第51話 準備万端
「そっち持って。二階の教室に運ぶから」
「暗幕の予備、そっちに無い?」
「受付の長机が足りないんだけどー?」
「はいはい、封印処理! 封印処理! んもう、禁書庫に続く道は、直ぐに悪霊が出るから嫌だよ」
いつもは静寂に包まれている――もとい、あまりうるさくし過ぎると司書の悪魔に呪いをかけられることになるので、強制的に静かになっているミネルヴァ魔法の廊下であるが、この時ばかりは喧騒に包まれていた。
そして、その喧騒は学校公認で許されているものだった。
何故ならば、ミネルヴァ魔法学校の最大とも呼べるイベント、魔術祭が数日後まで近づいているからである。
「ええと、『この本を盗む者に脱腸あれ』と」
「うわ、質の悪い呪い。司書悪魔からの貸与札?」
「そうそう。あのショタ悪魔、本を盗む奴が大嫌いだから」
ミネルヴァ魔法学校の生徒たちは、魔術祭に備えて、教師たちの指示を受けながら準備を始めていた。
教室を研究発表の場にするために、机や椅子の移動。
盗難に備えて、表立った場所にある本には呪いの札を張り付けて。
本来ならば言語道断と司書は怒るところだが、そこを曲げて、図書館の一角に簡単な飲食スペースを作って。
さながら、『地球世界』の文化祭のように、生徒たちが中心として魔術祭の準備が行われていた。
「あー、実演が必要な発表は大体外だね。うん、この案内のAスペースになるよ。逆に、実現が必要ないものは教室だけで。そうそう、Bで割り振られた教室ね。CとD? ああ、それは主に特殊な設備が必要な研究用で……」
上級生たちは、魔術祭が初体験の一年生たちを教え導いていく。
さながら、牧場を迷う羊を吠え立てる牧羊犬の如く。
「ええと、そうなると……俺はA-7スペースでリハーサルかぁ。結構遠いわ」
「仕方ないじゃん、それは。あ、私はB-8だ。ここでお別れ」
「うい、リハーサルだけだから気楽に行こうぜ?」
「いやー、でも、同学年に三英傑が居ると、『じゃあ、私も』って気張っちゃうなぁ」
一年生たちは、上級生から配られた案内図を見ながら、それぞれの場所へと散らばって行く。
各自の研究のリハーサルを行うために。
発表の場所の準備を手伝うために。
「よし! なんとか纏まったぞ!」
そして、千尋もまた、他の一年生たちと同じように、案内図を見ながら校舎を移動中だった。
「ふふん。皆に手伝って貰ったけど、中々にいい出来じゃないかな? この研究。ひょっとして、師匠からかなり褒められるかも? むふふー」
だらしなく頬を緩ませながら、一人で廊下を進んで行く千尋。
いつも隣に居る友達二人は、今回ばかりは研究発表の場所が違うので単独行動である。
しかし、それ故に、千尋は気を緩ませていた。
段々と人気のない方向に進んでいることに薄っすら気づきつつも、『どんな教室で発表するのかなー?』などと呑気に思っていた。
「ええと、D-14の教室は……あれ? ここ、教室じゃなくて講堂…………あれ?」
「よくぞ、来ましたね、鈴木千尋」
銀の長髪と灰色の瞳を持つ魔女――ミネルヴァ魔法学校の校長であるヒルダと顔を合わせるまでは。
「こ、校長先生!? 何故、ここに!!?」
「無論、貴方の護衛のためです」
「護衛!?」
淡々と言うヒルダの言葉に、千尋は目を見開く。
「な、何故にですか!?」
「鈴木千尋、貴方の疑問ももっともです。貴方の影には既に、銀狼の守護がある。その上、今は本番ですらない準備期間。護衛の追加は余計だと思っているのでしょう?」
「いえ、あのまずは校長先生が護衛するという事態を飲み込めていませんか!?」
「ふむ……なるほど。確かに、『地球世界』出身では危機感が薄いのも仕方ありませんか」
ヒルダはクロウに似た仏頂面で頷くと、変わらない口調で説明し始めた。
「鈴木千尋。貴方は今、歴史の転換点に居ます」
「ほえ?」
「貴方はこの魔術祭の……いいえ、昨今の魔術発表の中でも、もっとも閲覧する価値のある研究をしています。故に、此度の魔術祭では『天球世界』の重鎮が集まるでしょう」
「…………あの、それってどれくらいの――」
