第54話 魔王と人形遣い
レイゼ・カロンナルファという名前はもちろん偽名である。
本名を使ってテロ活動をする犯罪者は中々居ない。
もっとも、レイゼの場合、本名は既に遠い記憶の彼方に捨ててしまっているので、偽名と言うよりは、数多にある名前の一つでしかないのだが。
そう、レイゼは過去を捨てている。
何故ならば、その過去はレイゼに癒しを与えるものではないからだ。
「魔術師としての誇りを持って過ごしなさい」
父親の口癖を、レイゼは今でも覚えている。
事あるごとに、『魔術師としての誇り』という単語を口にしていた。
まるで、魔術師が誇り高い職業であるかのように。
「まったく! 汚らわしい! 科学など、この惑星を汚すだけの技術に過ぎん! 選ばれし賢者のみが得られる力ではなく、大多数の愚者が扱える力など! やがて、科学はこの惑星を食い尽くすぞ!?」
そして、父親は常に何かに怒っていた。
特に、『地球世界』の文化である科学に対して怒りをぶつけていた。
レイゼが後から考えるに、それは都合の良いサンドバックとしてちょうどよかったのだろう。
何せ、科学という対象は大きすぎる。何も考えていない人間でも、適当に文句を言えば、それが的外れにならない場合もある。更には、『大きすぎる何かに文句を言える自分は勇敢で賢い』と錯覚が出来るのだ。父親にとっては都合の良いストレス解消手段だったのだろう。
――――その程度の悪癖であれば、レイゼは過去を捨てることはしなかったかもしれない。
父親は科学否定の思想にのめり込んだ。
魔術師としての高みを目指すのではなく、科学を否定することに注力した。
家の中から科学の臭いのするものは排除。
科学に関わるものは全て消し去って、魔術一色に染め上げた。
その所為で要らぬ出費が重なり、家計が大きく負担を強いられることになっても。
それこそが正義なのだと言わんばかりの態度で、父親は科学を排斥した。
父親はもはや、誇り高い魔術師ではなく、『科学を否定したいだけの人』と成り下がってしまっていた。
レイゼは父親のことを子供ながらに見下していた。
普通の魔法学校に通うレイゼの価値観は既に、父親のそれが『異常』であると理解するまで成熟していたのである。
故に、父親の中にあるのはただの肥大化した自尊心を見抜いて、馬鹿にしていた。
レイゼにとって父親とは尊敬すべき対象ではなく、可能な限り相手にせず、受け流す厄介な同居人に過ぎなかった。
――――それでも、ここまでならば、レイゼは革新主義者にならなかっただろう。
崩壊のきっかけは、母親がなんてことはない病にかかったこと。
そう、なんてことはない。
百年前までは魔術で治療するのが困難で、不治の病とされていたが、今では『地球世界』の科学技術により、普通に治るものとなった病だった。
「いかん! 科学などを使ってしまえば、妻は汚れてしまう!」
だというのに、父親は科学による治療を拒否した。
自分の力――魔術を使って治療しようとしたのである。
これで、父親が優秀な魔術師だったのならば、まだ救いはあったかもしれない。
魔術で治療するのが困難な不治の病だったそれは、けれども現代の魔術ならば、卓越した技術を持った達人クラスの魔術師ならばあるいは、治療可能だったかもしれない。
だが、父親の魔術の腕は平凡――それ以下だった。
そもそも、魔術師として確かな腕を持っているのならば、科学否定の思想にのめり込むよりも先に、魔術の研鑽に生活のリソースを割くだろう。
そうしないということはつまり、レイゼの父親は『そういうこと』だった。
そして、レイゼは自らの父親が愚者ということを理解していた。
だからこそ、行動は迅速だった。
即座に母親の親族に連絡。無茶な治療を施そうとする父親から、母親を引き離そうとして。
「…………ち、違う……これは……私は!」
母親の親類が呼んだ医者と共に、自宅に戻ったレイゼが見たのは、冷たくなった母親だった。
母親の前で、醜く言い訳を続ける愚者の姿だった。
そう、レイゼは理解していたつもりで、理解していなかったのだ。
自らの父親が、自身の想像を超えるほどの愚者であったことを。
体に負担がかかり過ぎる魔術を、医者でもないのに勝手に使い、自らの伴侶を殺してしまう無能者だったことを。
その後のことは、笑い話にもならない。
過失致死傷に問われた父親は、『天球世界』の警察機関に捕まる前に自殺。
遺書に『すまなかった』と、誰に向けたのかもわからない言葉だけを残して、罪を償う前に死んだ。死んで逃げたのだ、責任から。
「…………科学だの、魔術だの、全てが愚かしいですね」
故に、レイゼは学んだ。
科学や魔術、そんな区別にこだわるからこそ、父親は愚者に成り下がり、母親は死んだのだと。
こだわるべきはそこではない。
「必要なのは革新。古く蒙昧な考えを一掃するほどの、強く素晴らしい革新!」
科学も魔術も混ぜ合わせた先にある、よりよい素晴らしい未来なのだと。
『地球世界』と『天球世界』の混合の先にある、まだ見ぬ『魔導科学』こそが、二つの世界を切り拓く革新の灯火となるのだと。
レイゼは強く信じて、革新主義者の集団に加わることになったのだ。
「そのためならば、私は自他の犠牲をいくらでも積み上げましょう!」
その愚直なまでに強い信念を抱く姿が、自らの父親と似通っていることにも気づかずに。
●●●
ヒカリは正しく状況を把握していた。
魔術研究の発表をちょうど終えた頃、教室を一瞬の闇が包み込んだ。
