第61話 もう一度
今回はいつもの倍ぐらいの長さがあります。
天原ヒカリの精神は、生まれながらに老いていた。
おぎゃあ、と産声を上げた瞬間から、魔王転生者としての呪いが発動。
ただの無力な赤ん坊から、自立可能な五歳児程度まで、周囲の人間から生命力を吸い取って強制的に成長。
その後、周囲の人間の記憶に洗脳魔術で干渉して。
「そこまでです」
自身の存在を上手く隠そうとした、その時のことだった。
「呪いよ。世界を滅ぼす呪いよ。新たな命を蝕むことなく、凍りなさい」
まるで、魔王転生者が誕生することをわかっていたかのように、矛盾の魔女ヒルダが、その呪いを凍結させたのは。
「魔王よ。貴方は幾度も繰り返し過ぎました。故に、このように対策されるのです」
そして、ヒルダがこの場に居る理由は至極明白。
新たなる魔王の誕生を防ぐためだ。
腕利きの占星術師に魔王の誕生を予測させ、その暴虐を抑えるために先回りしていたのだ。
かくして、最新の魔王の命運は尽きた。
後は、この捕獲した魔王を永遠に封印すれば、この『天球世界』から魔王という世界崩壊クラスの災害は消え去るだろう。
「さて、後はこの子をどうするか、ですね」
しかし、ヒルダは教育者だった。
ミネルヴァ魔法学校の校長だった。
遥か昔、教育者ではなく、恐るべき魔女だった時ならば、魔王として生まれた赤子を迷わずに封印したことだろう。
だが、ヒルダは既に教育者になってしまった。
子供たちを健やかに育て、一人前の魔術師として送り出す側になってしまった。
「とりあえず、この子のご両親と相談してから決めましょうか」
故に、天原ヒカリという少女は生まれたのである。
祝福からは程遠い、呪いの出自を背負って。
当然の如く、ヒカリの両親はヒカリを拒絶した。
何せ、魔王転生者だ。
魔王の生まれ変わりであり、世界を滅ぼす災害だ。
たとえ、腹を痛めて産んだ子供だろうとも。
生まれる子供の名前を考えていたとしても。
生まれた瞬間、産んだ母親ごと、病院に居た者たちの生命力を奪い去る怪物を育てることに拒否感を覚えるのは仕方がないことだ。
何せ、ヒルダが予め備えておかなければ、そのまま魔王となった我が子に殺されていてもおかしくはない状況だったのだから。
「これからは私のことを母と呼んでも構いませんよ」
従って当面の間、ヒカリは『何があっても対処が可能な人材』であるヒルダの下で育てられることになった。
天原ヒカリ、という名前を付けたのもヒルダだ。
この時、ヒルダはそれなりの覚悟を持って、ヒカリという赤子――既に五歳児程度の大きさになった子供を育てようとしていた。
「あ、いや、大丈夫です……はい」
しかし、この時すでに、ヒカリの中には明確な人格があった。
魔王の呪いを凍結させた後、急速に成長したヒカリの脳髄が、数多の魔王の記憶を参照し、緊急避難としてインスタントに人格を形成したのである。
そう、現在の天原ヒカリの基幹となる人格を。
「え、どうしてですか?」
「いざという時に、自分を殺しに来る処刑人を母親扱いはちょっと」
「むぅ、正論」
つまりは、その時既に、ヒカリは陰気で卑屈な子供になっていた。
それもそのはず。
ヒカリが人格形成に使った魔王の記憶は、どれもろくでもない結末を迎えるものばかり。
そんなものを参照して作り上げた人格なのだ。
陰気になって当然だろう。
その上、生まれたての全能感のままに力を振るった結果、あっさりヒルダに負けたばかり。
ヒカリが卑屈な人格になっても仕方がない経験だっただろう。
「お互い、ドライに行きましょう。魔王の呪いを封じてくれたことには感謝しますが。それでも、あまり情が湧かない方がいい立場でしょう」
「むむむ」
既に、ある程度自立した人格を持ったヒカリは、ヒルダとの距離を取ることを選んだ。
魔王の記憶がそうさせたのか。
あるいは、ヒカリの生存本能がそうさせたのか。
答えはヒカリの中でもはっきりとしていない。
ただ、わかることは一つ。
――――他人を信用してはならない。
魔王転生者とは、世界を滅ぼす災厄そのもの。
たとえ、絆を結んだ相手からでも、殺意を向けられてもおかしくない存在なのだから。
ヒカリは平穏な生活を望んだ。
魔王の呪いに意識を乗っ取られた経験を持っている所為か、魔王の記憶から魔術を使おうとも思っていない。
故に、ヒカリはミネルヴァ魔法学校に所属するまで、魔王としての力を抑えて生きて来た。
勉強は多少得意。
運動は苦手。
人付き合いが苦手な陰キャとして生きて来た。
錬金術に関してだけは、ヒカリ自身の才覚が大きいため、ポーション制作に力を入れて。
それでも、一般的な『天球世界』の子供を装って生きて来た。
だが、作り上げたガワの全てが偽装というわけではない。
人付き合いが苦手な陰キャ。
それはヒカリの真実でもあった。
何故か?
