第65話 勉強。そして勉強
千尋は決して、勉強が苦手というわけではない。
適性として、座学よりも運動の方が向いているものの、同世代の平均値を越えない程度には勉強が出来るのだ。
ただ、それはそれとして。
「ほら、頑張りなさい、千尋。精霊術の課題は残り三つよ?」
「陰陽術の進みが悪いですね? やっぱり、千尋にはまず、結界作成のための空間認識から覚えさせなければ」
「うわぁあああんっ!!」
身の丈を越える量の勉強を平然とこなせるほど、卓越した才能を持っているわけではないのだ。そう、今の千尋はさながら、夏休みの宿題をやっていない小学生レベルマックスの状態。
手を付けても、全然減らない課題の山。
頼れる仲間たちは、『書き写しただけだと勉強にならないから』と甘やかしてくれない。
机の脇に置かれている癖に、机と同じ高さまで積み上がった課題の山は、千尋が自力で倒さなければいけないのだ。
「無理だよぉ! この量を一週間の内に終わらせるのは無理だよぉ!」
「弱音を吐いてないでやりなさい。締め切りを短く設定しないと、いつまでも貴方は授業で周回遅れのままよ?」
「それはそうだけどさぁ!」
「大丈夫ですよ、千尋。こんな時のために、頭が冴えわたる魔法薬を用意しました。ささ、ぐぐっと飲んでください」
「ありがとう、ヒカリ。でも、一応訊くね? 副作用は?」
「効果時間が終わった後、三時間ほどは知能が幼児になります」
「やだぁ! アタシ、幼児になんてなりたくない!」
「駄々をこねている現状と何も変わらないだろう? ほら、口を開けなさい、千尋」
「んぐぐぐぐ」
「あ、こいつ。意地でも飲まないつもりだわ。ヒカリ、連携で行くわよ?」
「まかせてください、フレイヤ」
「「そぉーれ!!」」
「んぼぼぼぼぼぉ!?」
三人揃って姦しく。
学校側が特別に用意した貸し切りの補習室でなければ、思わず目を顰められるような有様。
けれども、千尋は一人ではない。
超越者となった代償は軽くなくとも、それを共に背負ってくれる仲間がいる。
「くっ、くっそぉおおおおっ! 飲んじゃったぁ! ああもう、こうなったら効果が切れるまでに速攻で課題を片づけて、後は意識を飛ばして三時間をやり過ごす!」
「ヒカリ、アタシは魔法少女のコスプレをさせて、マスコットプレイをしたいわ。こんな機会でなければやる機会なんてないもの」
「じゃあ、私は千尋が遊び疲れた後、甘やかして『よしよし』プレイします。知能は幼児でも、記憶に私の甘やかしは残るでしょうから」
「アタシの親友たちが、アタシの人権を侵害する相談してんだけどぉ!?」
時折、悪ふざけをやらかすこともあるが、それもご愛敬。
少なくとも、課題の山に泣き叫ぶ千尋の尻を蹴り上げ、きちんと三か月分の遅れを取り戻させることはきっちりとやっている。
親友二人は、千尋が落第生になるなんて許さない。
故に、現行の授業についていけるまで、きっちりと溜まりに溜まった課題を終わらせるまで傍で付き合って。
「おわったよー! かだい、おわったよー! あまいものがたべたいよー!」
「はいはい。そう言うと思って、千尋が大好きな自家製プリンを用意していましたよ?」
「わぁい、ありがとう、ヒカリ! だいすきー!」
「あ、これは既に知性が幼児化していますね」
『プリンが終わったら、この【チェンジ☆シャイニーステッキ】を振るのよ、千尋。さすれば、貴方には魔法少女の力が宿るわ』
「わぁ、既にマスコットの黒猫化していますね」
実に騒々しく、けれどもどこまでも前向きに、千尋の課題解消は終わったのだった。
ただ、それはそれとして。
「課題は終わりましたね? 鈴木千尋。では、私が不審者対策の講義を行います」
千尋の勉強は終わらない。
人生は死ぬまで勉強だという意味ではなく、単に残りのタスクが消化されていないだけなのだ。
そう、校長室でヒルダとワンツーマンの指導というタスクが。
