第9話 付け焼刃を揃えろ
退屈とは無味無臭の猛毒だ。
少量ならば構わない。
後々、刺激が待っているのならば、退屈も心を休める薬となる。
だが、それが大量に注がれたのならば?
娯楽に慣れた現代日本出身の少女が、ただの山奥でずっと座禅を組むとなったら?
それは、精神をすり減らす猛毒へと変わるだろう。
「………………すやぁ」
「弟子よ、寝るな」
「ぴゃい!?」
加えて、当然ながら寝てはならない。
無念無想と睡眠の間には、近くて遠い隔たりが存在する。
故に、眠ってはならない。退屈の中、それでも意識を保って座禅を組み続けなければならないのだ。
「………………っ」
だが、千尋は修行僧でもなければ、精神的な超人でもない。
どれだけ覚悟を決めようとも、無味無臭の退屈はそれを希釈する。
精神は萎え、肉体は強張り、段々と自分自身の決断に後悔を覚え始める。
――――確かに、これは地獄だった。
浄玻璃の鏡を見せられるが如く、否が応でも自分自身と向き合わされる精神的な地獄だった。
この地獄を、果たして平凡な少女である千尋が突破できるのか?
「弟子よ、集中したまま聞きなさい。これは約五百年前。私が『地球世界』でとある小坊主と、この場のような山奥で出会った時の話なのだが――」
千尋自身が、己の耐久性に自信を失いそうになる、そんな絶妙なタイミングだった。
突如、クロウの口が開かれる。
今までずっと無言で千尋の座禅を開始していたクロウが、突然に何やら興味深い昔話を始めたのだ。
それは、千尋が魔法学校の授業に望んでいた『歴史の影に隠された真実』そのもの。
退屈に潰されそうになっていた千尋の精神は、クロウの話で瞬く間に復活する。
「――――さて、話はここまで。座禅もここまで。後は寮に帰りなさい」
「んなあああああああ!?? とても良いところぉ!? あの小坊主は!? 天狗との知恵比べの結果は!?」
「君の魔力操作が上達すれば、先を話すかもしれない」
「やってやりますよぉおおおおおおおっ!!」
千尋はクロウの昔話により、モチベーションが向上。
翌日の修行では、無事に座禅によって魔力操作を上達させて、気になる昔話の続きを聞くことが出来たのだった。
どうやら、地獄の修行とは言っても、無理に無理を重ねて精神を押しつぶしてもなお続けさせるものではなく、過酷なりにきちんと鈴木千尋という少女の人格を保証するものらしい。
修行は続く。
魔力操作を上達させ、最低限の盾を貫けたところで、勝算は対して上がらない。
故に、クロウは千尋を更なる修行へと投じていく。
フレイヤ・カーライルと鈴木千尋。
両者の間に存在する、果てしない実力差を少しでも埋めるために。
「相手は精霊に長けた魔術師だ。その手の内を知るという意味でも、下級精霊を使役する程度の予習はしておくべきだろう」
「はい、師匠!」
「精霊には属性によってオドの好みが異なる。炎、水、風。それぞれ好みが分かれ、より多くの精霊から好かれるオドを持つ魔術師を『多重属性』と呼ぶこともある」
「はい、師匠! 私のオドはどんな感じでしょうか!?」
「君のオドは特別性だ」
「特別性!?」
「全ての属性の精霊に対して、『まぁ、食える』程度の好みとなり、渋々ながらも下級精霊ならば従ってくれるというオドだ。いわば『劣化全属性』だな」
「劣化と付かなければ! 劣化と付かなければチート属性だったのに!」
最強の魔術師は精霊術にも精通しているらしい。
実際に千尋に精霊を使役させ、精霊術を扱う側の視点を備えさせた。
「師匠! 全属性の精霊と契約出来ましたけど……炎の色を変えたり、水の味を変えたり、乾燥した風を吹かせられるようになりましたけど! 決闘で役に立ちますか!? 大体これ、自分のオドを使ってやった方が手っ取り早い奴なんですけど!?」
