第71話 とある少女の始まり
復活しました。
ただ、ペース的にはのんびり不定期にやっていきます。
しゃくり、と噛んだ果実は瑞々しい綿菓子のような味がした。
甘い。
とにかく甘い。
自然に生った果実だとは信じられないほどに、甘い。
「んんー!」
この果実の甘さに、思わず少女は――青崎 一色は喜びの声を上げた。
久々のアタリだ、と。
「美味しいなぁ、これ。どんな種類の果実なんだろ?」
一色は驚くことに、その果実を『まぁ、死にはしないだろ』という感覚で、とりあえず齧ってみるという暴挙を行っていた。
それほど山深くも無い自然の中。
家から出て、自転車で三十分ぐらいの場所にある、いつもの釣りスポット。
その近くにある、木々の一つに成っていた果実だ。
「ビワに似ているけど、味は全然違うんだよねー」
もしゃもしゃ、と一色はその果実を食べ続ける。
舌に痺れは無い。
口内が被れるような感覚も、喉がいがいがとする感覚も無い。
完全に可食可能な果実だ、と一色は目を輝かせた。
――――元々、一色は野生の勘染みた何かがあった。
初めて入る山でも、道に迷わない。
初めて見る植物でも、毒の有無、可食の有無をなんとなく判別できる。
たまに、重篤な問題が起きない程度に、食中毒を起こすこともあるけれど、それもご愛敬。
異常に健康体な一色は、その程度の食中毒なら一晩呻けばすぐに治る。
故に、大して反省もせずに同じことを繰り返すのだ。
「んふふー。たくさん生っているし、帰って冷蔵庫に入れる分も採っちゃおう」
そく、そく、と果実は枝から驚くほど簡単に獲れた。
まるで、スナック菓子の包装でも破くかのように。
まるで、食べられるためにそこにあるように。
「こういうことがあるから、山は止められないんだよねぇ」
一色は山が好きだった。
一色は自然が好きだった。
狭苦しい教室に、大人数の人間と一緒に押し込まれるよりも、自由気ままに川で釣りをしたり、自然の中を歩き回るのが好きだった。
もちろん、自然の危険は身に染みている。
既に経験済みだ。
――――何故ならば一色は幼い頃、単独で野生の熊を殺したことがあるのだから。
その時の記憶はよく覚えていない。
ただ、死の実感と、獣臭い生暖かさ。
指の先から迸る閃光と、体中を満たす全能感だけは、鮮烈に一色の頭に焼き付いている。
「んふふー」
自分は特別なんだ、という自負が一色の中にはあった。
特別な力を持っている。
だから、自然に焦がれる。
だから、だから――――学校で上手くやれていないのも、仕方がないのだと。
言い訳のように縋って、今日もまた自然の中に自分の弱さを隠して行く。
本当の意味で特別になってしまったと一色が気づくのは、それからしばらくしてからのことである。
●●●
一色は植物を育てている。
たとえば、もやし。
たとえば、大根の葉っぱ。
たとえば、ネギの切れ端。
たとえば、鉢植えの中にあるミニトマト。
何故? と聞かれたのならば、『なんとなく』と答えるだろう。
子供がぼーっと手遊びするように、一色はぼーっと野菜を育てる人間なのだ。
だからこそわかることがある。
「…………えー?」
もやしが、栽培キットから溢れるほど育っているのも。
大根の葉っぱだけではなく、下の部分も生えていることも。
ネギが完全復活していることも。
鉢植えから零れるほど、ミニトマトが溢れていることも。
「むぅ」
一色はとりあえず、宝石の如く輝くミニトマトを一つ手に取り、綺麗に水で洗ってから、ぱくり一口。
「んんー!」
ばつん、と弾ける皮。
じゅわっ! と舌の上に乗る旨味の塊。
鼻腔をすり抜ける、青臭さが抜けた上品なトマトの香り。
美味しい。
安物の種で作ったミニトマトとは思えないほどに。
「……もしかして」
一色は何か確信めいた予感に導かれるまま、他の野菜も食べてみた。
――――美味だ。
元が安物とは思えないほどに、美味が極まった味がする。
「私、緑の指の資格を得たのかも!」
ぱぁ、と顔を輝かせた一色が口にした言葉、緑の指。
それは植物を上手く育てる才能――否、性質を持った人を呼び表す言葉だ。
そして、どちらかと言えば、根拠のあるしっかりとした技術による生産ではなく、『何かよくわからない理由』によって、不思議に植物を育てる人間のことをそう呼ぶことが多い。
「ふふふーん!」
一色は上機嫌のまま、中学校に登校した。
いつもは憂鬱な学校の時間。
けれども、一色は自分が得た特別な力により、浮かれていた。
周囲のクラスメイトが怪訝に思う程度には。
「ねぇ、青崎さん」
「ぱひゃ!?」
「今日はなんだか凄く笑顔だったけど、何かあったの?」
いつもは寡黙な人間が、上機嫌な笑みを浮かべている。
その理由を尋ねてみよう、と思う人間が出て来る程度には。
「え、えと、ええとねー」
一色は頑張った。
普段ならば、顔を青くして、きょどきょどした様子で黙り込むのだが、その時の一色は絶好調の一色だ。
なけなしのコミュニケーション能力をかき集めて、精一杯、言葉を伝えて。
「へぇ、凄い! 青崎さんって植物育てるのが得意なんだ? 今度、見せてもらっても良い?」
「う、うん!」
この日、一色は入学したばかりの中学校で、ようやく新しい友達が出来た。
「るんたったー、るんたったー」