そして、次の瞬きの後に、ヒカリの周囲には奇妙な空間が広がっていた。
風景としては、ヒカリが夏休みに遊びに行った『地球世界』の都心部に近い。
背の高い建物が幾つもそびえ立ち、規則正しい路面が何処までも続いている。
だが、『地球世界』とは決定的に異なり、『天球世界』にしか育たない摩訶不思議な植物も存在していた。
空飛ぶ森や、羊の肉を実らせる木々。その他、多種多様な木々が観光植物のように道路の脇から生えている。
まるで、『地球世界』と『天球世界』が混ざり合っているかのように。
「空間作成……上級の妖精や精霊などが扱える、自らが有利の領域に引きずり込む奥義。なるほど、達人クラスが相手だとは予想していましたが……どうやら、達人クラスの中でも更に上澄みのようですね」
不可解な空間に、ただ一人。
だというのに、ヒカリはまるで動じていない。
魔術の研究発表の前は、散々『クソが……有象無象は死ねです……』などと聴衆の前に立つことにビビり散らかしていたヒカリだったが、今は何の精神的動揺も無い。
「お褒めに預かり光栄ですよ、魔王転生者――いいえ、今代の魔王閣下」
そして、ヒカリの眼前にレイゼの姿が現れようとも。
背後に無数の戦闘用の魔導機械人形を控えさせた、黒スーツの女性が現れたとしても。
ヒカリの精神に一切の揺らぎは無かった。
「ふむ。一応聞いておきましょう……この私に何の御用ですか? 薄汚いテロリスト」
うんざりとした表情を隠さず、ヒカリはレイゼへ問いかける。
一介の学生が、達人クラスの相手に平然と問いかける。
だが、ヒカリにはそれを許されるだけの実力がある。
何故ならば、ヒカリこそが革新主義者たちの探し求めていた魔王転生者なのだから。
「ふ、ふふふっ。中々に苦労しました。ええ、貴方様を見つけ出すのに、いくつもの手札を使いました。この学校の生徒を『毒』に仕立て上げるのも、決して易いことではありませんでしたから」
「独り言? 私の質問に答える気が無いなら殺しますが、どうしますか?」
「いえ、失礼しました。つい感慨にふけりまして……ええ、もちろん、質問には答えさせていただきますとも」
レイゼはヒカリに恭しく頭を下げると、革新主義者としての――否、己自身の願望を告げる。
「魔王閣下、貴方様には『地球世界』を支配して、『天球世界』に戦争を仕掛けていただきたい」
「…………反吐が出るけど、もう一度訊いてあげます。なんのために?」
「無論、我らが人類の革新のために」
特徴の無い顔に、薄い笑みを浮かべてレイゼは説明を続けた。
「いつの時代も、適度な戦争と適度な平和こそが技術を躍進させます。貴方様には、世界の闘争をコントロールする立場になっていただきたい」
「…………」
「これは、貴方様にも悪くない提案なのでは? 魔王転生者は代々、その記憶に悩まされるもの。初代魔王の怨念に影響を受け、何をしていても人類に対する憎悪を募らせてしまうものです。それを解消するには、戦争を起こすのが一番手っ取り早いのでは?」
荒唐無稽な説明だった。
明らかに、ヒカリとレイゼの破滅が最初から勘定に入っているような説明だった。
「…………ふむ」
ヒカリはそんなレイゼの説明をきちんと理解し、噛み砕き、飲み込み。
「――――論外」
その身に、猛るような魔力を漲らせた。
「まだ、殺戮魔術の習得を申し出て来る方がマシでした。もちろん、テロリストに兵器を渡すような真似をするつもりはありませんでしたが……言うに事を欠いて、この私に戦争の片棒を担げとは……まったく、愚かしいにもほどがある」
「おや、説得は失敗でしたか? いやぁ、残念無念。ですが、最後に一つだけ訊いても?」
「はい、いいですとも。今わの際なので、よく考えて発言してくださいね?」
「無論」
明らかな戦闘態勢を取るヒカリに対して、レイゼの態度はどこまでも飄然としている。
「貴方様はひょっとして、初代魔王の怨念が通じてないので?」
「――――はっ」
レイゼからの純粋な疑問を、ヒカリは鼻で笑い飛ばした。
「貴方、まさかあんな通説を信じているのですか?」
「……と言うと?」
「怨念なんて存在しない。記憶の影響なんて、漫画やアニメじゃあるまいし、人格を左右するほどのものになるとでも? ただの他人の記憶ですよ、あんなの」
「…………」
ヒカリの言葉が正しいのか、レイゼには判別できない。
ただ、事実としてヒカリは魔王転生者でありながら、平然と社会の中に混じっている。
歴代の魔王のように、人類を殺戮するために動き出したりはしない。
けれども、それでも、『魔王の記憶』というのは、転生者個人の気の持ちようでどうにかなるほど軽いものなのか?
――――答えは出ない。
故に、レイゼがやることは一つ。
そもそも、説得が失敗した以上、最初からやることは一つ。
「では、貴方様の言葉が本当かどうか、確保してからゆっくり調べさせてもらいましょう」
闘争による強硬手段。
魔王転生者という危険人物との交渉に、これを用意しないほどヒカリは己の交渉力を信じてはいなかった。
「そうですか――――今わの際にしては、つまらない戯言だ」
そして、ヒカリもまた、革新主義者というテロリストにまともな道徳や倫理などは期待していない。
「最新最高の魔術を見せてあげますよ、魔王閣下」
「死ね、道化」
故に、革新主義者と魔王転生者は殺し始める。
未来を謳うテロリストと、過去の申し子は、互いの魔術を持って相手を否定し合う。
己の中にある、ただ一つの理由を肯定するために。




