第30話 なりたいもの
鈴木千尋は生まれてからこの方、恋というものを体験したことは無かった。
何故か? それは偏に、母親の影響である。
千尋の母親は生粋の冒険家である。
冒険家であり過ぎた所為で離婚し、その果てに死の妖精から呪われるような、どうしようもないほどの冒険家である。
千尋は幼少期、この母親に連れまわされて、世界各地で旅をした経験があった。
そう、千尋は同世代の子供よりもよほど広い世界を知り、刺激に満ちた経験をしているのだ。
恋愛とは勘違い。
俗説の一つであるが、それなりの説得力を持った理論だ。
人は恋をする時、冷静ではないし、正気ではないのかもしれない。
だが、だからこそ恋が生まれ、縁は繋がり、関係性が生まれるのだ。
けれども、千尋は勘違いする余地など無いほど、精神的に鍛えられてしまっていた。
イケメンの同級生? でも、それは日本の価値観だ。世界的なものではない。
足が速い? 勉強が出来る? でも、少し世界を回ればそんな人間はごまんといる。
ちょっとした非日常体験を共にすることで、ときめきが生まれる?
生憎、千尋の精神は幼少期から非日常すぎる冒険に染められている。
――――従って、千尋は未だ、初恋を知らない。
強いて言うのであれば、母親と共に見た数多の美しい景色がそれにあたるだろう。
千尋は、恋は知らぬが、美しいものを知っていた。
それを愛しいと思う心を知っていた。
だからこそ、千尋は『本当に美しいもの』を見せてくれたクロウに懐き、師事して、見知らぬ世界に飛び込んだのである。
そして今。
「は、はほわぁ……」
千尋は初恋を知った。
生まれて初めて、誰かを恋しく思う心を知ったのである。
●●●
「ふぅ。どうにか『保険』を使わずに済んだか」
シロナを打倒したクロウは、ようやく張りつめていた気を緩めた。
無論、油断しているわけではない。敵を倒した後に、新たなる敵が現れるなどは、最強の異名を持つ魔術師にとっては日常茶飯事。常在戦場こそがクロウのモットーだ。ただ、それはそれとして、緊迫や緊張という状態は必ずしも警戒に必要な要素ではない。
故に、『宿敵』との戦闘を終えたクロウは緊張を緩め、平常の状態へと移行したのだ。
「さて」
戦いを終えたクロウはまず、弟子の状態を確認する。
「ほ、ほわぁ……」
「ふむ」
何やら頬を赤らめて呆けた顔をしているが、肉体も精神も無事。
何か問題があるわけではない。
従って、クロウは千尋の頭を何度かぽんぽんと撫でた後、他の優先事項に対処することにした。
「癒しの雫よ」
短く詠唱し、倒れ伏す二人の超人と一体の使い魔に回復魔術を施す。
無色透明の雫が、二人と一体の下に落ちる。けれども、衣服を濡らすことなく、その透明な雫は傷ついた肉体に沈み込み、あっという間にその傷を消し去っていた。
傷口を無理やり活性化させ、肉体の回復を促進する魔術ではない。
回復魔術の分類ではあるものの、その極致の一つ。
傷があったという事実そのものを消し去り、対象を健全な状態へと戻すための復元魔術だ。
「…………申し訳ございません、主よ。お手を煩わせました」
傷が癒えたルーは真っ先に人型へと戻り、クロウの下へ跪く。
「止せ。私は使い魔に無理難題をけしかけるような主ではない。いくら世界喰らいのフェンリルとはいえ、お前ではシロナの相手は厳しかっただろう」
「屈辱でございます。つきましては、我が力の解放を」
「駄目だ。『首輪』を緩めれば、即座にこの世界を終わらせようとするだろうが、お前は」
「ちぇっ」
「まったく、お前は忠誠心があるのかないのか……ともあれ、千尋を守る意思はあるようで何よりだ」
「年老いた雌の獣は、人間の子供に優しくなることもあるのですよ、我が主」
無表情のルーと、仏頂面のクロウ。
互いに表情を動かさぬやり取りではあるが、その実、意外なほどに親しげな会話だった。
「お前が千尋を気に入って何よりだ…………それで、そこの二人」
「「……っ!」」
クロウの呼びかけに、倒れ伏していたはずの二人の方がびくりと震えて。
「申し訳ありません、クロウ様。無礼を働きました」
「ひゃははははっ! やっぱり奇襲は駄目かぁ!」
飛び跳ねるように起き上がった。
ノエルは恭しく、騎士の如く跪いて。
クエラは魔弾を撃つ構えを取りながら、茶目っ気に富んだ笑顔を見せて。
