第66話 秩序の王
ミネルヴァ魔法学校は、生徒を贔屓する。
正確に言うのであれば、優遇する。
成績優秀な生徒に対して、相応の投資をするのだ。
無論、それは不正や談合からは程遠いもの。
学費の免除。
魔術研究への資金援助。
その他、成績優秀な生徒が魔術師として大きく羽ばたけるように、様々な投資を行えるような体制となっている。
そんな支援の一つに、成績優秀者に対する『工房』の貸出というものがあった。
つまりは、成績優秀者は学校側から、個人的な場所を得られる特権があるのである。
「さぁ、座ってくれ」
「「「お邪魔します」」」
千尋たち三人が案内されたのは、そういう場所だった。
アーサーが学校側から提供された研究室の一部を、応接間のように内装と整えた場所だった。
「最近、珈琲に凝っていてね。少し時間はかかるが、是非とも飲んで行ってくれ」
からん、とアーサーが手に持ったベルを鳴らす。
すると応接間の奥にあるキッチンから、物音と妖精の気配が幾つか。
どうやら、家事妖精の類に珈琲を頼んでいるらしい、と三人はなんとなく理解した。
同時に、『この人、珈琲に凝っているとか言っておいて、自分で淹れないんだ』という感想を抱いた。
「可能であれば、俺が手づから淹れたいんだがね。それをするとうちのシルキーたちにガチギレされてしまうんだ」
そんな一年生三人の視線に気づいたのか、言い訳をするようにアーサーは苦笑する。
「いや、比較的優しい妖精であるシルキーがガチギレとか、何をしたんですか?」
「わからない。何故か、俺が淹れた珈琲はカップを溶かすんだ」
「すみません。初対面の上級生に言うことじゃないんですけど、もう二度と自分で珈琲を淹れようなんて思い上がらないでください」
「ふっ、その顔。俺が初めて珈琲を淹れた時に見せたシルキーと同じ顔だ」
ドン引きの千尋に、朗らかに笑みを浮かべるアーサー。
会話の内容を考えず、この場面だけ切り抜けば、素直になれない女子を優しく見守る年上の男子に見えるだろう。
「鈴木。お前と話すのは中々に面白いが、そろそろ本題に入らせてもらおう」
だが、アーサーは自身の表情を引き締め、先ほどまであった和やかな空気を変える。
真剣な話し合いをする場の物へと。
「まずは謝罪を。うちの派閥の人間――マイク・ロングスティアが革新主義者と共謀して君を陥れた。この不義に関して謝らせてくれ」
アーサーは、秩序の王は最初に頭を下げた。
自分よりも年上の女子に、深々と頭を下げた。
それこそが王たる者の責任であると言わんばかりに。
「……あー」
その真摯な態度に、千尋は言葉を詰まらせてしまう。
年上の男性から真摯に頭を下げられるという体験は、社交的な千尋であってもかなり稀なものだ。
「別に、気にしていませんよ」
故に、選んだのは模範解答。
「大体、貴方がアタシを陥れたわけじゃないんでしょう? だったら、謝罪は不要です」
関係の無い人間が謝って来られても困る、というもの。
そう、アーサーはマイクの家族でも何でもない相手だ。
共謀して千尋を嵌めようとしたならともかく、丸っきりマイクの行動を知らなかったのならば、それは非難の対象にならない。むしろ、頼れる片腕から裏切りに遭った被害者として接した方が良いぐらいだ。
「いいや、それでも俺は謝るべきなのだ」
それでも、アーサーは頭を上げない。
「マイクの――友の苦悩を知らず、愚行を止められなかった。それを謝らずして、何が『秩序の王』なのか」
悔いていた。
そこには年上も先輩も派閥も関係なく、友を救えなかった男の後悔だけがあった。
「…………だけどさ、クグロック先輩」
故に、千尋がアーサーに手向ける言葉は同情ではない。
「確かに、マイク先輩は色々やらかしていたみたいだけどさ。最後の最後は、アタシの友達を助けるために、捕まるリスクも背負って戻ってきたんですよ。まぁ、マイク先輩の所為で、ヒカリは魔王として暴走することになったわけですから、マッチポンプもいいとこですけどね! ほんと、そこら辺は許していませんけどね! ……だけど」
単なる感想だ。
「きっと、それでも残った最後の善性の中には、クグロック先輩との友情もあったと思います」
「…………そうか」
だが、だからこそ、千尋の言葉はアーサーの胸中を軽くした。
「感謝する、鈴木」
少なくとも、頭を上げて、千尋と向かい合えるようになる程度には。
「いえいえ、良いんですよ。マイク先輩に関してはまだ怒っていますので。そこら辺は、マイク先輩本人と面会した時にでも話しますので……ええと、それで、これが本題でしたか?」
「いや、本題の内の一つだ。何よりもまず、俺はお前に謝罪をしなければいけなかったからな」
「律儀なことですね……で、本題は? 昼休みもそろそろ終わりそうですし」
「ああ、そうだな」
あまりこの話題を長引かせて、いつまでも謝られているのもなんだなぁ、と感じた千尋は話題を急がせる。
自分一人が午後の授業に遅れるだけならまだしも、付き合ってくれている友達二人を巻き込むわけにはいかないからだ。
