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菫色の署名が導く悪女の契約。甘い悪夢は終わらない  作者: 星見蒼


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10/70

10、悪女一日目の朝

「…さ…ま……じょ……お嬢さま!!」


強く揺さぶられて、唐突に意識が覚醒する。

ハッと目を開ければ、見慣れない光景が広がっている。


ベッドを覆う大きな天蓋。その裏には、美しく精密な文様が刻まれている。

体はふかふかと心地よく沈み、掛け布団も驚くほど軽いのに温かい。


「……え?天国?」

「違います。……ここはクレヴォワール侯爵家のお屋敷です」


ミレーニアの顔を覗き込んでいるレネによって、現実に引き戻された。


(……あぁ……そうだった。夢なら良かったのに……あんな綺麗な人の婚約者だなんて、最高の夢なのに)


だが、残念ながら夢ではないのだ。


「……今、何時?」

「九時です」

「は……はい!?」


寝坊もいいところではないだろうか?

いや、『何時に起きてください』とか、『何時から朝食です』とかは言われていないけど、どう考えても寝過ぎでは?

顔面蒼白になっているミレーニアを気遣ってか、レネが「どうどう」と落ち着かせるように背中を叩いた。


「大丈夫です。お嬢さま」

「……ほんとうに?」

「ええ、おぼっちゃま……じゃなかった、子息様はとうにお仕事に出掛けられましたが……」

「ほらぁ……全然間に合ってないじゃない!!っていうか、おぼっちゃまって?」

「皆さま、裏ではそうお呼びでしたので、つい」

「裏って……」

「おぼっちゃまの前では口が裂けても言ってはいけないそうです」

「……レネは口が軽いからやめた方がいいと思う」

「そうですね。余所様のおぼっちゃまですし、子息様とお呼びします」


レネはにっこりと笑いながら、ミレーニアを最高の寝具から引き剥がす。

そしてクローゼットの扉を開けた。


「おそらく、こちらのドレスを着ないといけないかと……」

「嘘でしょ!?……そんなのどうやって着るのよ」

「侍女頭のマルグリット様から、『必要であればいつでも侍女を回します』と言われてます」

「ううう……。お願いしたいけど……絶対にボロが出そう」

「……」


レネがクローゼットからドレスを一着取り出す。

幾重もの布がこれでもかと重ねられていて、とっても豪華だ。


「はい、お嬢様」

「あ、ありがと……って、え?なにこれ!!」


差し出された布の塊を受け取った瞬間、ミレーニアの腕に予想以上の負荷がかかる。


「重い。ねえレネ、これ中に魔石か何かが詰まってるの?」

「いいですね。夢がありますね。あ、ここに宝石ついてますよ」

「嘘でしょう?え?昨日のセラフィーヌ様はこんな重い物をつけて、あんな優雅に動いてたの!?」


女神のように軽やかだったセラフィーヌの姿が脳裏に浮かぶ。


「そのようですね……どうします?」

「……でも着ないといけないんでしょ?」

「まぁ……わたしたちが持って来たワンピースは、さすがに侯爵家では無理では?」

「そうよね……」


トランクの中で眠っている、ミレーニアの普段着。

ワンピースだって多くは持っていない。

綺麗に洗って、何度も何度も着まわしてきたものだ。

それを、この豪華な侯爵家で着るわけにはいかないだろう。


「コルセットはどうします?」


レネの視線が、ちらりとクローゼットのコルセットへと向けられる。


「どうしますって……レネ、できる?」

「無理です。あれ、ちらっと見たんですけど、紐が幾重にもあってですね……」

「レネ意外と不器用だもんね」

「力業は得意なんですけどね」

「私も人のこと言えないけど」


領地での日々がよぎる。

レネの繕い物の腕は上がらない。安定しない。ミレーニアの方がまだマシのレベルだ。


「コルセット無しでいきましょう」


ということで、レネに重いドレスを持ってもらいながら、着ることに成功した。


「なんとかなったわね」

「……お嬢さま、これをなんとかなったと言うのは……」


鏡に映るミレーニアの姿は、無理やり着た感が否めない。

肩は合っていないし、腰の位置もずれている。

だが、これ以上どうしようもない。


「なんとかなったの!これでいいの!」

「そ……そうですね……あっ!!」


ミレーニアに哀れな視線を向けていたレネが、大きな声を上げた。


「なに?」

「ドレスを着ることに必死になりすぎて、顔を洗ってません」

「……えぇ~、やり直し~……?」

「ちょうどいいですね。もう一度チャレンジです。一旦脱いで、顔を洗いましょう」

「……ううう」

「ほら……なんでしたっけ。急いては事を仕損じる、です」

「うう~ん、そうなんだけどさあ…………」

「では、七転び八起き」

「……あと七回もチャレンジしたくない」


前途多難としか思えない状況で、二日目がスタートしたのだった。

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