第28話 命を賭けて戦うということ
千尋は絶望を知っている。
シロナという超越者が眼前に現れたことが、自身の絶望だと正しく理解している。
それは、千尋の母親がデュラハンの呪いに蝕まれた時と同じように。
それは、幼い頃、母親と共に世界各地を冒険の中、船が嵐に飲まれそうになった時と同じように。
どうしようもなく巨大な何かが、目の前に現れたのだと知っているのだ。
「ねぇ、知ってるー? 君はね、クロの四番目の弟子なんだー」
超人二人と世界を喰らう銀狼を一体。
まるで蠅でも払うかのように易々と倒したシロナは、親しげに千尋へ語り掛ける。
「クロって大分昔から最強だったんだけどねー? 最強だから当然、その座を狙う奴らに勝負を挑まれたり、その強さの秘訣を知るために弟子入りしてくる人が結構居たんだー」
にこにこと、世間話でもするように。
悪意も、敵意も、殺意も無く、シロナは千尋と気安く肩を組んで話し続ける。
「一人目の弟子は天才だったよー。そう、才能だけだったら多分、シロもクロも超えていただろうねぇ。千年経っても、あの才能に匹敵する存在はいないよー」
だが、千尋は知っている。
これは単なる『食前酒』なのだと。
更に並べられた料理が千尋で、今は優雅に勝利の美酒を傾けているのだと。
敵意も殺意も無い? 当然のことだ。
シロナに取って千尋とは、単なる欲望を満たすための食事に過ぎない。
「だけどねー? 笑えることに、その弟子は才能を台無しにしちゃったんだー。クロの下から出奔して、国なんか興しちゃってさー。名君とか呼ばれたりもしたけどー、結局最後は、部下に裏切られての毒殺。ね、笑えるよねー? 本来なら、毒なんて意にも介さない超越者になれる器だったのにさー」
過去を語るシロナは、千尋のことを見ていない。
真っ白な天井に視線を向けて、過去を懐かしむかのように言葉を重ねている。
隙だらけだ。
一撃だけなら、不意を打てるかもしれない。
少なくとも、千尋はそのように判断した。
けれども、同時に『どんな攻撃しても無駄だな』という直感も得ていた。
魔術師としての直感ではなく、幼少から母親の冒険に付き合って、多くの死線を越えて来たからこそ得られる直感だった。
「それで、クロは反省したのか、次に弟子にした奴にはねー、神経質なぐらいに身を守る魔術を習得させたんだよー。いやぁ、なんだかんだ、クロは人情家だからねー。よっぽど、弟子が毒殺されたのが堪えたんだろうねー? その時は『もう二度と弟子は取らない』とか言ってたけど、喉元過ぎれば熱さを忘れる、奴かな? それとも、次に弟子にした奴が最初の弟子に似てたからかなー? まぁ、外見だけだけどね? 才能はいまいちだったよー」
【韋駄天】を使う?
否、発動前に殺される。
【黒】を使う?
否、この状態から脱出は出来るが、後は続かない。直接的な攻撃に繋がらない。
逃げる?
