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第63話 三か月ぶりのおはよう

 頬に熱が伝う感触で、千尋は目を覚ました。


「ぐすっ……ひっく……千尋ぉ……」


 何度か瞬きしてみると、どうにも自分の枕元でめそめそ泣いている女子が居る。

 親友だ。

 天原ヒカリが、ぼさぼさの黒髪で、赤く擦れた目元から、止めどなく涙を流していた。

 それがまるで雨の如く、ぽつぽつと千尋の頬に落ちてきているのである。


「ヒカリ」


 三か月ぶりの言葉は、思っていたよりもすんなりと喉から吐き出された。

 無論、かすれていたり、発音が変になってはいるが、きちんと紡げている。

 三か月寝たきりだった割には、体も動かせる。

 恐らく、魔術的な治療によるものだろうと納得して、千尋は小さく笑みを浮かべた。


「おはよう」


 笑みを浮かべて。

 涙を流すヒカリの頬に手を添えて。

 三か月振りに、親友に当たり前の挨拶を告げた。


「――――千尋っ!」


 その時のヒカリの表情を、なんと例えていいか、千尋にはわからない。

 まるで、救われた罪人の如く。

 まるで、砂漠の中でオアシスを見つけた放浪者の如く。

 ―――否、違う。

 例える必要など、最初から無かったのだ。


「千尋っ、千尋っ、千尋っ! 私は、私はぁああああ……っ!」

「はいはい。アタシはこの通り元気だから、そんなに泣くなよなぁ」


 親友の復活に喜ぶ姿で、良かったのだ。

 例える必要など無く、それが全てだったのだ。


「ぐすっ……ごめんなさい。私が魔王だった所為で、千尋に過酷な運命を……」

「違う違う! アタシの決意にヒカリの前世とかは関係なーい! げほっ! アタシは単に、迷惑なテロ行為の被害に遭った友達を救っただけ! そして、お前も被害者! げほげほっ! オッケー!?」

「お、オッケー…………あの、咳き込んでいるけど、大丈夫?」

「ん、ああ? 流石に三か月ぶりにしゃべると喉が――」

「お医者さぁあああああん!! うわぁあああああん!!」

「病院で叫ばないで……ナースコールを連打しないで……というか、あるんだ、こっちの世界にナースコール……」


 その後の展開は、騒々しいの一言に尽きる。


「千尋が目覚めたのね!? ああ、良かった……心配したわよ、この馬鹿マスター!」

「いったぁ!? かなりガチ目のビンタ!? それが病人にやる所業!?」

「馬鹿をやらかした親友に対してやる所業よ!」

「おぶべばぁ!?」


 ナースコールが連打されたというのに、真っ先にやってきたのは医者の魔術師よりも先に、ずっと待機していたフレイヤだった。

 フレイヤはヒカリと同じく、滂沱の涙を流していた。

 ただ、後からやって来た医療スタッフに羽交い絞めで止められるまで、思いっきり千尋の頬をビンタし続けたところを見ると、心配し過ぎてブチ切れてしまっていたらしい。


「ふーっ! ふーっ! ふーっ! 長いのよ! 馬鹿! 三か月も!!!」

「ごめん、本当にごめんなさい」


 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったフレイヤの顔に、いつもの優雅さは欠片も無い。

 そこにあるのはただ、親友を案じる心だけ。

 従って、普段はいわれなき暴力には毅然と対応する千尋だったが、この場合はいわれがあり過ぎるので、医者スタッフに止められるまでの間、大人しく心身共にボコボコにされ続けたという。




「結論から話します。天原ヒカリを蝕んでいた魔王の呪いは全て消え去りました。その代償として、魔王としての記憶も薄れつつありますが、心身に問題は……ええ、ありません」

「御覧の通り、千尋のおかげで元気になりました!」


 様々な検査により三日ほど過ぎ去った後、ヒルダが今回の事件の顛末について説明しに来た。

 あえて、千尋に抱き着いたままのヒカリはスルーして。


「実行犯である革新主義者、レイゼ・カロンナルファはこちらで確保しています。現在は尋問中です。また、共犯者であるマイク・ロングスティアは『煉獄館』――『地球世界』で言うところの少年院に収容されることになりました。流石に、学生という身分で庇うには限界があり、また自首した本人も厳罰を望んでいましたので」

