第62話 夢の中で
「んお?」
気づけば千尋は、川のほとりに立ち尽くしていた。
「んんんん?」
周囲は真っ白な霧に覆われ、ろくに風景も見られない。
流れる水であることから、なんとなく川であることは推測できるものの、向こう岸がまるで見えないほど巨大であるため、感覚以外で川であることを証明するのは難しい。
「ええと、アタシはどうしてここに居るんだっけ?」
そんな場所で、千尋は首を傾げた。
頭の中に妙に靄がかかって思い出しづらいが、何かこう、とても大切なことを成し遂げたはず。物凄く褒められることを期待してもいいはず。
だというのに、何故、こんなところで一人、ポツンと立ち尽くしているのだろうか?
「あー、なんだっけ? こういうの漫画やアニメで見たことがある……なんだっけかなー? 確か、こう、さん? さん? 数字の三が関係している奴……」
とりあえず状況を整理するため、自分が何処に居るのかを思い出そうとする千尋。
「おい、ガキ。そんなところで何してんだ?」
そんな千尋へ、誰かから声がかけられる。
中性的な声で、男とも女とも判別できない声が。
「ガキって……いや、アタシもここが何処なのかさっぱりで」
千尋は振り返りながら、その声の主を確認する。
すると、一目見た瞬間、奇妙な既視感に襲われた。
「おいおい。自覚も無くここに来ているとか、超越の影響で惚けているのかと思いきや、割とがっつり死にかけてんじゃねーか」
かかか、と愉快そうに笑うその人は、頭からすっぽりと黒いローブを纏っていた。
顔は見えない。
ただ、綺麗な赤で彩られた唇だけは見える。
けれども、千尋にとって肝心なのはそこではない。
「……そのローブ」
「おう? この私の手作りローブがどうした?」
「…………えっと、アタシの師匠が着ている奴に似ているなって」
似ていると感じたのだ。
柄も無い真っ黒なローブ。
本来ならば、そんなものは大体どれも似通った物だとしか思えないというのに。
何故か、千尋は眼前の人物と、クロウが纏うものが、似ているように感じたのだ。
「へぇ、あの弟子。まだ、私の作ったローブを後生大事に使ってんのかね? まったく、拾った時は野良犬みたいだった癖に、いつの間にか忠犬に成りやがって」
「で、弟子?」
「おうよ。お前の師匠の名前、クロウっていうだろ?」
「――!!? な、何故それを!?」
目を見開き、驚愕する千尋へ、真っ黒なローブの主は当然のように答える。
「そりゃあ、お前の中にある【黒】を視れば、大体孫弟子ってことはわかるわ」
「え!? そんな、見てわかる感じなの!?」
「はっはっは、伊達に大魔導士は名乗っていないぜ。お前が【黒】をあんまり使いこなせていないことや、無理やり超越した所為で、【銀】の浸食がやばいことになっているのもまぁ、見ればわかる」
「え!? あ、あの! 情報量が! 情報量が多いのですが!?」
「こら、落ち着け」
真っ黒なローブの主――大魔導士は割りながら、どこからか釣竿を取り出した。
竹で出来た、シンプルな構造の釣竿だった。
「とりあえず、釣りでもしながらのんびり話そうぜ」
「えっ、この状況で!? 貴方の話が本当なら! 多分アタシ、あの後に――あっ、思い出した! 三途の川! ここ、三途の川だぁ!? アタシ死にかけてる!?」
「三途の川とは別物というか、超越者しか来られない場所の一部というか、お前が分かり易いように風景が変わっているだけなんだが…………これに関してはまだ教えるのは早いな」
「気になる物言いばっかり! 何なんだよ、貴方は!」
むきー、とローブに掴みかかる千尋を、大魔導士は「まぁまぁ」と宥めながら釣竿を手渡す。
「ガキ。お前には頼れる師匠が居るだろ? 心配しなくても、あいつがお前を死なせねぇよ」