「はい、校長先生!」
「はい、何でしょうか? 鈴木千尋」
課題を解消し終え、幼児化の影響も抜けきった千尋は、元気よく手を挙げてヒルダへ問いかける。
「護衛のルーさんの制限が解放されて、大抵の魔術師なら瞬殺状態ですけど、対策とか必要ですか?」
「無論、必要です」
「それはつまり――――矛盾の魔女たる校長先生が、アタシに超越者同士の戦い方を教えてくれるのだと?」
長時間の勉強によって摩耗された千尋の精神が、闘争の気配を感じで燃え盛る。
日常的な苦行ならともかく、幾度の死線を乗り越えた今の千尋にとって、新たなる困難は単なる障害ではない。自らが最強に至るためも試練だった。
だからこそ、魔法学校の校長であり、矛盾の魔女という二つ名を持つ、到達者の魔術師から戦闘指南を受けられるのならば、願ったり叶ったりなのである。
「いいえ」
「いいえ!?」
しかし、ヒルダの答えは千尋の予想外のものだった。
「そちらは貴方の師匠に任せます」
「ええと、それじゃあ、一体――」
「不審者とは主に、超越者となった貴方に絡みに行き、『なんやかんやで関係を築いて、上手いこと利益を啜ってやろう』程度のノリで集ってくる有象無象のことです」
「あ、そういうの出て来るんですね、やっぱり」「
「ええ、残念ながら。我々教師陣も見回りを強化しますが、それでも、貴方自身が有象無象を追い払う手段を持っておいた方が、後々面倒は無いでしょう」
「……暴力で散らしたら駄目ですか?」
「必要な時は躊躇わず行いなさい。ただし、あえて貴方に暴力を振るわせて、法という武器を使って面倒な罠を仕掛けて来る者も居ます」
「うわぁ、嫌だぁ」
「嫌でも来るものは仕方ありません。さぁ、その手の有象無象に時間を取られないための講義を始めましょう」
千尋は未だ実感が伴っていないからか、時折、『本当にこんな奴いるの?』と首を傾げつつ、とりあえず覚えておこう程度のノリで講義を受け始めた。
だが、この時の千尋は知らない。
まさしく、この時の講義が、将来の千尋にとって値千金のものになるとは。
●●●
翌日の昼休み。
「貴方が鈴木千尋ね! 責任を取って認知してもらうわ!!」
「何を???」
千尋は早速、不審者に絡まれていた。
昼食を終えて、フレイヤとヒカリと共に腹ごなしに運動でもしようと、地下の闘技場に向かっている最中のことだった。
突如として、見知らぬ女子の上級生に絡まれたのである。
「私のお腹には、貴方の子が居るのよ!!?」
「何で???」
そう、臨月の妊婦のようにお腹を膨らませた女子の上級生に。
これには、数多の死闘を乗り越えた千尋であっても、流石にドン引きしかない。
「私はあの夜を忘れないわ! 貴方が私を強引に押し倒して、体を貪ったあの夜を!」
「記憶にないんだけど!?」
「さぁ、責任を取って、この契約書にサインしなさい!」
「というか、そのお腹の大きさだと、アタシがこの『天球世界』に来るかどうかの時期だと思うんだけど!?」
「じゃあ、来たばかりの時期にやられたわ」
「じゃあ!? じゃあ、って何!?」
ぐいぐい、と契約書を片手に迫る謎の上級生。
その気迫に千尋は怯み、助けを求めるように友達二人に視線を送った。
「安心しなさい、千尋。それはただの体型変化の魔術よ。殴っても問題ない相手だわ」
「そうそう。あ、新作の毒ポーションを試したいので、生きたまま捕獲してください」
思った以上の物騒な提案が帰って来たので、そっと視線を外す千尋。
そう、千尋は今まで散々死にかけたり、怪我を負ったりしている所為か、自分の被害に鈍感なところがあるのだ。
正確に言えば、暴力や直接手を出してくる行為に対して、武力を用いることに躊躇いがあるのだ。
「大体、アタシは男の人が好きなんだって! 師匠のことが好きなんだって! お前なんかを押し倒すわけないだろ!?」