「勝つための材料は用意する。だが、それを使って勝つのは君の仕事だ」
「あ、はい」
もっとも、それも切り札と呼ぶには拙い付け焼刃に過ぎないのだが。
修行は続く。
付け焼刃の如き技術であろうとも、クロウは弟子に新たな力を授けていく。
「八極拳……まぁ、純粋な流派ではなく、私のアレンジの入っている奴だが。これからは武術の鍛錬も始めていくぞ」
「魔術師なのに!?」
「弟子よ、君にも分かり易く言ってやろう…………遠距離だけではなく、近距離も対応可能な魔術師は強い」
「はっ! つまり、あれですよね!? 近距離に詰めて来た戦士とか剣士に、『アタシはこっちの方が得意なんだよ』と言って、殴り倒す感じのムーブが出来る奴!」
「弟子よ、妄想の中でも魔術よりも体術が得意だという自覚はあるのだな」
身体強化の魔術と組み合わせる、魔術師用の武術。
「弟子よ、まだ魔力の練りこみが甘い」
「はいっ! 気合入れます!」
「弟子よ、普通に射撃は上手いぞ」
「はいっ! ハワイで母親に習いました!」
「やはり、魔術よりも体術の方が得意寄り……ふむ、やはり育成方針は……」
「薄々理解してきましたけど、師匠にとってアタシは育成ゲームの初期キャラって感じの扱いですよね?」
「違う。一年間も厳選した末に見つけたSSR逸材だ。それに、命がけで守るという契約を君の父親と交わしているからな。本気だぞ」
「ぴゃ!? 思ったよりも師匠の中で重要なポジションに居る!?」
魔力を直接撃ち込む、『魔弾』と呼ばれる魔力操作技術。
「師匠! この高度で落ちたら死にます!」
「死なない、私が防護魔術を施している」
「師匠! 確かに死ななかったけど、落下の衝撃が物凄く痛かったんですけど!?」
「落下しても大丈夫、という気の緩みを癖にするわけにはいかない」
「師匠! なんでアタシ、音速を越えて飛んでも失神しないんですか!?」
「身体強化の応用だ」
「…………なんか、アタシが目指していた魔術師とは異なる何かになっているような気がしますよ?」
「弟子。君が想像するオールドタイプの魔術師だと、普通にフレイヤ・カーライルには勝てない。とりあえずは戦闘特化型を目指しなさい」
「はい」
クロウが開発した超音速による飛行魔術。
その他、可能な限りの技術を、地獄のような――けれども、千尋の精神に配慮した修行により、クロウは千尋に伝授した。
『キュキュキュッ』
「…………あの、師匠」
「なんだ?」
「修行が始まった時からずっと疑問に思っていたんですけど、あれ、何ですか?」
修行場に浮かぶ、空飛ぶイルカがずっと見ている中で。
「旧友だ」
「空飛ぶイルカが!?」
「よくわからない謎生物に変身するのが趣味の魔術師だ。一応、性別は女性となっている」
「何故!? 何故、そんなよくわからないプロフィールの中で、性別だけははっきりと!?」
「弟子よ。『地球世界』のコンプライアンスが進んでいるように、『天球世界』でもコンプライアンスに関しては進んでいる。具体的に言うならば、未成年の女子が男性と長い時間、閉鎖空間に居るのはよろしくない」
「弟子の体が、飛行の衝撃でバラバラになるのはオッケーなのに!?」
「心の傷は肉体の傷と違って、治すのは難しい……という風潮が最近の『天球世界』にあるからな」
「忘却魔術とかある癖に!?」
「そこら辺、私も最近の若者の感性はよくわからないと思う」
地獄の修行とは言いつつも、クロウが課す試練はどれも、平凡なる千尋でも達成することが可能なものだった。
正確に言えば、達成可能となるようにクロウが教えているのだ。