「……そ、それは、そうだけど!」
「ただ、ここに来るのには少し時間がかかるだろうな。その分、暇つぶしに釣りでもしながら、色々とトークしようぜってことだ」
「…………むぅ」
渋い顔をした千尋はしばらく悩む素振りを見せた後、諦めたように訊ねた。
「ねぇ、ここに釣り餌とかあるの?」
「ああ。なんか、川辺の石をひっくり返すと、きもい感じの小さい悪魔が居る」
「うわぁ」
かくしてしばしの間――クロウが来るまでの間、釣りを始めることにしたのだった。
「あのさ、大魔導士……さん?」
「大魔導士そのものが敬称みたいなもんだから、さん付けは必要ないぜ?」
「じゃあ、大魔導士。無我夢中だったからわからなかったけど、アタシはどうなったの? なんかこう、世界の法則を越えた感覚はあったけど」
「んー、超越者ってのはあれだ。世界の法則を乗り越えて、己が我を通すため、自分自身の理を獲得した奴のことを言うわけだ」
「ええと、それは固有魔法を作るのとどう違うの?」
「超越者が振るう理は法則に留まらない。ルールに収まらない。だから、お前が望めば望むほど強大になり、その内に世界を塗り潰す」
「…………アタシ、世界の敵なの?」
「さて、どうかね? 超越者は誰しも世界を滅ぼせるだけの力を持っているが、ほら、人を殺せる力を持っていても、実際に人を殺さなければ犯罪者じゃないだろう? それぐらいの心持ちで居た方が楽だぞー」
「随分とまぁ、気楽なものいいをするなぁ」
長いような短いような時間の中、千尋と大魔導士は様々なことを話した。
「そういえば、【黒】とか【白】も、超越者の力なの?」
「元々はそうだな。だけど、それだと使う度に力強くなって、いつか逸脱する危険性があるわけだから、私はある程度グレードダウンさせて、魔術という技術に落とし込んだわけだ」
「ふーん」
「まぁ、その技術を獲得した所為で、弟子二人は超越する手がかりを掴んて、超越者になったわけだが」
「その二人って、師匠……クロウ様とシロナ?」
「そうそう。いやぁ、優秀な弟子を持てて誇らしいぜ、私は」
「……シロナの方は大分問題ありそうだけど?」
「かもな? だけど、あいつには問題がある分、功績もあるからな。そこら辺を師匠としてひいき目で見てしまうわけだ、私は」
「駄目な師匠」
「かもなぁ」
それは世界の真理だったり、歴史の影に隠された真実だったり。
「でもまぁ、こんな駄目な師匠でもな? 割と弟子からは慕われていたわけだ」
「そうなの?」
「そうそう。クロウもなー、小さい頃はいつも私にくっ付いてきて、可愛かったんだぞ?」
「その話を詳しく!」
「お、いいのかー? 今の時間はぶっちゃけ、奇跡みたいなボーナスタイムだぞ? 他に、この私に聞きたいこととか――」
「師匠の可愛い時代の話をお願いします!」
「かかかっ! 恋する乙女はこれだから」
そして、その大半が、千尋が望んだクロウについての話だったりする。
何にせよ、千尋と大魔導士は、全く釣果の無いまま、ずっと話し続けて。
「探したぞ、我が弟子」
「あ、師匠!」
やがて、この場にクロウが現れたことにより、奇跡の時間はお開きとなった。
「あのですね、師匠! 今、師匠の師匠が――――あれ?」
ただし、千尋が視線を戻した時には既に、大魔導士の姿は無く。
「…………そうか。我が弟子を守っていてくれたのか、師匠」
クロウは誰にも見せないように表情を隠し、どこか寂しげに言葉を紡いだ。
●●●
「さて、弟子よ」
「はい」
「私は基本的に、君には体罰などは無意味だと感じている」
「その心は?」
「君は素直で頑固だ。己の間違いは言葉で言えば、素直に反省する。だが、己がやらなければならないと思ったことは、たとえ私の言葉でも曲げたりはしないだろう」
「えー、そうですかー?」