「貴方の価値観で分かり易く言うのならば、国王や大統領、あるいは歴史に名前を残すことが確定している偉人などが集まるでしょう」
「にょ!?」
千尋が奇声を上げたのも無理はない。
散々、友達二人から忠告を受けたというのに、先ほどまで千尋の意識は、あくまでもこの研究発表は『文化祭のちょっと規模が大きい奴』という認識しかなかったのだから。
まさか、歴史に刻まれるような研究発表になるとは露とも思っていなかったのだ。
「あ、あの、校長先生……アタシ、そういう人たちに対する礼儀とか、作法とか全然知らないんですけど……」
「研究の場につき、心配は無用です。それに、そういう者たちは【最強の黒】の弟子にちょっかいを出すことの愚かさは良く知っていますので。貴方が想像しているようなことは起こりえませんよ」
「よ、よかった……いや、よくない!? アタシが物凄い偉い人たちの前で研究の発表をする事実は変わっていない!?」
「安心しなさい――――本番までには、絶対に間に合わせます」
「あ、アタシ知ってる。これ、この後に地獄が待っている奴だ」
千尋の予感は的中した。
この後、千尋は麒麟と契約したことを軽く後悔するほど、過酷なリハーサルを繰り返すことになったのである。
●●●
「うぼあー」
魔術祭前夜。
諸々の準備を終えて、誰もが心地よい疲労と共に一息吐く時間帯。
そんな時間帯に、地下コロッセオの床で千尋は軟体生物の如く寝そべっていた。
「ちゅらい……ちゅらい……」
思わず赤ちゃん言葉になるほどの疲労の理由はもちろん、ヒルダによる研究発表の練習によるものである。
肉体的には、ただ講堂で口を動かしているだけなのでさほどの負荷は無い。
ただ、精神的には疲労困憊を通り越して、もはや抜け殻の状態だった。
「やめて……素人質問はやめて……そんな想定をしないといけないのですか、校長先生……うう、はい、すみません。その数字は……具体的な根拠は……」
今の千尋はさながら、卒論発表でボコボコにされた大学生と同じものだった。
圧倒的に上位の存在から、精神をサンドバックの如く殴り続けられたものが辿り着いた、疲労の極致の状態にあった。
「はいはい。よく頑張りましたね、千尋。ほら、あーん」
「あーん」
故に、ここぞとばかりに甘やかすのがヒカリである。
メンタルが怪しい状態の千尋に付け込み、どろどろに甘やかして、今の内に自分への依存度を上げて欲しいなぁ、と企むのがヒカリである。
最近は陰キャメンタルがやや改善傾向にあるが、その性根は割とダークな魔女なのだ。
「美味しいですか?」
「おいちい」
もっとも、ここで千尋に与えるのが何の混ぜ物もない手作りプリンであるあたり、今のヒカリはかなり真っ当に更生しているのだが。
「ヒカリ。千尋を甘やかすのも良いけど、そろそろ本題を話しなさい」
「……んにゅ? 本題?」
「千尋。貴方はそろそろシャキッとしなさい、ほら!」
「みゃあ!? 首筋に火種ェ!? 何々!? 根性焼き!?」
「火傷はしないし、経穴が刺激されて疲労回復効果もあるわ」
「くそう! 健康的に喝を入れられてしまった!」
ただ、そこで怠惰を許さないのがフレイヤである。
良き使い魔たらんとするフレイヤは、千尋の怠惰を許さない。軽く火を操り、火傷させない程度に、むしろお灸のように健康になる経穴を突き、千尋を強制的に復活させる。
「んもー。フレイヤはせっかちですね。もうちょっと千尋で遊びたかったのですが」
「ほら、ヒカリの良くない癖が出ているわ」
「はいはい。ごめんなさいです」
そうなれば、先ほどまで千尋を甘やかしていたヒカリも本題に入らざるを得ない。
「こほん。千尋、フレイヤ。魔術祭では、私たちは別々の場所で発表を行いますね?」
「そうね」
「ん、そうだな。だけど、なんだよ、改まって」
当然のように頷くフレイヤ、けらけらと笑う千尋へ、ヒカリはすっと表情を引き締めて告げる。
「恐らく、魔術祭では革新主義者による襲撃があります」
「「――っ!?」」
ヒカリの言葉に驚愕する二人だったが、その表情にはどこか『やっぱりか』という納得があった。
