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第29話 最強の黒

 遥か昔の話。

 西暦として定められた歴史が始まるよりも前。

 あるところに、悪童が居た。

 親兄弟など無く、気付いた時には一人きり。

 生きるためには他者から盗み、他者を殺し、ひたすらに腹を満たすためだけに生きているような、悪鬼のような子供だった。

 だが、それは当時の世情からすれば、別におかしなことではない。


 死があり触れていた時代だった。

 七つまでは神の子、などと言うのも憚られるような時代だった。

 子供が死ぬのは当たり前。

 男も、女も、屈強な動物だろうとも、誰であろうとも。

 ちょっとした傷や、病気が原因で死ぬ。

 死なないために、他者から盗むのも、他者を殺すのも当たり前の時代だった。

 道徳や倫理などは、一定以上の社会的地位を持った統治者の贅沢だった。

 故に、その子供が悪童などと呼ばれていたのは、悪行が原因ではない。

 悪鬼の如く強かったからだ。

 『悪』と呼ばれるほどに強かったからだ。

 だからこそ、その悪童は近隣の共同体からは『人ならざる者』として恐れられていた。

 ――――討伐のため、高名なる大魔導士を呼び寄せるほどには。


「ほう、お前さんが噂の『悪童』かい。かかか、こりゃあ、中々の逸材だ」


 黒。

 色が混ざったような、混沌の黒。

 悪童から見た大魔導士という存在は、黒くて、男だか女だかわからない姿をしていた。


「いいねぇ。ちょうど、頑丈で強い弟子が欲しかったところだ」


 悪童は大魔導士に負けた。

 あっさりと負けた。

 傷一つ付けられることなく制圧された。

 まるで、魔法の如く。

 ――――否、違う。本当に魔法……魔術だったのだ。

 世間にはびこる神仙偽術の類ではなく、本物の魔術師だったのだ。

 いくら悪童が人間としての性能に優れていようとも、未知の塊である魔術を相手ではどうにもならない。


「さぁ、お前さんは、この私に敗北した。なら、私の下に付くのが自然の習いだよなぁ?」


 かくして、悪童は大魔導士に下り、弟子となった。

 正確に言えば、強制的にそうなった。

 その当時、生意気なガキを殴って従わせて、自分の弟子とする職人は多く居たので、ある意味、定番通りの弟子入りの流れだったといえるだろう。


 現代で言うのならば、地元で無敵のチンピラが本職のヤクザに負けて、組に入れられたようなエピソード。いや、現代と呼ぶには一昔過ぎる例えかもしれないが、ともあれ、こんな話はきっと誰も信じないだろう。

 『原初の大魔導士』と『最強の黒』の出会いが、こんな形だったなんて。




「師匠。手あたり次第に弟子を増やすのは止めろ。世話をするのは私だぞ?」

「あーん? なんだよぅ、クロウ。私の一門が大きくなるのに何の問題があんだよ?」

「人数が多すぎて、魔術を教える手が足りないと言っている」

「んじゃあ、ゴーレムを増やせばいいか?」

「その場合、ゴーレムと私の指導の結果が同じだったとしても、ゴーレムが担当した弟子が蔑ろにされたと文句を言うだろう」

「かーっ! めんどくせぇ! 人間って面倒くせぇな! なぁ、クロウ!」

「面倒くさい人間の筆頭である貴方が言うのか、師匠」


 数百年後、悪童はクロウという名前を得て、大魔導士の一番弟子として忙しい日々を送っていた。

 何せ、大魔導士はあらゆる魔術の開祖でありながら、極端な面倒くさがり屋の変人。

 クロウを弟子にしたのも、自分の代わりに魔導書の製作をさせるため。

 自分の独特な感性によって作られた魔術を、常人でも使えるように噛み砕いて言語化する。

 弟子となった当初は、わけがわからな過ぎて何度も夜逃げしたクロウだったが、今では大魔導士の言いたいことは大体全部わかるようになってしまったのだから、なんだかんだで二人は相性が良かったのかもしれない。