「君たちはミネルヴァ魔法学校の生徒だな? 名前を訊いてもいいか?」
「光栄です。私はノエル・エインズワース。三年生です」
「オレはクロス・クエラ・クルル! 兄の方だ! あ、オレも三年生だぜ! つーか、アンタは最強ってマジ? いや、マジだよな、あの怪物を倒したんだし!」
「ふむ。ノエルにクロスか」
深い敬意を滲ませるノエルに、子供のように目を輝かせるクエラ。
そんな二人の生徒に、自分よりも遥かに格が下がるはずの魔術師に、クロウは深々と頭を下げた。
「まずは礼を。君たちのおかげで、私の弟子は無事だった。深く感謝する」
最強の魔術師からの礼に、まずノエルが飛び上がった。
「そ、そんな! 頭を上げてください! むしろ、私たちは貴方様の弟子に助けられた立場ですので!」
そして、余りにも恐れ多いと声を裏返らせて。
「おー、すげぇな! お偉いさんがこんなにきっちりと頭を下げて礼をしてくれるなんて! あ、だったらさ! 礼代わりにオレと戦ってくれよ! 最強の力、体感してぇんだ!」
「こらっ! この戦闘ジャンキーの馬鹿が!」
調子に乗ったクエラは、即座に隣のノエルに頭部を殴られていた。
「構わない。それで君への礼になるのならば」
「え、マジで!?」
けれども、クロウは全く気分を害した様子は無く、あっさりとクエラの要求を飲む。
「ただし、今は駄目だ。この後、私は学園側と話し合わなければならないことがある。だから、連絡先を渡しておくから、後々に都合を付けよう」
「おー、あざっす! ひゃっほう!! 最強の魔術師の連絡先ぜぇ!!」
クロウから真っ黒な下地に白の文字で連絡先が書かれた名刺を受け取り、クエラは子供のようにはしゃぎ回る。
「…………くっ」
そんなクエラを見て、ノエルは端正な美貌を嫉妬で歪めていた。
最強の魔術師の連絡先。
そんなもの、ノエルも欲しいに決まっていた。だが、ここで『じゃあ、私も』と口を開くほどノエルは図々しく在れない。
「ふむ。しかし、あれだ。この場で謝礼の内容を考えて欲しい、というのも私の傲慢だな。わかった。君にも連絡先を渡しておくから、何か困ったことがあったら頼ってくれ」
「ほへ!?」
だが、クロウはそんなノエルの葛藤を見透かしていたのか、あっさりとノエルにも連絡先を渡す。
「…………ありがとうございます」
ノエルは呆けて、絶句して、ひとしきり反応した後、恭しく頭を下げて名刺を受け取った。
まるで、賞状でも受け取るようなやり取りだった。
「当然、私は君にも言っている」
そして、クロウはノエルに名刺を渡し終えると、自然な動きで転移。
「えっ!?」
少し離れた位置で様子を窺っていたビリーの下に出現する。
「改めて、私の弟子が世話になった。何か困ったことがあったら、私に連絡してくれ。今日の礼として、可能な限り尽力しよう」
「え、あ、いや、そんな……っ!?」
突如眼前に現れた最強の魔術師に、誠意を込めて頭を下げられる。
そんなあまりにもな非現実的なシチュエーションに、くらりとビリーが思わずたたらを踏む。
「ぼ、僕なんて! 僕なんて! ほとんど役になっていなかったので!」
「いいや、先ほど過去視の魔術で確認した。君が居なければ、私の弟子は危なかっただろう。故に、感謝を。ビリー・ロングスティア。竜殺しの末裔よ」
「…………っ!」
真っすぐ目を見据えられて告げられた、最強からの感謝の言葉。
あまりにも望外で、胸からあふれ出してしまいそうな感動を、けれどもビリーはぐっと飲み下した。
「いいえ、こちらこそありがとうございます、クロウ様。貴方が居なければ、僕たちは全滅していましたから」
そして、この場に於ける、至極もっともなお礼の言葉を返したのだった。
「改めて言うが……本当によく頑張ったな、千尋」
「ほわっ!」
三人と一体への対応が終わったクロウは、弟子である千尋の下に戻ってきた。
その時にはまだ、千尋は夢心地という様子だったのだが、クロウからの称賛の言葉で、ようやく正気を取り戻す。
「し、師匠! もったいないお言葉です!」
「いいや、違う。今回ばかりは本当によく頑張った……頑張り過ぎるほどに頑張った」
「ええと、師匠」
クロウからの言葉は紛れも無く称賛だ。
けれども、その称賛の中には隠し切れない心配が滲んでいた。