否、それを一番、相手は警戒している。逃げ出そうと動いた時点で死ぬ。
死ぬ、死ぬ、死ぬ。
千尋は脳内で自分の死を積み上げる。
その度に、がりがりと自分の精神を削りながら。
「大事に、大事に、クロは弟子を育ててたよー。だからね? シロは思ったんだー。『あ、こいつを殺せば、クロは面白い顔をするだろうなぁ』って!」
だが、その思考をシロの言葉が止める。
「案の定、あの弟子を殺したら最高に面白い顔をしてくれたよー! それ以来、シロはクロが弟子を取る度に殺すことにしてるんだー! ふ、ふふふっ、楽しかったなぁ。弟子を死なせようとしないクロに、弟子を殺そうと策略を練るシロ。あの時は本当に楽しかったなぁ」
「…………」
怒りが、思考を切り替えた。
真っ白な邪悪の存在を、千尋は許せなくなった。
今まで生き残ることばかり考えていたが、今、この時から千尋の目的が、『シロナに痛い目を遭わせる』ことに変わった。
「だけどねー、悲しいことに、クロは三人目の弟子が死んでから、弟子を取るのを止めちゃったんだよー。折角、楽しかったのにねー。ここ数百年は全然、誰に頼まれても弟子を取らなかったんだー、シロに殺されちゃうからー。あはっ、でもぉ」
視線が合う。
優しげな微笑みでありながら、瞳の中に愉悦を滲ませた視線と、千尋の燃えるような敵意がぶつかり合う。
「最近、ようやく四人目を取ったらしいからぁ、殺しに来たんだぁ、貴方を」
シロナから殺意とは異なる、悍ましい気配が湧き上がった。
それは、非捕食者が受ける、絶対捕食からの『食欲』に等しいもの。
大抵の人間は、これに抗えない。
逃げねば死ぬというのに、蛇に睨まれた蛙の如く、絶対強者の指先から逃れることはできないのだ。
「勝手に言ってろ、クソ女」
だが、千尋の怒りがその理を凌駕し、今、【黒】の奔流でシロナを押し流した。
「っととととぉ?」
シロナは【黒】の波に飲まれ、オドが止まってもまるで気にしない。
当然の如く、その程度の対策はあると顔が告げている。
けれども、だから何だと千尋は獰猛な笑みを浮かべる。
「えー、まさか戦うのー? シロに勝てるつもりー?」
相手は師匠であるクロウと同格。
頼れる仲間は、ほとんど戦闘不能。
自らの魔術の腕は、まだまだ未熟。
勝ち目は皆無。
絶望は目の前に。
「はっ、『楽勝だぜ!』」
だからこそ、千尋は『最強の呪文』を唱え、最悪の敵へと挑む。
自分こそ、最強の弟子だと証明するために。
●●●
シロナは知っている。
千尋が魔術師になってから一年も経たない新米であることも。
クロウの【黒】を継承していることも。
――――【黒】の扱いが、未熟極まりないことも。
「随分な大言だねー? ひょっとして、クロの真似のつもり? あれはね、相応の実力のある者がやるから意味があるんだよー」
千尋からあふれ出した【黒】の奔流の中に飲まれていようが、シロナは意にも介さない。
何故ならば、シロナにとって千尋の魔術はあまりにも拙いからだ。
「君の実力じゃあ、滑稽なだけだよー」
どぱん、とシロナの体内から【白】が溢れた。
千尋の【黒】を押し返すに足るだけの質量を持った【白】が。
「ぬ、ぐぅっ!」
「きっとまだ、クロからは教えられていないでしょ? だから、シロが教えてあげる。いい? 【破壊の黒】と【創造の白】は相殺可能な関係なの。だから、シロはクロの宿敵なんだよー」
覆される。
押し返される。
今まで、直撃すればどのような魔術師であっても魔術の行使はおろか、オドを満足に練ることも出来なかったというのに。
シロナはまるでことも無く、千尋の【黒】を受けながらもあっさりと、【白】の魔術を行使して見せたのだ。
「ぎ、ぐぎぎぎっ!」
奥歯を噛みしめ、必死の形相で【黒】の発動を続ける千尋だが、シロナは知っている。
【黒】とは、術理を知れば誰でも発動可能な魔術であり――――並大抵の魔術師では、発動した瞬間に精神を塗り潰され、廃人となるリスクを抱える魔術であることを。
「使える、と使いこなせるの間にはながーい距離があるんだよー? ましてや、シロはねー? クロと何度も殺し合いをしてきた仲なんだよー?」
ぐ、ぐぐぐ、と【白】が段々と【黒】を飲み込んでいく。
「弁えようねー? 身の程をさー」