単純に怖いのだ。
他人を易々と屠るだけの力を持った自分自身が。
世界を滅ぼしかけた魔王と、同じ魂を持つ自分自身の性が。
「あの子ってなんか陰気よね?」
「いつも一人でポーション作ってて」
「そうそう。今時、ポーションなんてさー」
怖いのだ。
ほんの些細な癇癪で、陰口を叩く同世代の子供を殺せるのが。
故に、ヒカリは人見知りになった。
他人との意思疎通を怖がるようになった。
いつ、己の内側から魔王が復活するかわからないのだから。
――――不幸だったのは、天原ヒカリという人格には寂しさがあったこと。
他人が怖い癖に、人恋しい。
陰気で卑屈だというのに、誰かと触れ合いたい。
魔王転生者であっても、友達が欲しい。
だから、ヒカリは保護者であるヒルダに、生まれて初めて我儘を言った。
「私をミネルヴァ魔法学校に入学させてください」
友達が作りたい、なんて口が裂けても言えなかった。
何か、それらしいことを、もっともらしく言った記憶がヒカリの中にある。
自分が魔王になった時は、ヒルダに殺して欲しいと約束した記憶も。
そして、ヒカリは勇気を出して、ミネルヴァ魔法学校の女子寮に入って。同世代の子供が入学してくるまで、一足早く、先輩たちと交流しようとして。
「…………駄目です。私は全然駄目です」
失敗した。
当然の失敗だった。
魔王としての記憶にあるのは、最低のコミュニケーション失敗例。
そして、ヒカリは今まで他者を遠ざけ、隠れて生きて来たコミュ障。
上手く行くはずがないのだ。
同世代ならまだしも、初対面の先輩とのコミュニケーションなんて。
「む、無理だ……私には無理だったのです……うう、大人しくひっそりと一人で生きよう」
だからこそ、ヒカリは様々な工作を重ねて、寮内でも一人部屋で過ごせるようにして。
「大丈夫だよ、アタシは敵じゃない」
そんなヒカリの小賢しさをぶち抜くような、親友だと認め合える少女と出会えたのである。
生まれて初めて、他者の温かさと、友情の繋がりを教えてくれたのである。
更には、そんな親友と共に過ごす内に、もう一人、変わった性癖だけれども、親友と呼べる少女と出会えたのである。
故に、ヒカリにとっては当然のことだった。
親友を守るために、今まで封じて来た魔王の力を解き放つことも。
命を賭けることも。
だから当然。
『あぁ。本当に馬鹿ですよね、千尋は』
このまま、初代魔王の意識に掌握され続けるほど、天原ヒカリという少女は柔ではないのだ。
●●●
千尋が【破邪の銀】と名付けたそれは、【黒】のように自在に姿を変えたりはしない。
【白】のように、夢幻を顕現させたりもしない。
ただ、身に纏う外套を一枚。
「我が【銀】よ。呪いに抗うための剣をここに」
そして、銀の刀身を持つショートソードを一振り。
「さぁ、行くぜ」
千尋は剣士を気取った構えを取ると、そのまま駆け出した。
「認めるものか! 認めてたまるものか! 貴様を認めてしまえば、私は!」
立ち向かうは、世界を滅ぼすに足る力を持った魔王。
【魔王儀典】によって作り上げられた、無数の残影。
既に滅んだ魔王たちの怨念の塊。
「アタシは邪悪を打ち破る者。故に、アタシの剣はどこにでも届く」
――――ざんっ!!!
