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菫色の署名が導く悪女の契約。甘い悪夢は終わらない  作者: 星見蒼


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9、幕間―女神の洞察

夜道を進む馬車の中。

魔光灯の小さな光の下、セラフィーヌはルシアンから奪い取った書類を読んでいた。


(……本当に、いつまで経っても子供なのね……)


ため息とともに、五年前の記憶が蘇る。


両親が亡くなり、家を継ぐためにセラフィーヌは婚約した。

家を守るための犠牲に近い契約。それに当時十五歳だったルシアンは激怒し、あろうことかセラフィーヌの婚約者に向けて暴言を吐いたのだ。

『姉上にお前のようなおじさんは相応しくない!』と。

確かに相手はセラフィーヌより七つも年上で二十七歳。十五歳のルシアンからすれば……いや、それでも十五歳にもなって、そんな失礼なことを平然と言うなんて、あまりのことに愕然としたのを、今でも忘れられない。


(でもまさか……今も変わらないなんて……)


ルシアンが交わした婚約契約書の内容を眺めていると、頭が痛くなってくる。

これだけでも、当主としての適性を問題視されかねない。


(それとも……あの子の思惑通りと考えればいいのかしら。……いえ、違うわね)


もう一枚の「婚約証書」に視線を落とす。

これは両家の当主がサインした後、速やかに貴族管理部へ提出すべきものだ。

にもかかわらず、ルシアンはこれを「保管」するだけで済ませようとしていた。


『二年だけの契約ですし……提出しなくてもいいかと』


あまりの愚かさに、呆れるほかない。

ヴェルナレット伯爵にサインさせておいて、こちらはサインせず、しかも婚約証書を保管するだけとは。


『その判断は当主である私がします。これは預かります』

『……ですが』

『あと、こちらも』

『あ……』


そうして、婚約契約書も奪ったのだ。

おそらくルシアンは渡す気などなかったのだろう。


『そ……それは……』

『あぁ……これはあなたの契約だから原本はあなたが保管しなさい……複製を貰っていくわ』

『……分かりました』


ルシアンはがっくりと肩を落としていた。


(……甘やかしすぎたのかしら)


カーテンを開けて、窓の外を見る。

木々は夜の色に染まり、雲が月を隠していた。


(ヴェルナレット伯爵ね……)


評判は非常に良い。

伯爵が治める領地は、十年前に地脈振動という災害に襲われた。

税も魔石も納められないほど壊滅した土地を、伯爵は独力で立て直してきた。

いまだ復興には至らないものの、その手腕は『派手ではないが堅実』と評価されている。


(まぁ、伯爵がというよりは、領地そのものが評価されている、わけなのだけれど……)


ヴェルナレット嬢の部屋で確認した荷物が、頭をよぎる。


トランクは二つ。

ドレスは僅か三着。

それもサイズが合っているかは怪しい。

他には、何度も着回していると思われる部屋着のワンピースと、必要最低限の生活品だけ。

伯爵令嬢の荷物とは到底思えない。


堅実で誠実な伯爵の評価と、悪女の噂。

そして――

セラフィーヌが実際に目にしたヴェルナレット嬢の状況とでは、違和感しかない。


(これは……彼女だけではなくて……伯爵家自体も調べる必要があるわね)


カーテンを閉め、書類を鞄に戻す。

魔光灯の明かりを消せば、静かな夜が訪れる。


セラフィーヌはそっと目を閉じた。

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