「現に、護衛のルーを振り切って、こんな有様になるまで無茶をしただろうが」
「そこら辺は友達を助けるためなので仕方ないと思って諦めてください」
「ほら、言った通りだ…………私としては、そこら辺は弟子の我儘として受け入れているのだがな? 今回の件で、君の父親が大変怒っていてな?」
「あー、うん。うちの父さんは無茶をやらかすとガチギレしますね、はい」
「君が魔術師になることを認めていた父親がガチギレするのは相当だぞ?」
「それは、まぁ、はい」
「故に、君の父親から『がっつり反省させてください』と頼まれているので、これから体罰を始める」
「し、師匠からの体罰……なんだかドキドキしますね!」
「では、私の長い人生で記憶している『クソつまらない映画十選』を上映するから、君は映画一本に付き、感想文を十枚以上提出しなさい」
「あ、ガチで辛い奴だ!? というか、体罰!? 体罰ではないのでは!? 精神的な苦痛ですよ、これは! 肉体的な苦痛の方をお願いします!」
「弟子の行動を制限して、罰を強制する。これは広義では体罰に入るという意見がある」
「そうかなぁ!? アタシとしては普通に肉体的な痛み方が良かったんですけどぉ!?」
「君がそのように言うことも考慮しての罰だ。甘んじて受け入れなさい」
「うう……はぁい」
千尋はニア三途の川のほとりで、長い時間反省することになった。
上映中、『カメラワーク!』やら『脚本家出てこい!!』など、キレ散らかすこともあったものの、最終的には全ての感想文を書き終えて、ようやく師匠からの罰を終わらせることが出来たのだった。
「は、反省しました……今度から無茶する時は、きちんと自分のダメージが少なくなるように考慮します……」
「よろしい。では、そろそろ現世に戻るぞ。いい加減、君の友達を待たせているのも酷だからな」
「はぁい……ちなみに、師匠。アタシはその、どれだけの期間、ここに?」
恐る恐る、という様子で問いかけた千尋へ、クロウは仏頂面のまま答えた。
「三か月だ」
「へ?」
「三か月間、君は意識不明の状態だった」
「お、おおう」
そして、眠っていた期間の思わぬ長さに、千尋の背筋がぞくりと震える。
「あ、あの、師匠?」
「なんだ?」
「…………アタシの親友たちは怒っていますか?」
「それは君が実際に確かめるといい」
「怖いよぉ! 絶対に怒られる奴だよぉ! 泣きながら怒られるぅ! アタシの心が痛くなる奴だよぉ! クソ映画十選よりもよほど辛いよぅ!」
「そうか。存分に反省するといい」
泣き叫ぶ千尋を小脇に抱えて、クロウは歩みを進めていく。
川から離れて、段々と霧が晴れていく方向へと。
「千尋」
「あ、師匠が名指しする時は、本当に真剣なことを言う時だ……ええと、これからもっと怒られる感じの――」
「君が手に入れた超越の力は、使い過ぎれば生命の枠から逸脱する」
「……へ?」
「超越者は辛うじて生命の範疇だ。だが、世界すら滅ぼせる力を行使する内に、その在り方すら歪み、やがて、存在するだけで世界を滅ぼす『超越存在』へと姿を変えるだろう」
「…………」
「忘れるな、千尋。私たちの力は、守るよりも簡単に全てを滅ぼしてしまう」
「…………はい」
クロウに抱えられている中、千尋は今までとは異なり、ぐったりと俯いた。
どうやら、ようやく自分がどれだけ危険な領域に立ち入っていたか理解したらしい。
「だが、まぁ、そうだな」
しかし、そんな千尋へ、クロウは小さな苦笑と共に告げる。
「よく頑張ったな。君は私の誇りだ」
温かい賞賛の言葉を。
「――――っ!!! は、はいっ!! アタシ、頑張りました!!」
それだけのことで千尋は、今までの罰も吹っ飛ぶぐらいの笑顔を浮かべた。
この後に待ち受ける説教の嵐も、今だけは忘れて。