千尋の斬撃は稚拙だった。
素人のチャンバラに過ぎなかった。
無手の武術は習っていても、剣術は素人同然。
「……なん、だと!?」
されど、魔王は驚愕した。
何故ならば、滅ぼされたからだ。
たった一振り。
千尋が乱雑に振るった一撃により、魔王が生み出して残影は全て滅んだからだ。
未練を断ち切るかのように、【破邪の銀】がその効果を発揮したからだ。
「まさか! やはり! 貴様は、成り果てたのか!? 超越者に!」
「…………けほっ」
吠えるような魔王の問いに、千尋は答えない。
「けほけほっ……あー、うん。仕方ない、これは」
答える余裕がない。
その口からは色鮮やかな血が吐き出されて。
その目からは涙の如き出血が止まらない。
【魔王儀典】を切り裂いた一撃、それを繰り出した右腕は、段々と銀色に浸食されてしまっている。
千尋の肉体そのものが、何か別の存在に変わろうとしている。
このままでは、死ぬよりも取り返しのつかないことになる。
「待ってろ、ヒカリ」
それを理解しつつも、千尋はなおも銀の剣を構えた。
世界を救うなんて大層なことをするためではなく。
「アタシがお前の親友だって、ちゃんと証明してやるから」
掛け替えのない友を救うために。
「動きます。各自、魔王を拘束するための準備をしてください」
千尋が超越者と成り果て、魔王と戦い始めた時。
ヒルダは冷徹な表情を僅かに歪ませ、教師陣と警備員たちに指示を下した。
「好機ではありませんが、今しかありません。多少無理でも成し遂げます」
だが、その指示の内容は、最善からは程遠い。
それどころか、最悪を避けるために仕方がなく下した指示のようだった。
「校長。ありゃあ、駄目だぜ」
そんなヒルダへ、保険医がいつになく真剣な口調で言う。
「俺ぁ、同僚と違って、誰かを治すことぐらいしか取り柄が無い。今、鈴木千尋が何に成り果てたのかも正しく理解しちゃいねぇ……だけど、わかる。『あれ』は駄目だ。魔王よりも先に、鈴木千尋を止めるべきだ」
保険医の指摘は正しい。
生徒の健康と安全を第一優先にしているのならば、それは正しい。
「不可能です」
「は?」
だが、それはあくまでも、世界の理の内側に居る者の意見でしかない。
「超越者と成り果てた彼女を止める手段が、私たちにはありません」
「いや、そんな馬鹿な! 俺はともかく、同僚は優秀な魔術師揃い! それに、アンタは魔術師の最高位だろうが!」
「それでも、足りません」
超越者とは、その外側に居る存在なのだ。
「今の彼女は、世界の理を超越した存在。未だ、理の内側で足踏みしている私たちでは、彼女を殺すことは出来ても、止めることは不可能です。故に、彼女を止めるためには、彼女の目的を果たすしかない」
【最強の黒】と【創造の白】。
ヒルダが知る限り、今の千尋を確実に止めることが出来るのはその二人だ。
だが、【創造の白】は論外。誰かのために動くような真似はしない。
【最強の黒】も、あれは優しくありながら厳しい存在だ。
千尋が存在を賭して友を救おうとする行動を止めようとはしないだろう。何がどうあれ、その命を保証しつつも、途中でかっさらうように救済するような、無責任な甘さは【最強の黒】には無い。
それをヒルダは知っている。
かつて、同じ存在を師として仰いだ者として。
「それに、いい加減、私も我慢の限界です」
苦渋の決断の末、ヒルダは魔王としてヒカリを処断しようとしていた。
ヒカリと交わした約束を守ろうとした。
だが、それを認めない子供の暴挙を認めてしまい、その所為でヒカリを助けようとした子供は、更にとんでもないことになってしまっている。
「己の無能さに、いい加減、腹が立ってきました」
