第5話 入学
一刻も早く、師匠から魔術を習わなければいけない。
千尋は魔法学校の校舎で死ぬような想いをしてから、決意を固めていた。
実際のところ、千尋の影には常にルーというボディーガードが入り込んでいるため、たとえ千尋がどれだけドジをやらかそうとも、ギリギリのところで助けは入るのだが、それを明かすと緊張感が無くなる懸念があったため、師匠であるクロウの意向で明かされてはいない。
ただ、何にせよ、千尋が魔法学校の入学までに魔術を習わなければならないことには変わりない。
何故ならば、今の千尋は『天球世界』に於ける魔術師の――否、魔術師見習いの最低限のラインにすら届かない、論外の状態なのだから。
――――だが、出来るのだろうか?
千尋は少し不安に思っている。
ヒカリの前では調子に乗りつつも謙遜する、なんて真似をしたものの、実際のところは不安な気持ちがある。
千尋は自分のことを平凡な少女だと思っている。
平凡な少女は、幼少期から海外の危険地帯で冒険の付き添いなんて経験しているわけも無いのだが、能力的には確かに平凡の範疇なので、千尋は自分自身を平凡だと思っている。
そんな自分が果たして、本当に魔術師の才能があるのだろうか?
師匠を疑いたくは無いが、何かの間違いではないのだろうか?
何かの間違いだった場合、契約はどうなるのだろうか?
師匠の期待に応えられなかった場合、どうすればいいのだろうか?
ファンタジーな世界にワクワクしつつも、同時に拭いきれない不安があることは確かだった。
「ううん、信じよう。アタシ自身の才能じゃなくて、アタシを見つけてくれた師匠のことを信じよう!」
それでも、千尋は覚悟を決めて、魔術師としての一歩を踏み出した。
「ふむ。これでミネルヴァ魔法学校の入学ラインに届いただろう。安心して授業を受けなさい」
「は、はい…………あっれー?」
そして、入学までの僅か三日の内に、あっさりと最低限のラインを飛び越えたのだった。
本人である千尋が、拍子抜けするほどに。
「魔法とは?」
「ええと、『地球世界』に於ける物理法則? と同じで、魔素の動き方、動かし方の法則」
「魔術とは?」
「魔法に沿って、魔素を動かして、求める結果を得る術のこと」
「魔力とは?」
「魔素を動かすための、力? 流れ?」
「そこは区別しなくていい。力であり、流れである。そう解釈しなさい」
「あ、はい! 難しいですね!」
「頭で覚えず、感覚として理解していればそれでいい」
「はいっ!」
「次、マナとは?」
「自然に満ちる魔力」
「オドとは?」
「体内……魂から生み出す魔力」
「魔術師とは?」
「魔術を用いる者の総称。だけど、『天球世界』では主に、魔術で仕事が出来る資格を持った人のことを指している」
「ふむ、問題無い。とりあえず、これだけ覚えていれば周囲との齟齬も少ないだろう」
「はふぃー」
場所はクロウの拠点である、地下工房。
その一角であるだだっ広い体育館のような空間――修練場。
千尋はそこで、入学式に行く前の最終確認をクロウと済ませていた。
「師匠、座学苦手ですー!」
「だろうな」
「いや、だろうな、って」
「問題ない。君が座学が苦手なことも考慮に入れて修行の内容を考えている」
「そうなんですか?」
「具体的には、集中が途切れる前に息抜きや実技を入れるようにしている。心配するな、私は弟子の得手不得手を把握している」
クロウはいつもの黒衣。
千尋はミネルヴァ魔法学校の制服。