「鈴木。俺からお前に提案がある」
しかし、そんな千尋の心配は、直ぐに吹き飛ぶことになった。
「俺が卒業した後、後継者として秩序派閥の王にならないか?」
「…………は?」
アーサーから投げかけられた、とんでもない提案によって。
●●●
「秩序の派閥を束ねる者は、生徒の規範となるべき存在だ。当然だ。他者に『規範を守れ』と強要しているのだから、そう言っている者が守らなければ話にもならない」
ことん、とテーブルの上に家事妖精たちが淹れた珈琲が置かれた。
白磁のカップに淹れられた琥珀の液体は、胸いっぱいに吸い込みたくなるような香ばしさで満ちている。
だが、千尋たちはそれに口を付けるよりも先に、アーサーの次の言葉を望んだ。
「わかるだろう? 俺の片腕であり、部下であり、友であったマイクが犯罪者として捕まったのだ。今や、現体制の秩序派閥の求心力は地に落ちている」
「…………なるほど。つまりは、こういうことですね?」
語るアーサーの言葉を引き継ぎ、ヒカリは己の推理を口にする。
「秩序派閥を保つためには、新しい秩序が必要。そして、その新しい秩序とは、以前の間違った秩序を正した力の持ち主であるべきだ、と」
「ご名答。その通りだ、天原」
「伊達に魔王の記憶があるわけではありませんからね。群衆の心理なんてものは、大体予測できます……その上で、秩序派閥の支持率が落ちたのは妥当だと思いますし。正直、『ざまぁ見ろ』という気持ちですけどね、当事者としては」
嫌味をたっぷりと乗せたヒカリの言葉を、アーサーは「その通りだ」と反論することなく受け入れた。
「そして、親友としては、千尋が貴方の派閥の後始末に任命されるのは見過ごせません。貧乏くじも良いところではありませんか」
「ああ、返す言葉も無い。天原、お前の言う通り、俺は自分の都合で鈴木を利用しようしている」
続く言葉の刃も、受け入れた。
アーサーの態度は今、切腹前の武者よりも潔い。
「その上で、鈴木にメリットのある話だと俺は考えている」
けれども、それは目的を諦めた潔さではない。
自らの罪や不徳、その他諸々不利な要素を受け入れてなお、アーサーは千尋を勧誘する気満々の表情だった。
「まず、こちらの派閥の人間は概ね、鈴木に好意的だ。マイクの馬鹿を止めてくれた上でなお、魔王という存在を救って見せたのだ。あれだけの大立ち回りを見せつけられて、心が震えない者なんて俺の派閥には居ない」
「「むぅ」」
アーサーの説明に、千尋とヒカリは揃って唸り声を上げる。
自分たちが全力をぶつけ合った後の結末を、他者から賞賛されて、奇妙なむずがゆさを覚えたのだろう。
「そして、秩序の派閥の人間は大体が理性と常識を兼ね備えた人物だ。無論、マイクの例もあるから、あくまでも俺の私見に過ぎないが……それでも、あの有象無象の不審者どもを許しては置けない奴らであることは確かだ」
「そりゃあ、まぁ、そうでしょうけど」
「故に、お前が秩序の派閥に入り、後継者となるのならば、派閥の人間はお前を守ることに全力を尽くすだろう。少なくとも、今日のように目障りな不審者が目の前に現れることは無くなるはずだ」
「…………だけど、クグロック先輩。さっき、秩序の派閥の支持率は地に落ちたって――」
「お前が後継者となるのならば、支持率は直ぐに上がる。それどころか、評判は俺の世代を超えることになる。何せ、お前は俺の過ちを正し、なおかつ学校全体に超越者としての力を見せつけた、規格外の一年生だ。その勇名を知る者のほとんどは、お前を支持するはずだ」
「………………んんんー」
積み重ねられるもっともらしい言葉に、千尋は思い悩む。
メリットはある。
確かにある。
アーサーが語ることは恐らく真実であり、千尋が後継者として君臨すれば、学校はある程度の治安を取り戻し、不審者が跋扈することも少なくなるだろう。
――――だが、千尋は既に知っている。立場には責任が伴うことを。
最強の師を持つ千尋だからこそ、立場の重要さを知っている。
クロウが最強としての振る舞いを求められるのと同様に。
千尋もまた、秩序の王となれば、相応の振る舞いを求められることだろう。
学校の規律を守り、生徒たちの規範となることを求められるだろう。
しかし、それは千尋にとって――――。
「やぁ、アーサー。窮地をチャンスに変えるのは君らしいけれども、些か無粋じゃないかな?」
千尋が何かを口に出すよりも前に、金色の尾が九つ、アーサーとの間に割り込んだ。
「君の派閥の罪は君自身が贖いなよ。後輩に迷惑をかけるもんじゃない。それにさ、本当に君たちが秩序を守ろうとする集団だっていうのなら、何の見返りも無しに、千尋ちゃんの味方をしてあげてもいいんじゃない?」
「……来たか、邪悪な狐め」
不敵な笑みを浮かべたまま、アーサーの工房に――部外者が入らないように敷かれた結界の内側に、いつの間にかイオスが居た。
九つの金色の尾を持つ妖怪にして、混沌の王。
アーサー・クグロックの宿敵が。