故に、ヒルダは灼熱のような言葉を吐いて、行動を開始した。
無理無茶無謀。
そんな暴挙をやらかして、世界の理すら超越した生徒が居るのだ。
最悪に近い状況だからと言って、不可能に近い前提だからと言って、それで諦める自分は許せないのだと。
「素晴らしい」
ヒルダたち教師陣の他にも、千尋と魔王の戦いを観ていた者たちが居た。
「やはり、異なる世界の交わりこそが、革新の始まりなのです」
感極まった表情で語るレイゼ。
「…………」
黙して語らぬマイク。
魔王の毒に蝕まれ、余命いくばくも無かったはずの二人が、平然とした様子で観戦していた。
戦場から遠く離れた、魔法学校の敷地ギリギリの場所で。
「矛盾の魔女と魔王の戦いを横からかっさらおうとしていましたが、ふふふっ、これは予想以上に素晴らしいものが見られそうです」
いかなる手段によるものか。
二人のテロリストは今、魔王の毒を切り抜け、第三勢力としてそこに立っていた。
「新たなる超越者と、最新の魔王……上手く行けば、二つとも手に入れられるかもしれません。ええ、期待に胸が膨らみますねぇ、マイク君?」
「…………」
「これこそ、革新主義者冥利に尽きる、というものです!」
だが、この二人のテロリストの間には、感情の格差があった。
愉悦と感動に舞い上がるレイゼに対して、マイクは険しく千尋と魔王の戦いを見つめていて。
「なぁ、わからないのか?」
「はい?」
普段の丁寧な口調を捨て、問いかける。
「本当に、二つの世界が交わったおかげで、今の状況が生まれたとでも?」
怒りを秘めた口調で、共犯者へ問いかける。
「ふむ? 何を怒っていられるので?」
「『地球世界』と『科学世界』が交わったから、今の状況があるんじゃない。あの子が、鈴木千尋という少女が、俺たちには想像もつかない覚悟を持って挑んだからこそ、今の状況があるんだよ」
「…………いえ、それは確かに。ええ、もちろん。個人の性能も肝心であることはわかっています。けれども――」
「俺は悔しいよ」
レイゼはもっともらしい言葉で、マイクの怒りを宥めようとした。
「俺は、俺自身に対してむかついて仕方がないよ。あの子が……明らかに、俺よりも才能がないとわかっているようなあの子が、友達のためにあそこまでやれているのに。どうして、俺は俺自身を諦めてしまったんだろうってさ」
「――――っ!」
けれども、マイクの口から紡がれた後悔に、レイゼの口が止まる。
余裕が剥ぎ取られる。
「それ、は」
捨て去ったはずの過去が、レイゼの背中に触れて来る。
「捕まってもいい。罰を受けてもいい。俺は、先輩として後輩を助けに戻る。今更過ぎるけれども、中途半端で、格好悪いことこの上ないけど……俺は、そうしないといけないんだ」
マイクはレイゼの答えを待たない。
秀才に相応しい速度の飛行魔術で、超越者と魔王の戦場へと突っ込んでいく。
「――――ああもう! 自殺行為は流石に認められませんよ、我が共犯者!」
結局、レイゼは答えを出せないまま、慌ててマイクの背中を負うことにした。
自ら捕まる、そのリスクさえも頭から吹き飛んだまま。
外野がどのような思惑を巡らせていようとも、超越者と魔王の戦いは揺るぎない。
否、揺らぐだけの余裕が無いのだ。
どちらとも。
「は、ははははっ! どうした、魔王!? それで終わりかぁ!? テメェの怨念、全部吐き出してみろぉ! アタシが全部切り捨てて! ヒカリを取り戻す!!」
勇猛果敢に銀の剣を振るい、あらゆる魔王の固有魔法を切り捨てる千尋。
されど、既に出血は致死量を過ぎている。
今、死んでいないのは偏に、『千尋が人間を越えた何か』に成り果てたからに過ぎない。