「大体、なんで弟子を増やすんだ? 師匠。門下を増やさなくとも、師匠ならば資金を稼ぐ方法はいくらでもあるだろう?」

「ばっか、お前、そりゃあ、あれだよ。あれあれ。こう、だな? 継承、的な?」

「…………まさか、師匠が持つ【原初の魔術】の継承を行わせる相手を探しているのか?」

「そう、それ!」

「使い方を誤れば、国一つが簡単に滅ぶ危険物を? 継承? 師匠、ついに耄碌したか?」

「はっ、馬鹿言うなよ、ガキが。お前が思うほど、人間ってのは捨てたもんじゃねーよ」

「そうか? 私はそうは思わない。私を含めて、人間は愚かな者ばかりだ」

「だけど、それでも、お前はきちんと弟弟子どもを世話しているだろ?」

「…………」


 相性が良かったからか、大魔導士は多くの弟子の世話をクロウに押し付けた。

 クロウはこの扱いにブチ切れつつも、拾われた恩があったのだろう。真面目に全ての弟弟子の世話をしていた。

 この時の経験が、後々自分が魔術の師匠となった時に活きて来るのだが、この時のクロウのモチベーションとしては、大魔導士の頼みであることが第一だった。

 そう、なんだかんだ言いつつ、クロウは師匠である大魔導士を慕っていたのである。


「そういうところがあるから私は、人間は捨てたもんじゃないと思っているし……私の【黒】はお前に継承して欲しいと思っている」

「重荷が過ぎるんだが?」

「かかかっ! そんなことねーさ! はい、話は終わり! ほら、今日は新しい弟子が入ってくるんだから、愛想よく出迎えてやれ!」

「愛想よくは無理だ。魔術よりも難しい」


 故に、渋々といった態度ではあるものの、クロウは大魔導士の次を担う者としての覚悟は決め始めていた。

 大魔導士が何を考えて継承などと言い出したのかはわからない。

 だが、それでも、その想いに応えようと、今日も今日とて新しく入った弟子を門の前まで迎えに行く。



「おなかがすいたよー。まじゅつしになれば、ごはんたくさんたべられるー?」



 この時、門下に入ることになった真っ白な少女が、後々、師匠である大魔導士を殺し、自分の弟子を殺し続けることになるなんて、クロウは夢にも思わなかっただろう。



●●●



 そして現在。

 クロウとシロナは向かい合っている。

 クロウは冷徹な殺意を研ぎ澄ませて。

 シロナは歓喜と愉悦を溢れさせて。


「度し難い。貴様は一体、どれだけの年月を過ぎれば精神的に成長するのだ? いい加減、兄弟子に構ってもらうために人を殺すな」


 至極もっともなクロウの言葉。


「う、ふふふー」


 しかし、そんな真っ当な言葉などシロナに届かない。


「久しぶりだねー、クロ! 会いたかったよー!」


 そればかりか、つい先ほど――否、現在進行形でクロウの弟子を殺そうとしている者とは思えぬ、親しみに満ちた言葉を返すような有様だ。

 噛み合わない。

 クロウは長い年月を経て、数えきれないほど思った感想を胸の中で呟き、静かに切り捨てた。

 己の中にある、『今度こそは』という慙愧の念を。


「ねぇ、元気にしてたー?」

「貴様と会うまではな」

「あはははー! 知ってる! だって、新しい弟子を取るほどだからねー! 良かったぁ! 三番目の弟子のことはもう吹っ切れたんだー!」

「…………」

「そうだねー。そうだよねー。今度の弟子は、千尋ちゃんはさー、才能は凡庸だけど見どころがあるよー! シロが軽く殺そうとしても死ななかったんだから! 将来有望ぉ!」


 語れば語るほど、シロナは上機嫌になっていく。

 だが、クロウは反対に、殺意が段々と研ぎ澄まされていく。


「…………っ!」


 自分を庇うように前に立つクロウの殺気に、千尋は思わず息を飲んだ。

 そして、実感した。

 シロナの言う通り、確かに『宿敵』なのだと。

 師匠であるクロウは、シロナという存在を許せないのだと。


「もう戯言はいい。時間の無駄だ――――手早く終わりにしよう」

「ん? ああ、そうだねー。待ちきれなかったよねー、早くやろっかー!」


 切り捨てるようにクロウが言い、抱き締めるような歓喜でシロナが応じる。


 ――――ガオンッ!!!