「ヒカリ。その根拠は何かしら?」
「革新主義者は魔王転生者のことについて知っているという仮定があるからです」
「…………魔王転生者がこの学校に居ると仮定して。そして、正体を衆目に晒されるのを嫌がっている。なのに、革新主義者は接触を計ろうと襲撃を仕掛けて、とても邪魔だと思っている。そうなると、魔王転生者が選ぶ手段は…………でも、いや、そんな……」
「ええと、フレイヤ。どういうこと? アタシ、さっぱり話についていけないんだけど? いや、最近は学校の警備も厳重だし、また襲撃してくるなら、外部との交流が起こる魔術祭を狙うのは当然だろうけどさ」
ヒカリとフレイヤの間で共有される思考を、千尋は持ち合わせていない。
ただ、魔術祭は外部の人間がたくさん来るから、革新主義者による襲撃の危険性があると納得しているだけだ。
「そうですね、千尋。それも魔術祭に襲撃する理由の半分ではあります」
「もう半分は?」
「――――魔王転生者は古代の殺戮魔術を有している、という情報。あるいは、それよりも踏み込んだ情報を、革新主義者が有しているという仮定があるからです」
「…………つまり?」
首を傾げる千尋へ、ヒカリは酷薄に微笑んで言う。
「革新主義者は理解しているのですよ。これ以上、魔王転生者に時間を与えると、問答無用で殺されると」
「……へ? 殺される?」
「過去に観測された魔王が使用していた魔術の中に、因果を辿って相手を抹殺するという、呪い染みたものがあります。あれを、歴代の記憶を持つ魔王が復活させたのならば、相手からすれば時間の猶予はありません。何故ならば、相手はもう魔王転生者に深く関わり合い、因果を繋げてしまったのですから」
「ん、んんー? 魔王転生者は、革新主義者がうざいからぶち殺す準備をしていて。革新主義者もそれを察していて。この魔術祭を逃したら殺されるだけだから、襲撃して魔王転生者と接触することに命を賭けるしかない、って感じ?」
「はい。概ねそんな感じです」
ヒカリの断言に、千尋は「むぅ」と唸り声を上げた。
魔王転生者の容赦の無さ。そして、魔王転生者に関わり、そこまでさせる原因となった革新主義者に釈然としない想いを抱いているのだろう。
「従って今回、革新主義者は全力を賭しての襲撃を行うでしょう。その際、もしかしたら二人が何かの被害に遭われるかもしれません……そこで!」
千尋の戸惑いに気づいていないのか、あるいは気づいた上でスルーしているのか。
ヒカリはスクールバックから、二つの宝石を取り出す。
それはどちらも、絵の具全てを混ぜ合わせたような、混沌の黒色をしていた。
「私からのお守りを、二人にプレゼントです! これで何かあっても、安全! とまでは行きませんけど、逃げる時間ぐらいは取れるはずですよ!」
「お、おう? うん、ありがとう?」
「どういたしまして! ほら、フレイヤも!」
戸惑いながらも千尋が宝石を受け取ったのを見届けると、ヒカリはフレイヤへとその宝石を押し付けるように手渡して。
「…………ヒカリ。ここまでされたのならば、流石に黙っていられないわ」
フレイヤは、その宝石に触れた瞬間、苦悩に満ちた表情で口を開いた。
「『これ』は……この宝石は、七代目の魔王『騎士王』が好んで使った、『ガーディアン』を収納したものでしょう?」
「ん、ん……あぁ、そうでしたね。フレイヤ、貴方はカーライル。【赤】の家系でしたね。既に失われた、古い魔王の記録が残っていてもおかしくありませんでしたね」
「え、えっ?」
確信を持った口調のフレイヤ。
観念したように笑うヒカリ。
未だ、思考が状況に追い付いていない千尋。
少し前までは、ただの仲良し三人組だった少女たちは今、一人の真実によって、その友情を試されることになる。
「今まで隠していてすみません……私が、この天原ヒカリこそが、今代の魔王なのです」
魔王と少女たちは友達のままで居られるのか?
まるで、運命がそう問いかけて来るように。
三人は魔術祭を前にして、革新主義者の襲撃よりもよほど過酷に、試練を受けることになったのだった。