このまま【銀】の浸食が進めば、千尋は取り返しのつかない者に成り果てるだろう。
「そちらこそ! 我を直接切り捨てられないのは! まだ、超越の力を扱い切れていないのだな!? ならば、我にも勝機があるというもの!」
傲慢不遜に軽々と、一国すら滅ぼす固有魔法を繰り出し続ける魔王。
されど、既に呪いは擦り切れ始めている。
【銀】の直撃を受けたわけではない。
だが、それでも、千尋の生き様、友のために存在を賭けて挑む在り方に、魔王の呪いが消え始めているのだ。
浄化なんて、ありきたりな言葉では足りないほど、複雑な内心の変化によって。
「さぁ、越えて見せろ、鈴木千尋! 我を! 魔王を! 世界の崩壊を! 理不尽を砕き、大切な者を守れるというのならば! この世界にも救いがあるというのならば! それを証明してみせろぉおおおおおっ!!」
故に、魔王の攻勢は更に苛烈さを増して行く。
瓦礫を消し飛ばし。
大地を隆起させて。
空を割く。
一つ一つが天変地異にも及ぶ固有魔法を用いて、千尋に試練を課す。
「上等だぁ!!」
それに応じるように、千尋は小さな体で、大きすぎるほどの超越の力を振るう。
長い間、世界に刻まれていた、魔王という呪いを斬り祓っていく。
魔王と超越者。
二人の戦いは拮抗していた。
「――ぐっ!?」
がくん、と千尋の足が、本人の意識を無視して脱力するまでは。
「はっ! 実力不足! 経験不足! 身の程知らずだったなぁ! 鈴木千尋ぉ!」
限界だったのだ。
とっくの昔に、心身は限界を超えていたのだ。
むしろ、疲労の極致で脱力するなどという、人間らしい部分が残っていることが救いだ。
心身が【銀】に蝕まれ過ぎれば、それすらも感じられなくなるのだから。
だが、千尋の救いはヒカリの救いに繋がらない。
「しばし眠れ! 世界が終わる、その時まで!!」
魔王はここぞとばかりに残りの魔力を全て込めて、千尋を打ち倒す一撃を放つ。
「今です」
その寸前、魔王の――ヒカリの胸から、発芽するように氷の茨が巻き付いた。
魔王の行動を阻害するように。
「おのれ、矛盾の魔女! この肉体に仕込んでいたか! だが、それでも!」
ヒルダの魔術をきっかけに、教師陣、警備員たち、怪物魔術師でさえも、魔王の足止めに己が秘奥に値する魔術を使用した。
「我が呪いは尽きぬ!」
それらの拘束を、魔王は【魔王儀典】の使用により、『ありとあらゆる拘束を無効化する』固有魔法を創造。無茶な固有魔法の想像により、魔王の意識が不安定になる代償を支払ってまで、自由を取り戻す。
「さぁ、来い! 鈴木千尋ぉ!」
「お、おぉおおおおおおっ!」
今さっき、限界に達したばかりの肉体を【銀】に浸食させて、無理やりにでも斬りかかって来た千尋を迎え撃つ。
「夢幻よ、消え去りなさい」
だが、畳みかけるようにもう一つ。
革新主義者たちの一手が魔王の意識に止めを刺さんとする。
初代魔王の意識が覚醒したきっかけ。
【創造の白】によって生み出された初代魔王の血液を、レイゼの言葉によって、元の夢幻へと還したのだ。
これにより、魔王の呪いは完全に抑え込まれていた状態まで戻って。
「舐めるなぁああああああああっ!!」
それでもなお、魔王は止まらない。
「ぐっ!?」
固有魔法ではない、ただの拳打によって千尋が持つ銀の剣を弾き落す。
「我は! 私は! 止まらぬ! 約束を果たすのだ!!」
そしてそのまま、千尋の意識を刈り取らんと、連打の構えを取って。
「浄化の炎よ」
炎の矢が。
紅蓮の矢が。
魔王の呪いを焼き尽くさんとする聖なる炎が、魔王を貫いた。
「がぁああああああああああああ!!?」
絶叫を響かせる魔王は知らない。
介入していた外野たちも気づいていなかった。
「サンキュー」