「君は私の想像を超えた。過去視を経て、それが良く分かった。私の予想では、君はシロナに狙われてしまえば、命は無いと思っていたからな」
「あははは、酷いですよ、師匠」
「案ずるな。その時に備えた『保険』もある。何があっても、君が死ぬことはない。たとえ、私が死ぬことがあったとしても、だ」
無表情の中で揺らぐ黒曜石の瞳に、クロウの瞳の奥に、燃えるような覚悟がある。
もう二度と、弟子は失わないという覚悟が。
きっと、そのためならばクロウは多くの犠牲を払うだろう――――そのように弟子である千尋が思ってしまうほどに、その覚悟は熱さを感じさせるものだった。
「駄目です、師匠! 師匠に死んでもらっては困ります!」
「む? ああ、そうか。そうだな。今のは言葉の綾という奴で――」
「師匠が死んだら! アタシのことをお嫁さんにしてくれないじゃないですか!」
「…………???」
その熱き覚悟に、千尋は言うならば今だと感じた。
先ほどの戦いで自覚し、とっくの昔に芽生えていた想いを告げるのならば、今だと。
「すまない、どういう意味――」
「好きです、師匠! 初恋です! アタシのことをお嫁さんにしてください!!」
「いや、本当にどういう意味だ!?」
突然の千尋の告白に、滅多に声を荒げることのないクロウが叫んだ。
表情を崩しての驚愕である。
ある意味、シロナとの戦いですら起こらなかった珍事だった。
「言った通りの意味です、師匠! アタシは師匠に惚れていました!」
「え、えぇ……あの、だな? 千尋。我が弟子よ。君の感情というのは恐らく、いや、間違いなく、窮地を助けられたことによる吊り橋効果だぞ?」
「はい! ありがとう、吊り橋効果!!」
「駄目だ、重症だ」
意気揚々と応える千尋に、クロウは頭痛を抑えるように掌を額に当てた。
「師匠はアタシに『本当に美しいもの』を見せてくれました! 出会った、あの時に! その時からアタシは多分、師匠に惚れていたんだと思います!」
一方、千尋はそんなクロウにも押せ押せの勢いで近づいていく。
「だから師匠! アタシをお嫁さんに――いえ、まずは順序に、恋人にしてください!」
そして、がばっとクロウに抱き着き、自分の想いを全力で告げたのだった。
「すまない。私は未成年の女性と付き合うつもりはない」
「ああ、やっぱり!?」
もっとも、その告白の答えなど、千尋には口にする前からわかっていたのだが。
こういう、きっちりと線引きをするモラルの高い人間が師匠であることを、千尋は良く知っているのである。
「じゃあ、アタシが成人したら付き合ってくれますか!?」
「すまない。私は弟子と付き合うつもりはない」
「うぐっ……じゃあ、じゃあ、弟子を……やめ、ません! 弟子は止めない!」
「そう言ってもらえて何よりだ」
仏頂面で淡々と千尋の告白を処理するクロウ。
「ぬぐぐ」
千尋は告白する前から、薄々駄目だとは思っていたが、それでも諦めきれないものがあるのか、ぐいぐいと自分を押しのけようとする師匠の手に抗い、必死の問いを投げかける。
「じゃ、じゃあ! 師匠は何をどうしたら、アタシと付き合ってくれるんですか!?」
「むっ」
必死の問いかけだった。
青さ極まる初恋だったとしても、千尋は本気でクロウと付き合いたいと思っていた。
だからこそ、クロウも社会的なことを言い訳にせず、本音を話すため、真面目に考えこんだのだろう。
「そう、だな…………仮に、私が誰かと付き合うとすれば、それは――――私よりも強い者だろう。最強の私を下し、ただのクロウに戻せる者が居たとすれば、私はその者の想いに応えるだろうな」
だが、本音であるが故に、クロウの答えはまるで無理難題のようだった。
魔術師最強に勝てる存在でなければ、恋愛対象にならない。
少女の青い恋心を、熟す前に圧壊させるような、酷い条件だった。
「なるほど」
けれども、この時の千尋は馬鹿だった。
身の程知らずの馬鹿だった。
「だったら、師匠。アタシはここで宣言します! アタシは絶対、師匠を超える魔術師になって見せると! アタシが師匠の最強を継ぐ者になると!」
見通しも称賛も何もあったものではない宣言。
戯言と切って捨ててもいい言葉。
「く、くくっ――――ああ、そうか。ならば、やってみるがいい」
誰もが馬鹿にしてもおかしくない千尋の宣言を、けれども、クロウだけは微笑と共に受け入れたのだった。