師弟揃って魔術師らしい恰好をしながらも、やっていることは千尋の年相応の授業である。
少なくとも、座学に於いては。
「お気遣いありがとうございます、師匠! つまり、アタシは感覚派って奴なんですね!」
「理論派と比べるとそうなるかもしれないな」
「つまり、それがアタシの才能――アタシが師匠に選ばれた『素質』ってことですよね!?」
にぃ、と千尋は得意げに笑みを浮かべて、覚えたての魔術を披露する。
とんとん、と軽い助走からの十メートル近くの距離を跳躍。
――――身体強化の魔術。
そのまま、飛び跳ねて修練場の空を飛行。
――――飛行の魔術。
最後に、得意げに白色の正方形の物体を盾として形成。
――――盾の魔術。
その他、火種や水を出したりなどの生活に即した簡易魔術なども千尋は会得していた。
魔術どころか、魔力の操作もできない状態から、僅か三日の間に。
確かに、これだけのことが出来るのならば、『天球世界』に於いても天才はともかく、才能があると判断される基準に入るだろう。
「いいや?」
ただし、それは独学ならば、という条件が付くが。
「えっ?」
「君が魔術の習得が早いのは、私が『魔力を操作しやすい環境』を人為的に整えたからだ。ふむ、『地球世界』出身の君に分かり易いように言えば――――経験値の取得率が高い、という状態だ。故に、この環境ならば誰でも魔術の習得は早い」
「…………えっ?」
「実技という才能の基準で言えば、君は『天球世界』で大体平均ぐらいだ」
平均。
真ん中。
普通。
――――平凡。
今まで何度も聞いた言葉に、千尋は口をぱくぱくさせながらも、なんとか言葉を紡ぐ。
「あの、それじゃあ、アタシの『素質』って?」
「ふっ。案ずるな、千尋。君が持つ『素質』は、たかが『魔術の習得が早い』なんてものとは次元が違う」
「おおっ!」
ぱぁっ! と希望に花開くような笑みを浮かべる千尋。
そんな千尋に、クロウは無表情のまま、けれどもどこか誇らしげに告げた。
「千尋、君は『全ての魔法に対する適性が極めて平均値に近い』という『素質』を持つ。こんな『素質』、私が知る限りでは君だけの唯一無二だ」
千尋は単なる平凡少女ではなく、魔術師という基準に於いては平凡を越えた平凡。
スーパー平凡少女なのだと。
「これはな、凄いぞ? 君一人が修行を受けるだけで、理想的な教育データが――」
師匠であるクロウはその後も何か言っていたが、耳に入っても千尋の頭には残らなかった。
「へ、へへっ、平凡……」
内心、『才能チート! 才能チート!』とはしゃいでいた十二歳の少女にとって、クロウの宣告はあまりにも残酷過ぎたのだ。
●●●
ミネルヴァ魔法学校の入学式は、静謐な雰囲気で満ちていた。
教師からの挨拶、説明は簡潔に淡々と。
大広間に並ぶ生徒たちは、学年を問わず、無駄口一つ叩かずに整列している。
この光景だけを見れば、ミネルヴァ魔法学校は治安の良い学校だと判断できるかもしれない。
「ヒャアッ! クソ先公ども、お礼参りじゃばきょ!?」
時折、整列した生徒たちの中から、暴徒の如き叫びと共に奇襲を行う馬鹿が、度々現れなければ。
『『『えぇ……』』』
入学生たちは主に、先輩たちの一部による暴挙にドン引きしていた。
一瞬前までは律儀に整列していた癖に、好機と見るや否や、全力で目当ての教師へ奇襲を仕掛ける様は、さながら暴力が満ちた世紀末の如し。
一体、何をどうしてこうなっているのか?
