第60話 道理を越えて
限界は直ぐにやって来た。
「ようやく、多少はマシになったか」
魔王はヒカリの手を動かし、己の意識がきちんと伝達されているのかを確認する。
「……ぐっ」
眼前で膝を折る、千尋の前で。
「年齢にしては、場数を踏んでいる。基礎の魔力操作も上出来。【黒】の扱いに関しても、継承してから一年も経っていないのならば上等。うむ、鈴木千尋……貴様は頑張った」
だが、と言葉を次いで、魔王は告げる。
「足りぬ。この我を――世界崩壊クラスの敵を討つには、貴様はまるで足りぬのだ」
千尋が今、敗北寸前で膝を折っている理由を。
「我をどうにかしたいのならば、最低でも超人クラス以上の力は身に着けておくべきだった。そうとも、この結果は単純な実力不足に過ぎない」
「うる、せぇ!」
淡々と語る魔王へ、千尋は力を振り絞って再起。
己の右腕に【黒化武装:籠手】を纏わせ、渾身の一撃を繰り出す。
「何度も試しただろう? 無意味だ――四番」
けれども、瓦礫の下から突き上がってくる鉄柱に、千尋の渾身は防がれてしまう。
「確かに【黒】は恐ろしい。あらゆる魔術に対する特攻の力となる。しかし、だ。対処法が無いわけではない」
次いで、千尋の体を打ち上げるように鉄柱が付き上がった。
「ちぃっ!」
身体強化があるとはいえ、千尋はまだ成熟していない少女の肉体。
勢いよく突き出された鉄柱にぶち当たり、無傷で済むとは思えない。
故に、千尋は【韋駄天】による音速移動で回避して。
「あらゆる魔力を消し去り、魔力で編み上げた物質さえも塗り潰すとしても。『実際に存在する物体』を魔術で変化させた『結果』そのものは消し去れない。元通りになんてならない。そう、この透明な網もその一つ」
「ぐあっ!?」
まるで千尋の回避方向を事前に察知していたように、魔王は透明な網を事前に張り巡らせて、その肉体を絡め取った。
「我は、歴代魔王は、何人かは【最強の黒】と戦い、敗北している。故に、御覧の通り、対策らしい対策は一通り身に着けている。その内の一つが錬金術だ」
「ぬぐぅ!」
千尋は音速で網に突っ込んだダメージを、身体強化による防御と回復魔術で相殺して、再起。
魔力も通していない透明な網を、簡単な炎の魔術で焼き切って脱出する。
「実在する物質を変化させる錬金術は、意外と【黒】との相性は悪かったりする」
「だと、してもぉ! 当たればアタシの勝ちだ!」
そして、千尋は再度【黒化武装】を纏う。
更には、【韋駄天】を発動。
そこに飛行魔術も重ねて、小回りの利くジェット機の如き機動力で魔王に迫る。
「――――何より、【黒】は消費される」
そんな千尋を吹き飛ばすように、突然、嵐が吹き荒れた。
魔王を中心に発生した嵐は、猛烈なる威力を持って、魔王に飛び掛かる千尋の動きを阻害する。非常に濃厚な魔力を伴った嵐が。
「ぬ、ぎぃっ!?」
【黒化武装】による拳は、あらゆる魔術を打倒する。
しかし、千尋自身から供給される【黒】には制限があり、何より、【黒】は魔力を打ち消した分だけ減るのだ。
従って、あまりに濃厚な魔力の放出を塗り潰そうとすると、【黒】の量が十分に伴っていない場合、相手の魔術を消し切れない事態も発生する。
「はぁ、はぁ、はぁっ!」
そう、今の千尋のように。
「あの恐るべき【最強の黒】ならば、このようなことにはならなかっただろう。あらゆる物質を貫き、魔力の濃淡など関係無く、一直線に我が身を貫いていただろう。だが、貴様は違う。あくまで、貴様は最強の魔術師の弟子に過ぎない」
「……っ!」
「身の程を弁えて下がっていろ。情は厄介だが、今の我でも貴様を気絶させることは可能だ」
相殺しきれなかった暴風に押し出され、千尋は瓦礫の山を転がり、傷つく。
魔王による指摘により、千尋の自尊心が傷つく。
今まで死線を潜り抜け、敵を倒し、世界を救って得た自信が消し飛んでしまう。