 次の瞬間、比喩ではなく二者の間の空間が捻じり切れた。

 互いが行う、魔力操作の余波によって。


「「……っ!!?」」


 クロウの背後に隠れる千尋。

 遠くで茂みの中で伏せるビリー。

 意識の残っている二人の学生は、超越者同士の戦いの始まりに驚愕した。

 あまりにも格が違い過ぎる、と。


「クロ。君を殺すためにたっぷり準備してたんだー」


 どばん、と青空が一瞬にして【白】によって塗り潰される。

 先ほどまでの結界など比べ物にならないほど、シロナは【白】を広範囲に展開する。


「【エンディングリスト七十四:魔術師たちのラグナロク】」


 次いで、真っ白な空から次々と形あるものが雨粒の如く生み出される。

 それは、かつて世界を震撼させた魔導の王。

 それは、かつて世界に巣食った巨悪の妖怪。

 それは、かつてクロウさえも苦戦した無敵の魔人。

 それは、それは、それは――――それは、無数にして無尽の軍勢だった。

 一体一体が、世界を滅ぼすに足るだけの力を持った超越者。

 それが、雨粒の如く、数千、否、数万体も創造されたのだ。

 真っ白な空という、絶好のキャンパスを用いて。


「ひ、あ」


 その光景を目撃したビリーは、あまりの絶望に放心した。

 それもそのはず。

 シロナの行いはあまりにも規格外。

 魔術師であったとしても、あるいは、魔術師だからこそ、御伽噺染みていると感じるほどの規格外の魔術なのだ。

 それこそ、今にも世界が崩れ去ってもおかしくないほどに。


「……くそっ!」


 千尋は無尽に広がる魔術師の軍勢を見て、怒りと共に認めてしまった。

 勝てない、と。

 最強の呪文を唱えてなお、千尋はシロナにまるで及ばないと理解してしまった。

 先ほどのやりとりも、全てはシロナが『手を抜いて付き合ってあげた』から成立していたやり取りに過ぎない。

 手段を選ばす、殺そうと思えば、シロナはいつだって自分たちを殺せた。

 そのことを思い知った千尋は、強い屈辱と怒りを感じて、奥歯を噛みしめる。

 指先が震えているのは、恐怖からではなく怒りからなのだと誤魔化して。


「案ずるな、弟子」


 けれども、そんな不安に揺れる千尋へ、クロウは顔を向けずに告げた。


「一撃で終わらせてやる」


 自らの圧勝を。

 当たり前のように。

 絶望的な戦力を確かに見据えたまま。


「あはははー! 不可能だよー、いくらクロでも! だって、クロとシロの実力は互角! 最後に戦った時は、『シロを倒した時』、クロは死にかけだったよねー!? でも、シロはあの時よりもかなーり、強くなったんだよー?」


 そんなクロウの大言を、シロはけらけらと笑い飛ばす。


「シロが創造したのは、死者の軍勢。シロが知る限り、強かった魔術師の全盛期を再現したもの。その中には、クロが苦戦した魔術師も居る。何人も、何十人も」


 クロウとシロナ。

 両者の間の空間は変わらず捻じれている。

 互いにマナを奪い合い、その余波で空間に負荷がかかっているのだ。

 まるで、二人の拮抗を示すかのように、両者の間のちょうど中間に。


「倒せないよー、絶対に! 今日、ここで! クロはようやくシロに敗北するんだからー!」


 そして、シロナが腕を振り上げ、勢いよくクロウを指差す。

 『地球世界』、『天球世界』を問わず、世界最強の軍勢を戦闘態勢に移行させて、クロウへと集中攻撃を始めさせる。



「この拳を持って幕引きとする」



 その全てを。

 一つの衝撃が凌駕した。


 ――――ぱぁんっ。


 快音が一つ。

 クロウが思いっきり、右拳を振り抜いた。

 ただそれだけのことで、真っ白な空が割れた。晴天が現れた。

 シロナが創造した魔術師の軍勢が、シャボン玉の如く弾けて消えた。


「ごほっ」


 何より、シロナの胸にこぶし大の穴が開いていた。


「…………あー、【黒】じゃないよねー? それ」

「ああ、私のオリジナルだ」

「固有魔法?」

「違う。単なる拳を突き詰めた結果だ」

「そっかぁ。そういうのもあるのか…………あのさ、一つだけいい?」

「ああ」


 ごぼごぼと口の端から血の泡を出しながら、シロナはクロウに言う。


「クロ、強くなりすぎ」


 その軽口を最後に、シロナの体は力を失って倒れこむ。

 体の全てが白い液体へと変わり、それもすぐに地面に染み込んで消えた。

 シロナは――クロウを倒さんとする力が込められていた個体は、一撃にて葬られた。


「ふん。当然だろう? 私は、師匠になったのだから」


 かくして、白き絶望は打ち砕かれ、最強はここに証明された。

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