「えっ!? マイク先輩が何かやらかしていたんですか!?」

「大分やらかしていました。詳細は後程、罪状をまとめた資料を送りましょう」

「お、おおう……気になるから普通に感謝しますが、そういうのを部外者に見せてもいいんですか? 校長」

「貴方ほどの当事者はこの場に居ませんよ、鈴木千尋」


 千尋は釈然としない想いを抱えながら、ヒルダの言葉に苦笑いを浮かべた。

 本人の認識としては、単に友達を助けに行っただけ。

 確かに、マイクという先輩がテロリストの共犯だったのはショックだし、ビリーという仲の良い先輩がどうなっているのかは心配だが、誰かが死んだわけでもないのでさほど心配はしていない。

 そう、ヒカリという親友が命の危機にあり、ついでに世界崩壊の危機も起こっていたので、千尋の心配ゲージが既に振り切れてしまい、判断基準が日常に戻っていないのだ。

 そんな状態で細々とした事情を説明されても、反応としては『へぇ、そうなのか』程度しか返せないというのが本音である。


「何せ、覚悟を決めたのは貴方自身とはいえ、彼らが原因で、鈴木千尋という少女はこれから七難八苦を歩むことになるのですから」

「……というと?」


 釈然としない表情のまま、千尋はヒルダに訊ねる。


「貴方が超越者となったことです」


 すると、ヒルダは冷徹な表情のまま、説明を始めた。


「数多の達人、超人が存在する『天球世界』であっても、世界の理の外側に踏み出した超越者は数人程度しか存在しません。しかも、その超越者はどれもが魔術の達人。易々と手を出せぬ領域の存在です…………貴方が、未熟な魔術師見習いのまま、超越者となるまでは」