――――どれだけ強くなろうとも、世界を救おうとも、友達を救えなければ意味はない。
だからこそ、千尋は折れない。
「ぺっ! 助言感謝するぜ、魔王」
口の中に溜まった血の塊を吐き出し、にやりと不敵な笑みを浮かべる。
再起する。
立ち上がる。
恐れを知らぬ勇者の如く、魔王と再び相対する。
「助言だと? その無謀な再起を繰り返すことが? ならば、諦めさせてやろう」
魔王はすっと右手を上げ、絶対者として宣言した。
「展開せよ、【魔王儀典】」
千尋の敗北を。
一切の勝機を刈り取る魔術の発動を。
「これが力だ、鈴木千尋。世界を滅ぼす力だ」
魔王の背後に召喚されるのは、歴代魔王の面々。
ヒカリが作り上げた固有魔法により、その戦闘力を再現された戦闘人形。
単なる戦闘力だけではなく、その記憶を写し込み、可能な限り生前と同じ動きを可能とした、魔王の軍隊。
当然、今の千尋には為す術は無い。
残りの魔力全てを吐き出しても、この魔王の軍隊を消し去ることは不可能だ。
「諦めろ、鈴木千尋。これが現実だ。貴様に友は救えない」
魔王の告げる言葉は現実にして真実。
数多の悲劇を記憶として蓄えている魔王だからこそ、その言葉には確かなる重みがあった。
ありとあらゆる弱者を挫かせるだけの威圧があった。
「いいや、救える。今のアタシが無理だって言うなら、そういうアタシに成ればいい」
もっとも、鈴木千尋という少女は、この程度のことで諦めたりなどしない。
天原ヒカリの親友であることを遂行する。
――――己が魂に賭けても。
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クロウという超越者を師に持つ千尋は理解していた。
シロナという超越者と相対した千尋は理解していた。
――――この二人と、自分との間には断絶があると。
努力とか、才能とか、経験とか、技術とか。
そういう一般的な基準を『超越』する何かがあるのだと。
それに到達しない限り、自分は決して師匠に勝つことが出来ないのだと。
だが、そもそも千尋は未熟だ。
超越者どころか、達人クラスにも及んでいない。
精々、期待の一年生程度の技量である。
【黒】を継承しようとも。
世界を救って見せようとも。
麒麟と契約を結んで見せても。
鈴木千尋という少女が、魔術を習って一年も満たない新参であることは変わらない。
故に、千尋自身は強くなりたいと思っていても、心のどこかでは仕方がないと諦めていた。
鈴木千尋は平凡。
魔術の才能だって凡庸。
何せ、最強の魔術師である師匠がそう言っているのだ。
努力や鍛錬を重ねるのは止めないにせよ、未だ、強者たちに及ばないのは仕方がないことなのだと。当たり前の諦観を持っていたのだ。
「出来るのか? 貴様に。貴様は最強の弟子ではあるが、平凡な少女だろう? そう、そうだ。貴様は平凡な少女で。だからこそ――」
「うるせぇ。そんな正論、知ったことか」
けれども今、千尋はその諦観を投げ捨てる。
「平凡だとか。身の程だとか。正しい成長とか。そういうのは全部、知ったことか」
自身を守る言い訳を、正論を、何もかもを投げ捨てて。
「アタシは今、ヒカリを救う。それ以外の全部がどうでもいいとは言わないけど、今は無視して、馬鹿をやってやる」
千尋は愚者と成ることを選んだ。
空を飛ぶため、蠟で固めた羽で飛ぶような愚者に。
「誰もヒカリを救わないのなら! 親友のアタシが救わないとだろうが!!」
されど、太陽にすら焼かれぬ信念を携えて。
「行くぜ、【運否天賦:凶星】」
千尋は今、運命の賽を振るった。
――――りぃんっ。
「…………なんだ?」
魔王は訝しむように、それを見た。
空から落ちた、一枚の硬貨を。
千尋が威勢を込めて紡いだ呪文の後に訪れた、小さな結果を。
「これが一体――」
疑問と共に魔王が言葉を発しようとしたその瞬間。
りぃん。
りりりりぃんっ。
りりりりりりりりりりりりりりりぃぃいいいいん!!!
