第6話 最強の呪文
千尋が思い描く魔法学校の授業とは、文字通りファンタジーに溢れているものだった。
科学の常識を超えた、幻想生物を取り扱う授業。
羽根を持たぬ存在でありながら、空を飛ぶ方法を教える授業。
『地球世界』では思いもよらぬ、歴史の影に隠された真実を教える授業。
千尋は十二歳の少女らしく、それらを待ち望んでいたのだ。
普通の学校の授業とは違う、もっと刺激的で好奇心をそそられる授業を。
「ブツブツ……であるからして…………ブツブツ……だから……ブツブツ……この法則を利用して……」
しかし、千尋が魔法学校に入学して体験した授業は全て、最初は座学だった。
「ブツブツ……」
その上、猫背で豊満な体型で灰色のローブ姿という、色々と子供の性癖を歪めそうな魔女が、教師として教壇に立っているのだ。
そんな物凄い者を見せられてしまえば、母親の遺伝子関係で明らかに成長の余地の少ない千尋としてはテンションも下がろうもの――いや、それは構わない。新入生の男子たちは明らかに、教師の胸が揺れる瞬間を目に焼き付けようとしているが、千尋には関係の無いことだ。
問題は、教師の声が小さい上に早口なので、何を言っているのかさっぱりわからないところである。
けれども、ここで安易に『すみません、もっと大きな声でお願いします!』などと言ってはいけない。
それは教師の魔女が狭量というわけでは無く。
「あ、あの、すみませーん、ルナ先生。もう少しだけ大きな声で――」
「ふぁ、ふぁい!?」
御覧の通り、教師の魔女――ルナ・フォーナインは同性の生徒から、可能な限り気遣った言葉で指摘しても、『生徒から話しかけられた!』という状況自体に混乱してしまい、挙動不審となるのだ。
「…………ごきゅっ!」
『『『あっ』』』
そして、混乱したルナはほぼ確実に魔法薬を飲み込む。
自作の魔法薬――――本人は『ややテンションが上がるだけ』と言っているが、周囲からは『暴走薬』と揶揄されるほどの精神高揚ポーションを。
「ごきゅ、ごきゅ、ごきゅ――――ぷはぁ! 待たせたなぁ、ガキども!!」
ルナは腰まで届くような前髪をかき上げて、獰猛に笑う。
なお、これは別人格ではない。単に配慮と理性が消えると、ルナはこのようになるというだけの話である。
「クソつまんねぇ座学はここまでだ! 学びとは経験んんっ! そして実戦んんっ! つーわけで、今からテメェら全員に毒を付与すっから、完全に毒が回る前に解毒しなぁ! やり方は今から懇切丁寧に黒板に書いてやるよぉ!」
ちなみに、『このように』とはつまり『地獄のように』という意味である。
「おい、早く行けよ! もう、毒ガスがこっちに!」
「ああああ! 講堂の扉に施錠魔術が!?」
「誰か!? 誰か、解錠が得意な奴は!?」
ルナからこれ見よがしに放たれた、緑色の毒ガスから逃げ惑う新入生たち。
その内、ほとんどの新入生は必死の形相で扉にしがみつき、何とか外に出ようと試行錯誤している。
「大丈夫なのです、千尋。あれは致死性の毒ではありません。多分、吸い込むと段々体が痺れて動けなくなる奴ですね。私の知る限り、錬金術と肉体操作の応用で行けます」
「ヒカリ、それは今からアタシが学んで習得できそう?」
「黒板に簡単なやり方も書いていますし、コツを掴んだら余裕ですよ!」
「コツかー、掴めるかなー?」
しかし、千尋とヒカリも含む新入生の一部は、『もはや慣れた』とばかりに席から立たずに解毒魔術を試みようとする。
どうやら、新入生の中でも、はっきりと肝が据わっている人間とそうではない人間で分かれているらしい。
「…………」
ただ、その中でもやはり、赤髪の少女だけは群を抜いていた。
毒ガスが充満する講堂の中であっても、平然と教科書を開いて自習していたのだから。
つまりは、赤髪の少女にとってはこの程度の毒など、特に反応を示すまでも無く、瞬きの内に分解できる程度の代物だったのだ。
「はい、そこで魔力操作! 肝臓ではなくて! 仮想の臓器を作って、そこで解毒するのですよ! この毒ガスはあくまでも、魔素が変化したものなので! 毒物から魔素に戻すのも比較的簡単なのです!」
「かんた……簡単? ねぇ、簡単かな? これ……あ、段々と手が痺れれれ」
「大丈夫です! この類の痺れは痛みである程度取れますので!」
「…………アタシの腕にペンを突き刺してくれてありがとう、ヒカリ」
「どういたしまして! ちゃんと治すから痕は残りませんよ!」
一方、平凡を形にしたような千尋は、隣の席のヒカリからスパルタ教育を受けながらも、何とか解毒魔術を授業中に習得した。
赤髪の少女に比べて、明らかなる才能の差であるが、それでも講堂の床に転がって身動きが取れない大多数の新入生よりはマシだろう。
「ふぁ、ファンタジー? ファンタジーでは、あるけどぉ! アタシの憧れていたファンタジーとは異なる何かだよ、これは!」
解毒に成功し、見事にルナから授業の『優』判定を貰った千尋であるが、入学から今まで、ずっと魔法学校の授業には納得していないようだった。
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もちろん、千尋だって十二歳の少女だ。
まだ夢見がちな部分はあれども、それなりに現実というものを知っている。
いくらファンタジーな世界と言っても、物語の中の出来事じゃない。現実に存在しているということはつまり、『地球世界』と同じく、現実的でつまらないあれやこれやも存在しているというわけで。
