10、悪女一日目の朝
「…さ…ま……じょ……お嬢さま!!」
強く揺さぶられて、唐突に意識が覚醒する。
ハッと目を開ければ、見慣れない光景が広がっている。
ベッドを覆う大きな天蓋。その裏には、美しく精密な文様が刻まれている。
体はふかふかと心地よく沈み、掛け布団も驚くほど軽いのに温かい。
「……え?天国?」
「違います。……ここはクレヴォワール侯爵家のお屋敷です」
ミレーニアの顔を覗き込んでいるレネによって、現実に引き戻された。
(……あぁ……そうだった。夢なら良かったのに……あんな綺麗な人の婚約者だなんて、最高の夢なのに)
だが、残念ながら夢ではないのだ。
「……今、何時?」
「九時です」
「は……はい!?」
寝坊もいいところではないだろうか?
いや、『何時に起きてください』とか、『何時から朝食です』とかは言われていないけど、どう考えても寝過ぎでは?
顔面蒼白になっているミレーニアを気遣ってか、レネが「どうどう」と落ち着かせるように背中を叩いた。
「大丈夫です。お嬢さま」
「……ほんとうに?」
「ええ、おぼっちゃま……じゃなかった、子息様はとうにお仕事に出掛けられましたが……」
「ほらぁ……全然間に合ってないじゃない!!っていうか、おぼっちゃまって?」
「皆さま、裏ではそうお呼びでしたので、つい」
「裏って……」
「おぼっちゃまの前では口が裂けても言ってはいけないそうです」
「……レネは口が軽いからやめた方がいいと思う」
「そうですね。余所様のおぼっちゃまですし、子息様とお呼びします」
レネはにっこりと笑いながら、ミレーニアを最高の寝具から引き剥がす。
そしてクローゼットの扉を開けた。
「おそらく、こちらのドレスを着ないといけないかと……」
「嘘でしょ!?……そんなのどうやって着るのよ」
「侍女頭のマルグリット様から、『必要であればいつでも侍女を回します』と言われてます」
「ううう……。お願いしたいけど……絶対にボロが出そう」
「……」
レネがクローゼットからドレスを一着取り出す。
幾重もの布がこれでもかと重ねられていて、とっても豪華だ。
「はい、お嬢様」
「あ、ありがと……って、え?なにこれ!!」
差し出された布の塊を受け取った瞬間、ミレーニアの腕に予想以上の負荷がかかる。
「重い。ねえレネ、これ中に魔石か何かが詰まってるの?」
「いいですね。夢がありますね。あ、ここに宝石ついてますよ」
「嘘でしょう?え?昨日のセラフィーヌ様はこんな重い物をつけて、あんな優雅に動いてたの!?」
女神のように軽やかだったセラフィーヌの姿が脳裏に浮かぶ。
「そのようですね……どうします?」
「……でも着ないといけないんでしょ?」
「まぁ……わたしたちが持って来たワンピースは、さすがに侯爵家では無理では?」
「そうよね……」
トランクの中で眠っている、ミレーニアの普段着。
ワンピースだって多くは持っていない。
綺麗に洗って、何度も何度も着まわしてきたものだ。
それを、この豪華な侯爵家で着るわけにはいかないだろう。
「コルセットはどうします?」
レネの視線が、ちらりとクローゼットのコルセットへと向けられる。
「どうしますって……レネ、できる?」
「無理です。あれ、ちらっと見たんですけど、紐が幾重にもあってですね……」
「レネ意外と不器用だもんね」
「力業は得意なんですけどね」
「私も人のこと言えないけど」
領地での日々がよぎる。
レネの繕い物の腕は上がらない。安定しない。ミレーニアの方がまだマシのレベルだ。
「コルセット無しでいきましょう」
ということで、レネに重いドレスを持ってもらいながら、着ることに成功した。
「なんとかなったわね」
「……お嬢さま、これをなんとかなったと言うのは……」
鏡に映るミレーニアの姿は、無理やり着た感が否めない。
肩は合っていないし、腰の位置もずれている。
だが、これ以上どうしようもない。
「なんとかなったの!これでいいの!」
「そ……そうですね……あっ!!」
ミレーニアに哀れな視線を向けていたレネが、大きな声を上げた。
「なに?」
「ドレスを着ることに必死になりすぎて、顔を洗ってません」
「……えぇ~、やり直し~……?」
「ちょうどいいですね。もう一度チャレンジです。一旦脱いで、顔を洗いましょう」
「……ううう」
「ほら……なんでしたっけ。急いては事を仕損じる、です」
「うう~ん、そうなんだけどさあ…………」
「では、七転び八起き」
「……あと七回もチャレンジしたくない」
前途多難としか思えない状況で、二日目がスタートしたのだった。