硬貨の雨音が、つんざく悲鳴のように周囲に騒音をもたらした。
「無機物の召喚? だが、これに一体、何の意味がある? この硬貨を使って、この我をどうやって倒す…………いや、待て。この記憶は……最新の記憶にある、この魔術は!?」
そして、魔王は気づく。
雨粒の如く落ちて来る硬貨、その全てが同じ面に揃えられているのだと。
「アタシが思うに、単なる意志の力だけじゃあ、『それ』は出来ない」
視線の先で立つ千尋に、凄まじいほどの運の負債が集中しているのだと。
「エネルギーが必要なんだ。莫大過ぎるほどのエネルギーが。そして、そのエネルギーを取り出すのは、師匠やシロナっていう怪物みたいに、才能が凄すぎる奴しか不可能だった」
運勢を操る魔術を持たぬ魔王であっても、怖気を感じるほどに、千尋に集まっている。
不運が。
運命すら捻じ曲げる、負のエネルギーが。
「だけど、逆に言えばさ。エネルギーの問題さえどうにかすれば、アタシでもどうにかなると思うんだよ。こんなアタシでも、友達を助けたいって想いは本物だから」
千尋が薄く笑みを浮かべ、右手を掲げる。
その右手に、不運が凝縮する。
その右手で触れた者は、あらゆる不運に襲われる。そう確信するほどの運の負債が、そこにはある。
だが、千尋の目的は、負債を魔王に押し付けることではない。
「まさか!? いや、不可能だ! 我々でも不可能だったのだ! 貴様の言う理論には間違いがある! エネルギーだけではない! その程度で、貴様が魔法を! 世界の理を『超越』出来るはずが――」
道理を。
制限を。
限界を。
全てを。
「【真理超越】」
真理を超越するため。
千尋はその負債全てを飲み込み、己が魂を変革させた。
「…………馬鹿な」
魔王は見た。
愚行の極致を見た。
あり得ぬはずの事象を見た。
そう、それはあり得ぬはずのことだった。
運の負債などというエネルギーを都合よく使い、己が魂を変革させることなんて不可能である。そんなに都合がよく回るほど、不運というものは甘くない。ましてや、積み重ねられた不運が反転し、幸運として使用者を祝福するなんてありえない。
だからこそ、魔王は理解した。
それは不運だったのだと。
それは呪いだったのだと。
この平凡極まる少女にとって。
「超越完了―――顕現せよ、【破邪の銀】」
銀色の外套を纏う超越者になることは、九生の輪廻を繰り返そうとも到達するはずがなかった、最悪の不運だったのだと。
「これで、対等以上だ、魔王」
「……う、あ」
「さぁ、反逆を始めよう」
それでも、それを知りつつも魔王は、自らに向かってくる千尋の姿に慄いてしまった。
超越者として顕現した力に対して、ではない。
「何故、どうして」
大切な者を守るため、最悪の不運さえも背負う千尋の姿に、『どうしてこうなれなかった』と過去の後悔が突き刺したのだ。
「どうして!」
だが、その後悔に応える者などは居ない。
孤独なる魔王は、子供のような癇癪と共に、世界を滅ぼせる力を振るった。