故に、軽く脅しをかけるように気迫をぶつけて、『これでさっさと帰ってくれ』と願う。
「ふむ」
しかし、この不審者は超越者となった相手に絡むほどの変人である。
従って、千尋に対する返答は以下のようなものだった。
「プランBよ。第二陣、来なさい」
ぱんぱん、軽く手を叩いてからの『仲間を呼ぶ』という害悪行為。
「熱血系美形担当、参上!」
「クール系美形担当、参上!」
「筋肉系色物担当、参上!」
これにより、千尋の前には三人の男子が召喚された。
最初の不審者と同じく、男性だというのに腹部が膨れた三人の男子が。
「「「さぁ、責任を取ってくれ!!!」」」
「馬鹿にしてんのか???」
これには、今まで自重して来た千尋もブチ切れかけた。
それはもう、邪悪判定して【銀】をぶち込んでやろうか? と生きてきたことを後悔させるレベルの攻撃を放とうとするほどに。
「…………はぁー、落ち着け、アタシ」
だが、ここで千尋は思い出した。
ヒルダから受けた、不審者対策の講義を。
「いいのか? お前ら…………先生に言いつけるぞ!?」
「「「っ!!?」」」
最善最短の不審者対策。
それは即ち、教師への通報である。
そう、教師陣は基本的に生徒を公平に扱うが、明らかに不審者な真似をやらかしている相手に対しては容赦などしない。普通に攻撃魔術を叩き込み、気絶させてから生徒指導室で、心がへし折れるまでの説教コースに叩き込むのだ。
「ふっ! 安心しなさい、お前たち! この私に抜かりはないわ! 既に、ここら辺一帯には防音結界を敷いてるから、どれだけ騒ごうとも教師は来ないわ!」
ただ、それはあくまでも『やらかし慣れていない不審者』への対応である。
普段からやらかしまくっている不審者は、教師に通報されないように小細工を重ねている者なのだ。
「フォーメーションを組んで、鈴木千尋に認知させるわよ! そして、私たちの勢力に取り込むのよ! そう、『魔術をエロスに使いたい同好会』!!!」
「「「おうっ!!!」」」
不審者たちは筋金入りの不審者だった。
しかし、用意周到ということは即ち、それだけ悪質だということ。
「馬鹿が、言質は取ったぞ…………二人とも、待たせた。もう、我慢しなくていい」
「「了解」」
悪質だということは、迎撃に戦闘したとしても、正当防衛が成立するということ。
「燃やし尽くすわ」
【精霊憑依】によって、紅蓮を纏ったフレイヤ。
「魔王の力、見せてあげます」
【魔王儀典】によって、無数の魔王を召喚したヒカリ。
「ぶん殴る」
【黒】を纏い、巨神すら殴り倒せるほどの覇気を見せる千尋。
同学年からは三英傑とさえ評される三人は今、学園でも有数の戦闘力を持った存在をなっていた。
故に、不審者たちはその圧倒的なまでの力に怯んで。
「勝てば官軍! 勝てばエロシーン! 行くわよ、お前らぁ!!」
「「「おうっ!!!」」」
けれども、その愚かさは止まらない。
飛んで火にいる夏の虫の如く、不審者たちは三英傑へと向かっていく。
「学園の秩序と風紀を乱すな、愚か者どもが」
そして、三英傑に到達するより前に、不審者たちは消え去った。
二つの勢力の間に割って入るように現れた、灰色髪の美青年によって。
あまりにも軽々と発動した、強制転移によって。
「すまないな、一年生。模範となるべき上級生たちが恥を見せた。代わりに、最高学年として俺が詫びを入れよう」
「……っ!」
千尋は息を飲む。
何故ならば、気付かなかったからだ。
数多の死線を乗り越え、それなりに地力を付けたはずの千尋でさえ、不審者たちが強制転移を受けるその瞬間まで、その美青年の存在に気づけなかったからだ。
「俺の名はアーサー・クグロック。お前が良ければ、これから少し話さないか? 先ほどのように、無用な面倒を避けるため、俺から提案がある」
言葉一つ。
日常的な所作。
それだけで、他者を圧倒するようなカリスマを持つ――――秩序の王の存在に。