「千尋、気にしない方が良いです。あの先輩たちは『特典』狙いですから」
千尋が直立不動のまま疑問に思っていると、隣のヒカリが声を潜め、千尋へ視線を向けないまま説明する。
「特典?」
「卒業までに、どんな形でも教師陣に一本取れば、取った教師の『秘奥の魔術』を教えてくれるって奴です」
「それって凄いの?」
「凄い、との噂です。歴代では何人か達成したという先輩は居ましたが、当然、秘奥の中身は秘匿するもので――おっと」
説明の途中、ヒカリは言葉を止めて視線を壇上に向けた。
そのヒカリの動きを習い、千尋も慌てて壇上を見る。
すると、そこにはミネルヴァ魔法学校の校長――――銀色の長髪と灰色の瞳を持つ、恐るべき魔女が君臨していた。
『子供たちよ、清聴なさい』
冷たく、良く響く声だった。
マイクも使っていないというのに、その魔女の言葉は強制的に生徒たちの魂に響くような、そんな強さを持っていた。
『私はミネルヴァ魔法学校の校長、ヒルダです。本日、新たなる学徒が学び舎の門を潜ることを言祝ぎましょう』
魔女――ヒルダの周囲は良く見れば、薄く凍り付いていた。
ただ、存在しているだけでヒルダという魔女は、周囲に冬をもたらす存在なのだろう。
「……っ!」
クロウの覇気を感じ取ったことがある千尋は、その異様な気配にいち早く気づいて身を強張らせた。
『本物』だと。
何が偽物で、何が本物なのか、それすらも良くわかっていない千尋だったが、直感が告げていた。理屈抜きで答えを出していた。
ヒルダという魔女は『本物』なのだと。
その証拠に、先ほどまでは教師に対する奇襲が相次いでいたというのに、今では先輩たちの誰もが列から出ようとしない。
まるで、その整列した範囲だけが、この空間での安全圏のように。
『だからこそ、これは私からの餞別です――――さぁ、新しい学徒たちよ、受け取りなさい』
そして、その懸念は即座に的中することになった。
ぼぅ、とヒルダの周囲に青白い炎の人魂が四つ。
それらは形を変え、獣に、巨人に、ドラゴンに、騎士になって、整列する生徒たちに向かって襲い掛かって来た。
「わ、わぁ!?」
「ヒカリ!」
千尋の反応は新入生の誰よりも速かった。
壇上から襲い掛かる青白い炎から離れるため、飛行魔術を使った逃走。
しかも、とっさにヒカリを脇に抱えるのも忘れない。
「……あれ?」
だが、千尋は十分に安全な距離を取ってからふと気づく。
動いていない。
襲い掛かる青白い炎から、ほとんどの生徒は逃げようとしていない。
それどころか、妙に苦々しい顔つきで眺めているのみ。
慌てて動いている者のほとんどは新入生だ。
「随分と稚気溢れる茶番ですわね、矛盾の魔女ともあろう方が」
千尋はいくつかのことに気づく。
襲い掛かる青白い炎に飲み込まれた生徒が、火傷一つない無傷であったこと。
慌てふためく新入生の中から一人、真っ赤な長髪を靡かせた少女が歩み出たこと。
「幻よ、焼け落ちなさい」
そして、赤髪の少女が杖を振るうと、青白い炎は塗り替えられるかのように紅蓮の炎に飲み込まれてしまった。
「た、多分……あれ、校長の悪戯だったんだと思います……触れても火傷しない幻想の炎。それで、あの赤髪の子はそれを見抜いて、校長の幻想を自分の魔術で打ち破った」
千尋の小脇に抱えられているヒカリは、ようやく冷静さを取り戻したのか、俯瞰しながら状況を説明している。
「私たち新入生を脅かすための悪戯程度だったとしても、校長が作り上げた幻想を打ち破った。あの子、尋常な魔術の腕じゃない……もう一人前クラスだと思います」
「……むぅ」
ヒカリの説明を受けて、千尋は複雑な想いを抱きながら赤髪の少女を見た。
可憐。優雅。お嬢様。
そんな言葉が似合う少女だった。
「…………」
そんな赤髪の少女は一度だけちらりと千尋たちへ視線を向けると、直ぐに講堂のヒルダへと戻した。
『新しい学徒たちよ。困難はいつ何時、その身に降りかかるかわからない』
一方、突然の質の悪い悪戯をかましたヒルダは、そんなことおくびにも出さない無表情のまま、話をまとめに入っている。
『故に、心しなさい。どんな時であろうとも、心の中では魔導を構えておきなさい。私たちは、魔術師なのだから』
こうして、入学式は終わり、新入生たちは知らずの内に格付けが済まされた。
襲い掛かる幻想に対して、何も出来なかった者、逃げ切れた者。
そして何より、幻想に対応して見せた者。
その差は、自分自身たちが思っているよりも大きいことを、今はまだ、新入生たちのほとんどは知る由も無かった。




