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菫色の署名が導く悪女の契約。甘い悪夢は終わらない  作者: 星見蒼


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14、悪女と三人の顧客たち

「……そして、こちらが『下地』になります」


ヴェルナレット嬢が差し出したのは、手のひらサイズの、飾り気のない丸い木製のケース。

それをクララが受け取り、中身を手の甲に伸ばす。

その瞬間、クララが感嘆の声を上げた。


「え~、サラサラ~!」

「ちょっと見せて。……本当だわ。でも、これで一日持つんですか?」


クララの横でサビーヌも同じように手の甲に塗る。


「持ちます! 恐ろしいことに持つんです!!」


得意げに頷くのはレネ。

すぐさまクララとサビーヌが矢継ぎ早に質問を浴びせる。


「レネって確かメイドよね?」

「はい、そうです」

「メイドって、力仕事とかも多いわよね?」

「はい、外で目いっぱい働くこともあります」

「それで本当に一日持つの?」

「この季節なら十分です!」


ふふんと鼻まで鳴らすレネと、

うんうんと大きく頷くヴェルナレット嬢。



マルグリットの頭の中に、疑問符が増えていく。


(……おかしいわ。こんなはずではなかったのに)


この部屋に来た目的は、ヴェルナレット嬢を侯爵家の婚約者として相応しい姿に整えること。

侍女をつけ、支度を整えさせる――ただ、それだけのはずだった。

……どうしてこうなったのか。


賑やかに盛り上がる四人を横目に、マルグリットはそもそもの始まりを思い返した。



◇ ◇ ◇



マルグリットは、侍女二人サビーヌとクララを連れて、ヴェルナレット嬢の客室を訪れた。

すでに着替えを終えたヴェルナレット嬢は、大人しく化粧台の椅子に座っていた。


(……よりによって、それをお召しですか……)


昨日購入したばかりの深紅のドレス。

本来なら体の線が綺麗に出て、胸元の大きな薔薇が美しく映える。

だが、着こなせているとは言い難い。


(コルセットをしていないのだから当然だわ。

背が高くてすらっとしているから……辛うじて形にはなっているけれど)


顔立ちは華やかではないが、スタイルは良い。

似合うドレスを着て、化粧で整えれば、それなりの淑女に仕上がるはず。


「化粧道具はどちらですか?」


ヴェルナレット嬢の傍に控えるレネに尋ねる。

すると、化粧台の前にいたヴェルナレット嬢が、化粧品をひとつずつ取り出した。


「これが化粧水で、こっちが保湿液。下地に、頬紅と口紅です」


置かれたのは、飾り気のないガラスの瓶が二本と、丸い木製のケースが三つだけ。


「他には……?」


マルグリットの問いに、ヴェルナレット嬢が「以上です」と返す。

大人しく聞いていたクララが小さく「それだけ?」と呟き、サビーヌが慌ててクララを肘でつつく。

だが反応したのは二人だけではなかった。


「「そうなんです! これだけなんです!!」」


ヴェルナレット嬢は興奮した様子でレネの腕を取ると、袖をめくり、小さなほくろの上にぐりぐりと塗り込んだ。

肌の色がわずかに薄くなり、ほくろが目立たなくなる。


「見てください! これだけでここまで消えて、しかも薄付き」

「え~すごい、すごいわ」


クララは目を輝かせ、サビーヌも息を呑む。

マルグリットは侍女頭として止めたいが、薄付きでここまで綺麗になるのは正直気になる。

侍女は派手な化粧ができない。この程度の薄さなら理想的だ。

しかもヴェルナレット嬢の鼻のそばかすも、この下地でほとんど目立たなくなっている。


――それが、判断を遅らせた。


「お試しになりますか?」


くるりと声をかけられ、マルグリットは一瞬だけ躊躇した。

その隙にクララが勢いよく


「はい!!」


と飛びついてしまった。

隣でサビーヌも慌てたが、クララを止める手はどこか弱い。


「では……」


ヴェルナレット嬢は部屋を見渡し、ソファへと誘導する。

レネが慣れた手つきで化粧品をローテーブルに並べた。


「どうぞ座ってください」


にこにことヴェルナレット嬢がソファを勧めるが、さすがに二人とも困り果てていた。


「立ったままだとやりづらいです」


そうまで言われてしまえば、二人は従わざるをえず、ヴェルナレット嬢の向かいのソファに並んで座る。

そして二人の視線が、躊躇うようにマルグリットに向けられた。

もちろん、マルグリットは座るつもりはなく、ヴェルナレット嬢の背後に立とうとしたのだが。


「マルグリット様は、こちらに」


ぽんぽんと横を示され、マルグリットは固まる。


(……いえ、その前に)


「わたくしは侍女頭ですから、『様』は要りません」


声が少し硬くなった。

マルグリットは自覚している。声質のせいで侍女たちに怯えられることもある。


「あ……ごめんなさい」


ヴェルナレット嬢はしゅんと項垂れた。


(あ……悪女だわ)


罪悪感が半端なく、つい浮かんだ言葉が”それ”だった。

なにせマルグリットの主たちは、どちらも凛としていて……いえ、坊ちゃまは凛としたところもおありだが、可愛らしくもある。


(……坊ちゃまによく似てらっしゃる?)


なぜかマルグリットには、ソファに寝転がる坊ちゃまと、申し訳なさそうに眉を下げているヴェルナレット嬢が重なった。


「いえ……気を付けていただければ」

「分かったわ。マルグリットさんは、ここ」


下がっていた眉がふっと緩み、にこにこと見上げられる。

坊ちゃまに弱いマルグリットが、よく似た(……ように見える)ヴェルナレット嬢を拒絶できるわけもなく。


「……失礼いたします」


彼女の隣に、そっと腰を下ろす。



――気つけば、三人揃って“顧客”になっていた。

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