシアンの思考を断ち切った。


「……あったとしても、こちらの契約が優先だ」

「男との付き合いは厳禁、散財は許す。って書いてあってビックリですよ」

「全くです。それは許すべきではありません」

「悪女として契約を結んだんだ、それくらいは許すさ。……まぁ、上限はあるが」

「当然です」


アルマンの目が相変わらず冷たくこちらを見ていた。

その何か言いたげな目にうんざりしながら、話題を変える。


「アルマン、姉上には報告済みか?」


ルシアンの問いに、アルマンの口元が再び形ばかりの笑みを見せた。

寒気すら覚えるそれに、ルシアンは弾かれたように体を起こす。


「ええ、報告しました。今頃、ヴェルナレット嬢と対面されているかと思われます」

「何故、言わない!!」


ルシアンは乱暴にドアを開け、部屋を飛び出した。



その背中に――いや、残像に向けて、アルマンは淡々と返す。


「何故と言われましても……セラフィーヌ様から、ルシアン様に内緒にするよう仰せつかっておりましたから」

「……ルシアンはもういないけど?」

「訊かれた以上はお答えしなくてはいけませんからね」

「あ~……ほんとアルマンは敵に回したくないなぁ」


主のいなくなった部屋で、ジュールが呆れたように肩を竦めてみせた。

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