「ええと、つまり」


 ヒルダの説明に、千尋は嫌な予感をしながら再度訊ねる。


「アタシは今、『天球世界』の魔術師たちにとって、格好の実験対象ということですか?」

「この事件をまた聞きした愚か者たちは、そう思うかもしれませんね。実際は、世界が滅びかねない爆弾であることも知らずに」

「ば、爆弾!?」

「そう、鈴木千尋。貴方は今や、世界崩壊クラスの爆弾です」


 そして、予感の通り、帰って来たのはろくでもない真実。


「世界を滅ぼしうる危険存在として、広く知れ渡ってしまったのです」


 親友を助けるために魔王を討伐した代償は、己自身がかつての魔王のように世界の敵になってしまった。

 そんな、古い御伽噺のような顛末こそ、千尋に与えられたどうしようもない真実だったのである。



●●●



 三か月ぶりに立つ修練場に、千尋はどこかよそよそしさを感じた。


「んー」


 ストレッチで腕を伸ばしながら、自身の感傷に苦笑する。

 どうにも、千尋はこの修練場に郷愁を感じる程度には、ここで鍛錬をすることに慣れてしまったらしい。


「よし!」


 だからこそ、再びこの場に立てることが嬉しくてたまらないのだ。


「お願いします、師匠!」

「ああ、来るがいい、弟子」


 拳を構え、相対するのはクロウ。

 最強の魔術師にして、千尋の師匠。

 そして、今まで何百回も組手を重ねた相手だ。

 故に、千尋は理解している。

 クロウは組手の際、千尋が挑みかかるまで、ひたすら待ちの姿勢なのだと。

 千尋が仕掛けるありとあらゆる技を粉砕し、叩き伏せるまでが組手なのだと。


「我が肉体よ、金剛の如く。音よりも早く」


 だからこそ、千尋は最初から全力だった。

 身体強化。

 音速移動。

 この二つの魔術を兼ね合わせて、力任せに突っ込んでいく。


「ほう」


 ――――そう見せかけて、途中で武術の歩法を挟み、クロウの視界から消えた。


「っだらぁ!」


 急速にクロウの死角に潜り込み、痛烈なる蹴りを放ったのである。


「悪くない。むしろ、良い。少なくとも、三か月前よりも強くなっている」


 クロウはその蹴りを軽々と受け止めながらも、賞賛の言葉を惜しまない。

 そう、今の千尋は三か月前よりも強くなっていた。

 魔術による治療を受け続けていたとはいえ、三か月眠り続けていたばかりだというのに、千尋の肉体はまるで衰えを見せない。

 むしろ、超回復の如く、三か月前よりもよほど強靭なものに仕上がっていた。


「受けられるのは前提です! 【運否天賦】からの【ファンブル!】」

「むっ」


 更に、千尋は三か月前よりも戦闘センスが上がっていた。

 単なる資格からの奇襲ではない。

 いつの間にか、クロウの頭上には無数に降り注がれる硬貨が。

 そして、それらは『きききぃんっ』と千尋が与えた不運に見合った衝突を繰り返して。


「不運の金の音が九つ! これを対価として、神の怒りを一つ!」


 千尋の詠唱と共に、空気を叩き割るような雷を落した。

 召喚魔術【ソリティア】の簡易版。

 不運によって紡がれた効果同士の衝突音が、偶然、雷という災厄を呼び込む魔術を起動させたのだ。


「さぁ、どうですか!?」


 奇襲に次ぐ奇襲。

 不運に重ねた新技。

 並大抵の魔術師ならば、この時点で戦闘不能を通り越して死亡の危険すらある状況。


「なるほど。死線を乗り越え、超越に至り、普段の動きのキレも増したようだ」


 けれども、当然の如く、クロウには傷どころか、黒のローブに焦げ目すら付かない。


「では、こちらも新しいものを見せよう」


 ぱちん、とクロウが指を鳴らす。

 すると、クロウの影から這い上がるように、一体の獣が姿を現した。

 バチバチと雷を放つ、イタチにも似た獣が。


「我が弟子。召喚に用いる際、己と縁のあるものを媒体とすると魔力の節約になる。たとえば、己の影など」

「師匠! だけど、転移魔術難しいです!」

「そこは練習だ――――昇格せよ」


 次いで、イタチに似た獣は、クロウの詠唱に応えるように泣き声を響かせて。


「【魔導昇格:雷神】」


 獣は、褐色の肌を持つ、筋骨隆々の武人へと変貌した。

 変わらず、雷を肉体に纏っているが、その風貌はまさしく人間。

 しかも、ただの人間ではない。


『ぎゃぎゃぎゃっ!』


 獣の如く笑いながらも、道具を――『雷を操る小太鼓』を叩く人間だ。

 そう、昇格している。

 ただのあるがままに戦う獣から、道具を持って魔術を操る人間――否、神格を持つ者へと。


『落ちろ、神鳴る裁きぃ!!!』


 空気を割る轟音。

 修練場を震わせるほどのエネルギー。

 それらは即ち、雷を示していた。

 ただの雷ではない。

 一つの山すら、焼き焦がすほどの威力を秘めた、黄金の鉄槌だ。


「我が【黒】よ」


 だが、千尋はそれが落ちて来るのをわかっていたかのように、流体の【黒】で受け止める。


「術者の力量で、召喚した魔物を更なる存在へと引き上げることもできる……そう言うことですよね? 師匠」

「ああ。しかし、君の場合は相手が麒麟だから、この術を通すのも困難だぞ?」

「はい! そこら辺はまず、麒麟の力を全部引き出してから考えます!」


 一つの山を焼き焦がすような魔術と、それを防ぐ【黒】の防御。

 まるで、神話のワンシーンのようだが、これはあくまでも組手に過ぎない。

 そう、最強の魔術師と、その弟子の鍛錬とはこうなのだ。

 世界を救い、時に超越者とも戦うこの師弟の鍛錬は、ここまで苛烈でなければならなくなっていたのである。

 この時点で既に、クロウが予定していた育成プランは破棄されていた。


「では、次はアタシが――――超越の力を見せつけますので!」

「ああ、来い」


 何せ、クロウの育成プランでは間違っても、千尋を超越者になんて成り果てさせるつもりはなかったのだから。


「さぁ、師匠に格好いいところを見せるぞ! 【破邪の銀】よ! アタシに邪悪を斬り祓うための剣を!」


 銀の外套を纏い、銀の剣を――超越の力を振るう千尋。


「まったく、平凡などと誰が言ったのか」


 その姿に、クロウは思わず小さな苦笑を浮べたのだった。




「弟子よ……この【銀】だが、多分、君が邪悪判定した相手でなければ通じないぞ?」

「あっれー!?」


 なお、千尋が命がけで超越して獲得した力というのが、非常に使い勝手の悪い代物だと発覚したりするのだが、そこら辺の再確認もまた、鍛錬の役割である。

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