故に、過酷ではありつつも、無理難題と言うほどの修行内容ではない。
「さて、そろそろ本番だ、我が弟子よ――――君に、【黒】の一端を授ける」
この時までは。
●●●
「【黒】とは、魔術を塗り潰す魔術だ。ありとあらゆる魔術に対する天敵となる。何せ、魔術を構成する魔素ごと消し去る代物だからな」
クロウは自らの掌に、魚の形を象った【黒】を泳ぐように動かしながら説明している。
「世界が構築された原初から存在する、最も古い魔術の一つ。ありとあらゆる魔術を制し、魔導に溺れるものを刈り取って来た死神の鎌こそ、この【黒】という技術だ」
「…………技術、ですか?」
「そう、技術だ。特別な才能や道具は要らない。ただ、コツさえ掴むことが出来たのならば、誰にでも使える代物だ。だからこそ、その継承には細心の注意を払わなければならない」
千尋の眼前に、【黒】が泳ぐように辿り着く。
そして、そのままぐるぐると旋回を続けた。
まるで、千尋が触れるのを待っているかのように。
「だが、この継承には危険が伴う。精神が衰弱し、トラウマが残る可能性がある。故に、君はこの継承を拒否しても構わない。君が継承を受け入れても、拒否しても、どちらのルートでも私は君を最高の魔術師に育て上げる準備がある」
「でも、師匠はアタシが【黒】を継承した方が嬉しいですよね?」
「……否定はしない。だが、私を慮る程度の覚悟では、継承すべきではない」
「じゃあ、こう聞き直します――――アタシ、【黒】の一端を継承しなければ、確実にフレイヤには勝てないんですよね?」
「…………ああ、その通りだ」
千尋の問いに、クロウは無表情ながらも重々しい言葉で答える。
「だったら、答えは一つじゃないですか!」
けれども、千尋はその重々しさを吹き飛ばすように笑みを浮かべた。
「というか、アタシは師匠の弟子なんですから! 遠慮は無用です!!」
無邪気な笑みだった。
これから待ち受ける試練も知らずに笑う、無知で愚かな、輝かしい決断だった。
「そうか。だが、それでもこれだけは言っておこう。今回の修行に限り、途中でギブアップを認める。もしも継承を諦めるのならば、心の中で強くそう願うがいい」
「わかりました! でも、大丈夫だと思います! アタシはこれでも根性だけは人一倍あるので!」
「…………」
クロウは無言で一度目を伏せた後、改めて千尋と視線を合わせる。
「継承の手順は簡単だ。この【黒】に触れればいい。そうすれば継承と試練は始まる」
「はい! それでは、早速――」
「千尋」
「はい?」
千尋の顔には自信があった。
地獄の修行をなんだかんだ乗り越えた者の自信があった。
だからこそ、クロウは最後に告げる。
「コツは星を掴むことだ」
「へ? あ、はい」
継承者が次なる継承者に教えることが出来る、僅かな助言を。
「頑張ります! アタシ、星を掴んで見せます!!」
そして、千尋は魚の如く泳ぐ【黒】に触れる。
今まで以上に過酷な修行に挑む覚悟を持って、あらゆる光を飲み込む【黒】に触れて。
――――――己の愚かさを後悔した。
落ちる。
落ちる、落ちる、落ちる。
「あ、あぁあああぁあああああああああ!!!!?」
何も見えない。
何も聞こえない。
何も嗅げない。
何にも触れない。
全てが漆黒に包まれた空間の中、千尋は絶叫していた。
「あぁあああああああああああああああああ!!!?!?」
だが、千尋自身にはその絶叫すら聞こえない。
五感が全て奪われているのだ。
あるのは、ただ、内側から焼けるように込み上げる後悔のみ。
何故、軽々と継承するなどとほざいてしまったのか?
何故、こうなることを予想できなかったのか?
何故、師匠であるクロウがギブアップを許可した時点で気づかなかったのか?