そんなことは、千尋も『天球世界』に来る前には予想はしていたのだ。
それでも、千尋が未だ『天球世界』に浪漫を抱いているのは、初めて見た魔術師が美しかったからだろう。
クロウが母親の運命を退けた瞬間、『本当に美しいもの』に出会えたと感じたからだろう。
故に、千尋は魔法学校に通いながらも、理想と現実のギャップに悩んでいて。
「弟子よ。今日は私が持つ『最強の呪文』を教えようと思う」
「さ、最強の呪文ですか!? 師匠!!!」
けれども、そんな悩みを吹き飛ばすほどの衝撃を、師匠であるクロウから与えられた。
魔法学校が始まってからは、いつも通りの憂鬱な放課後。
ひたすら基礎を詰め込んだような魔術修行を繰り返す鍛錬の時間。
流石に、クロウに対する恩と憧れはありつつも、そろそろ飽き始めて来たころ、満を持してこのようなことを告げられたのだ。
それはもう、今までの鬱憤を晴らすかのように千尋ははしゃいだ。
「最強ってあれですよね、最強ってことですよね!?」
「ああ、その通りだ。私が持つ数多の魔術の中で、もっとも信頼する呪文ということだ」
「そ、それって、アタシにも使えるんですか? ひよっこ魔術師のアタシに!?」
「ふっ。いいか、弟子よ。本当の秘奥や極意というものは案外、誰でも使えるようになっているものだ。もっとも、それを使いこなせるかどうかは本人次第だが」
「お、おおおおっ!」
千尋はわきわきと両手を動かしながら、目を輝かせる。
最強の呪文。
しかも、クロウという『天球世界』でも指折りの魔術師が教えてくれる最強なのだ。
それはもう、単なる魔術とは次元の異なる何かだろう、と千尋の期待値は青天井に上がっていく。
「師匠! アタシに教えてください! その最強でチートな呪文を!」
「任せろ。習得は実に簡単だ」
期待に満ちた視線を向ける千尋の前で、クロウは静かに構えを取った。
右手は人差し指と中指だけを伸ばした形――刀印。
左目は閉じて、まるで狙撃手の如く右目は先を見据える。
そして、満を持してクロウは最強の呪文を唱えた。
「『楽勝だぜ』」
何も起こらなかった。
「えっ?」
きょろきょろと千尋は周囲を見回すが、まるで何も起こっていない。
何もかもを焼き尽くす炎も。
世界に轟くような雷も。
全てを凍てつかせる氷も。
空間を割る衝撃でも。
ましてや、全ての魔素を飲み込む漆黒でもない。
単なる言葉だけがそこにあった。
「使用方法は簡単だ。自分が劣勢の時、相手に向かってこのポーズと共に最強の呪文を唱える。それだけで、呪文を唱えた者はあらゆる苦境を乗り越えることが出来るだろう」
「……え、ええと、師匠? それはつまり、一見何もないただの強がりの格好つけに見えるけれども、これは因果干渉の魔術ということで――」
「いいや、ただの強がりの格好付けだ。そもそも、魔力を使わないから魔術ですらない」
「魔術ですらない!?」
淡々と告げるクロウに、千尋は愕然とした。
あまりにも想像していた最強の呪文とはかけ離れていたからである。
ひょっとして、これは師匠なりの何かの冗談なのではないか? などと様子を伺っても、クロウの表情は真剣そのものだった。
いつもは何を考えているかわからない無表情だというのに、今はその瞳の中に真剣な覚悟と期待が灯っている。
「あ、あの、その言葉が最強の呪文って、どういうことですか? だって、師匠は最強の魔術師なんですよね? 魔法学校の生徒はもちろん、教師だって師匠は間違いなく最強だって。そんな師匠が持っている最強の呪文が、ただの強がりの格好付けだなんて……」
「弟子よ、覚えておけ。あらゆる魔術は対策されるものだと」
「えっ?」
「絶対に負けない。これさえあれば、あらゆる者に勝利できる。万難を排せる。そう過信するほどの魔術を、私は幾つも作り上げたことがある。だが、その全てはあらゆる魔術師によって対策されて来た。己が過信を打ち破られ、苦境に陥ったことなど数えきれない」
語るクロウの言葉は重い。
千尋が頭の中で思い浮かべる『最強』とはまるで違う。
現実として存在している『最強』故の重みがあった。
「そんな時。絶体絶命で、心が折れてしまいそうな時。いつも私を救ったのは、この強がりで格好付けの呪文だ。何せ、魔力を使わないから、どんな苦境でも唱えられる。ただの強がりの格好付けを対策する魔術師も居ない。そもそも、この呪文は対策できない。何故なら、勝手に唱えた本人が気合を入れて苦境を乗り越えるだけだからだ」
「師匠……」
「弟子よ、君にとっては馬鹿らしいことかもしれない。無意味に思うかもしれない。だが、私はどんな高難易度の魔術よりも、この最強の呪文を君に継いで欲しいと思う」
「…………っ!」
クロウから告げられた言葉には、普段感じられない熱量があった。
冗談でも、単なるジンクスの妄信でもない。
何度も自らを救い、苦境を乗り越えた呪文を継いで欲しい。
つまりは――――弟子である千尋にもそうあって欲しいという願いが込められていた。
「わかり、ました」
願いは祈り。
祈りは幻想。
されど、この幻想は浪漫に通じている。
「アタシは弟子として、師匠の呪文を受け継ぎます」
ならば、千尋の答えは一つしかない。
「この呪文は最強であると、証明し続けて見せます!」
どん、と強く胸を叩き、千尋はクロウの前で声高く宣言する。
いつの間にか、胸の中にわだかまっていた鬱屈は消え去っていた。