ただ、千尋一人だけは気づいていた。
「信じていたぜ、親友」
もう一人。
ヒカリの親友であるフレイヤが、今までずっと機会を伺い、その一瞬までの間、全身全霊で魔術を練り上げていたことに。
「行きなさい、千尋。貴方とワタクシの親友を救うために」
そして、崩れた校舎から遠く離れた場所で、フレイヤは微笑みと共に倒れこむ。
全身全霊を使い果たしたが故に。
「く、来るなぁ! 来るなぁあああああ!!」
「大丈夫だ…………大丈夫だよ、ヒカリ」
千尋は落とした銀の剣も拾わず、魔王に歩み寄る。
叫び、燃え苦しむ魔王の醜態にも構わず、歩み寄り、近づいて。
「ここで、ここで消えるのならば! 我は何のために――」
「アタシはさ、ヒカリが魔王でも、全然関係ないよ」
抱き締めた。
銀の外套で包み込むように、優しく抱きしめた。
「――――あ」
その瞬間、魔王はまるで観念したように抵抗を緩めて。
「アタシも、フレイヤも、ヒカリの親友だよ」
人肌で溶かされる氷の如く、残された呪いは全て消え去った。
●●●
気づけばヒカリは、ボロボロの玉座に座っていた。
周囲を見渡しても、ほとんど何も見えない。
真っ暗闇があるだけ。
「…………結局、我の自己満足に過ぎなかったのだろうな」
けれども、気付けばヒカリの眼前には、真っ白な人型が居た。
「あの人が求めていたのは復讐だった。だが、それは魔術師どもを殺した時点で終わらせればよかったのだ。そこから世界を滅ぼそうとしたのは、単なる八つ当たりに過ぎない。子供が癇癪で物に当たるのと何も変わらない……そう、魔王なんてものは結局、自分の弱さに耐えきれず、世界を壊そうとする愚か者でしかなかったのだ」
真っ白な靄が集まって出来たようなそれからは、男性の声が響いている。
強い悔恨が、それ以上の疲労によって塗り潰された声が、真っ暗な空間に響いている。
「悪かった。謝ってもどうにもならず、歴代の魔王たちも我を責めるだろう。だが、それでも、一つの区切りとして言わせてもらう。全ては、この初代魔王が悪かったのだと」
「……貴方は」
「――時間だ」
ヒカリが人影に向かって何かを言おうとすると、人影が薄れ始めた。
「きっと我は……自分は、あの人の居る場所には行けない。この世界に地獄があるのなら、最下層行きは間違いないだろう。それでも、先を行く者として、魔王の始まりとして、最新の貴様への忠告を最後の言葉とする」
薄れ始めた人型は、そのまま真っ暗闇の中に向かって歩いていく。
「人を呪っても、世界を呪うな。そんな人生は何も楽しくない」
やがて、長い間、世界を滅ぼさんとした災厄は、最後の最後、誰かを思う言葉を遺して消え去った。
「…………一人になりましたか」
眼前の白い人型は消え去って。
残ったのはヒカリただ一人。
真っ暗闇の中、ヒカリは古ぼけた玉座に腰かけたまま、途方に暮れて。
「アタシも、フレイヤも、ヒカリの親友だよ」
ある時、真っ暗闇が塗り潰されるような陽光が、この空間に降り注いだ。
それが、ヒカリの悪夢の終わりだった。
「ありがとうございます、千尋、フレイヤ……私はきっと幸せ者です」
「ふふんっ! アタシたちが居るんだから当たり前じゃん!」
そして、夢から覚めて、最初に紡いだ言葉が、魔王ならざるヒカリの出発点となった。
足元には崩れた校舎。
大地はひび割れ、地下のダンジョンは暴走寸前。
ついでに言えば、首謀者である革新主義者たちは既に逃走を始めて。
教師陣はそれを捕まえる者たちと、千尋とヒカリを病院に畳み込もうと駆け出した者たちに分かれて。
「あぁ、私はここに居ていいんですね」
懐かしくも愛おしい騒々しさに、ヒカリは静かに涙を頬に伝わせるのだった。