一色は上機嫌で、学校帰りの通学路をスキップしていた。
いつもの見慣れた田舎道でも、今の一色には輝いて見えている。
「ふふーん!」
特別だった。
一色は改めて、自分が特別だと自覚していた。
昔からの諦めの意味としての特別ではなく、孤立した理由探しのためではなく、誰かに愛されるような特別だ。
昨日、あの甘い果実を食べてから、一色は妙に万能感に満ちていた。
何もかも上手く行く。
そんな気分に。
「えい、おおきくなぁれ!」
故に、そんな行動を取ったのは、単なる児戯に過ぎない。
道端の雑草を指差して、適当な魔法の真似事をして。
ああ、やっぱり駄目だった、などと笑い話にするための行動。
子供が漫画やアニメの必殺技を真似るようなものである。
「――――え?」
しかし、それは笑い話では済まなかった。
一色が指差した先にある草は、一色が冗談交じりに向けた指先から注がれる『何か』によって、急激にぐんぐんと勢いよく伸びて、あっという間に一色の背丈を追い越したのだ。
「え、いや、え?」
意味不明だった。
雑草が急速に成長したのはもちろん、何故、雑草がここまで大きくなるのかも。
何せ、一色は知っている。
その雑草がどれだけ元気よく育ったとて、一色の背丈を追い越すほどに伸びないのだと。
その雑草としての、生物の規格の限界があるのだと。
けれども、一色のそれは、容易くその限界を超えてみせた。
「…………お、おおう」
これには流石に一色もビビってしまう。
いや、幼い頃に熊を殺した経験があるため、世の中には『そういう不思議』があるのは分かっていたが、まさか、いきなり自分に『植物を成長させる』なんて力が……今まで一色が持っていたものとは別物の力が生えて来るとは思わなかったのだ。
「と、とりあえず、検証しないと……」
一色はビビっていたが、冷静さを保っては居た。
早々に自宅に帰った後、スクールバックを投げ捨てて、山の中に向かったのである。
新しい力を検証し、どれだけできるのかを確かめるために。
「んむむむ」
結論から言えば、一色の力は、一色自身の予想を超えるものだった。
単に植物を成長させるわけではない。
植物の規格を超えさせて、巨大な生命体へと再誕させるものだったのだ。
しかも、その再誕した植物たちは、一色が望むがままに動いた。
まるで、精神に感応する超兵器化のように。
「これは、不味いのでは?」
一色は冷静だった。
だからこそ、己の身の丈を――否、一般人の身の丈を超える力に恐れ慄いた。
この力は兵器にもなるし、研究すれば生命の神秘の一端を解明するきっかけぐらいにはなるかもしれない。
いや、是非ともそうなるように研究したいと願う者が大勢出て来るだろう。
もちろん、こんな力を持っている一色の意思は二の次にして。
「…………とりあえず、保留です、保留」
困った時は思考停止。
決して賢明ではないが、愚鈍とまでは言えない選択。
一色は自分がやらかしたことを見なかったことにして、とりあえず山を下りることにした。
保留して、自分が見なかったことにすれば、時間は稼げると思ったのである。
だってここは山の中。
人の目だって滅多に無い空間。
――――でも、人じゃない目ならば?
「……あれ?」
一色が違和感に気づいたのは、道をいくら下っても山から出られないということ。
「お、落ち着け、私ぃ」
山を遊び場にする一色は、特に遭難に関して警戒をしている。
分かり易いマーク。
山道からずれないルート。
その他、真っ当にやっていれば遭難しない幾つもの心がけを、確かに一色は守っていた。
「………………なん、で?」
ならば、おかしいのは山の方だろう。
「なんで、同じ場所に戻るの? ずっと真っすぐの道を歩いているのに!」
魔術師ならぬ一色が気づくのは難しいことだった。
いつの間にか、一色の周囲の空間は歪められていたのである。
出口と入り口を輪のように繋げて、一時的に閉鎖的な空間に一色を閉じ込めていたのだ。
この山に住む、人ならざる何かが。
「お、落ち着け、落ち着けって、私! こういう時は、下手に動かない方が……え? 何、この音?」
どん、どん、どどどん。
どどどん、どどんどんどん。
どどどどどどん。
太鼓の音のようにも、巨人が地団駄する地響きのようにも聞こえるそれ。
それを耳にした一色は段々と、体の力を失っていく感覚に襲われた。
「あ、れ? なん、で……」
くらり、と急速に意識が低下する。
まるでハンガーノックのように。
さほど動いていないというのに、理不尽に。
ひだる神と名付けられた怪異の影響を今、一色は受けていた。
「…………っ!」
薄れゆく意識の中、一色は見た。
色白な肌を持つ、背の高い怪物を。
片足片目だけの怪物を。
巨大な野犬を。
歩く猫を。
山の中に存在する、あらゆる怪異を。
山門異界とはこのことか。
一色が良く知っているはずの山は、単なる一方面でしかなかった。
この世ならざる怪物たちは今、一色という『特別』を求めて姿を現したのである。
「あ、あ」
野生の熊とは比べ物にもならない。
そこにあるだけで、現実を歪める怪物たち。
その存在の出現に、ついに一色の意識は途切れそうになって。
「させるわけが、ねぇだろうがよぉー!!!」
威勢の良い声と共に降り立った銀の光に、止めを刺されるように視界が暗転した。