【黒】は技術。
誰でもコツを掴めば使える技術だとクロウは言った。
だが、継承の試練を体験している千尋は心の中で断言する――――そんなわけが無い、と。
「ああぁがあがああああぁあうああああうああああ!!!??」
試練をクリアする条件は、【黒】に触れた瞬間に理解した。
そういう仕組みの試練であり、継承なのだと千尋は理解した。
そう、ただこの【黒】を受け入れればいいだけなのだと。
――――何もかもを黒く塗り潰す、絶対なる消却の理を。
それはさながら、生きながら死を受け入れることに等しい。
ほんの少しでも気が緩めば、何もかもが【黒】に染まる。
千尋が取り込まれた空間は、それを疑似的に体験させているに過ぎない。
一度、【黒】を継承してしまえば、いつでもこのような終わりに到達する可能性があるのだと。まともに死ぬことすらできず、存在すらも【黒】に塗り潰される末路を迎える可能性があるのだと。
「あ、あぁああっ! やだ、いやだ! アタシはこんな終わり方はいやだぁ!!!」
いつか来るかもしれない最悪を体験させる。
それでもなお、この最悪を受け入れる覚悟を決めた者にしか、【黒】は継承できない。
間違っても、【黒】の継承は『誰にでもできること』では無かった。
平凡の領域を軽々と超えていくものだった。
「アタシは、アタシは、なんで」
黒き闇が千尋の精神を浸食する。
覚悟。希望。決意。
それらを全て塗り潰し、後悔へと変える。
何故、もっと身の程を弁えなかったのか?
全てが塗り潰される最悪に比べれば、フレイヤに敗北する屈辱の方が億倍もマシでは無いだろうか?
そもそも、鈴木千尋という少女は何をしたいのか?
ただ、状況に流されているだけではないのか?
本当に魔術師になりたいのか?
魔術師になって何がしたい?
誘蛾灯に誘われた羽虫の如く、ただ偉大なる師の後を付いて行っているだけではないか?
「あ、あ、あああ、あああ――――」
積み重なる後悔は全てが事実。
鈴木千尋という少女は結局のところ、将来を定める間もなく、憧れを追いかけて『天球世界』に飛び込んだ愚者でしかない。
ただ、クロウという偉大なる魔術師に助けられただけの、平凡な少女に過ぎない。
そんな端役に過ぎない存在が、最強であるクロウの後を継ぐ?
この【黒】を継承する?
思い上がりが甚だしい。
闇の中、火に入り込む虫けらの如き末路を辿るだけだ。
身の程を弁えない愚者の末路は、いつだって悲惨なのだから。
そう、思えばフレイヤの言葉も今から思えば、全てが正しかったのかもしれない。
鈴木千尋という少女には、超越者たるクロウの弟子である資格は無い。
それをつくづく、千尋は思い知ってしまった。
根性があるなどとほざいておいて、精神は既に折れるのを通り越して潰れていた。
故に、千尋は心の中で試練の放棄を強く願おうとして。
花弁が舞い散る、最初の憧れを思い出した。
「あ、ぐ、るるぅうううあああああああっ!!」
諦観、絶望、後悔。
あらゆる負の感情が、吠え猛る声と共に千尋から弾き出される。
「アタシは! 平凡で! 天才じゃなくて! 資格なんかなくて! それでも、アタシは!」
心の底から湧き上がる、熱い情動が身を浸す【黒】を吹き飛ばす。
「『本当に美しいもの』を見たんだぁああああああああっ!!」
何もないはずの空間で、千尋を中心とした暴風が吹き荒れる。
それは嵐の如く、千尋をかき回して。
音を。
冷たさを。
水の臭いを。
血の味を。
――――何もない漆黒の果てに輝く、一筋の星を。
塗り潰されたあらゆるものを、千尋に取り戻させた。
故に、もう千尋は迷わない。
「アタシは! 鈴木千尋は!!」
落ちているのか、飛んでいるのかもわからないまま、千尋は輝きに手を伸ばす。
空間に満ちる【黒】も全て巻き込んで、その星を掴むために。
「最強の魔術師! クロウの弟子だ!!!」
そして、焼けるように熱く、凍えるように冷たい感覚が千尋の掌に収まった後。
「ああ、流石は私の弟子だ」
頭の上に置かれた、温かな感触が、試練と継承の終わりを告げた。