やがて、千尋を押しつぶすように、シロナの【白】は大きく波を作って。
『グルゥガウッ!』
「吠えろ、銀竜! 我が鎧!」
「魔弾・百色」
その一押しこそが隙だと言わんばかりに、先ほどまで【白】の影響で倒れていた者たちが逆襲を始めた。
ルーは銀狼状態での空間を噛み砕く一撃。
ノエルは銀の鎧を変形させて、腕を竜の顎の如く振るって噛みつく。
クエラは宣言通り、百色に彩られた魔弾を放つ。
そのどれもが、達人クラスを一撃で屠るに足るだけの威力を持っていた。
「おっとぉ」
しかし、三者の必殺に対して、シロナの反応は軽い。
【白】の魔術を解除し、あっさりとその場で身を翻し、まずはルーの一撃を、顎を蹴り抜くことで逸らす。
ノエルの変形した鎧は、シロナが思いっきり腕を振るうだけで砕けた。
その上、クエラの魔弾などは「ふぅー!」と大きく息を吐き出すだけで吹き飛ばす。
――――次元の違う相手だった。
「んー、悪くは無いねー。シロと真正面からやり合うと見せかけて、【黒】で仲間を復活させる。うんうん、悪くは無いよー? 【黒】と【白】が相殺するっていうのは、シロが言ったことだしねー? でもぉ」
つい、とシロナは指揮者の如く指を振るう。
それだけのことで、三者の頭上には無数の紅蓮の槍が現れた。
氷竜さえ、一撃で魂まで焼き焦がせる、紅蓮にして灼熱の槍が。
「フェンリルはともかく、残り二人が力不足」
即死。
魂すら残さず、蘇生の余地も残さぬほどの即死。
『ぐるぅううあぁああ!!』
「ぐんぬぅううっ!!」
そうなるはずの攻撃を、降り注ぐ紅蓮の槍を、ルーと千尋が全身全霊で防ぐ。
その対価として、ルーの肉体の三割が焼き抉られて。
千尋の【黒】がほとんど吹き飛ぶこととなったが。
「「――――っ!」」
守られた。
その屈辱を噛みしめながら、それでも超人二人は命を賭した攻撃に移ろうとして。
「遅いよー?」
直後、胸を貫く激痛によって地面に倒れ伏す。
「シロの【白】は、単なる『余白』じゃないんだー。そこに書き込むだけの魔力と想像力があれば、御覧の通り、何でも作り出せるんだよー。神話の武器でも――――君たちそっくりの肉体でも」
苦渋を共に倒れ伏す二人の超人は見た。
シロの隣に、ナイフによって胸部を貫かれた自分自身の肉体が存在している光景を。
「類感呪術ぅ。藁人形に釘を打つやつねー? あれはさ、釘を撃ち込む媒体が、呪う対象に似ていれば似ているほど効果が増すんだー。だからほら、御覧の通りぃ」
優しげな微笑。
無垢なる白さ。
けれども、その瞳はどこまでも邪悪に赤くらんらんと輝いている。
シロナという超越者は間違いなく、この世界に君臨する邪悪の権化だった。
「さぁて、奇襲も終わりだけどー、どうするー?」
微笑を浮かべたまま、シロナは満身創痍の千尋へ訊ねる。
「仲間を守りながら戦えるー? それとも、逃げちゃうー? ふ、ふふふっ、どっちを選んでも、最後には君は死んじゃうんだけどねー?」
「…………」
「あ、勘違いしないで欲しいんだけどー、別にシロは君が憎くて殺すんじゃないんだよー? ただね? 君を殺した時のクロの顔を知りたいだけなんだー」
渦巻く、渦巻く。
シロナは頭上に巨大な【白】の渦巻きを作り、何もかもを飲み込む暴威を見せつけている。
「いつだって、どんな時代だって、シロはただそれだけなんだよー?」
そして、白き絶望は振り下ろされた。
暴威が、未熟な魔術師の弟子を飲み込み、その魂すら漂白しようと襲い掛かる。
――――助けは来ない。
白い壁が、天井が、外界と内部を隔絶している限りは。
「――――【黒化武装・籠手】」
故に、その暴威を、絶望を、真っ白な渦巻きを殴り飛ばしたのは、紛れも無く千尋の実力によるものだった。
「感謝するぜ、クソ女。お前という『お手本』を見て、アタシは理解した――――そう、アタシはもっと自由でいいってなぁ!」
【白】を殴り飛ばした千尋の両腕には、真っ黒な籠手が装着されている。
ただ、それは古風な鎧ではなく、少々近未来的なガジェットの造形をしている、如何にも『強い武器』という形のものだ。
「アタシの限界は、アタシ自身が決めつけていた。だけど、もう躊躇わない」
「…………あー、なるほどぉ?」
威風堂々と拳を構える千尋の状態を、シロナは正しく理解した。
「ハイになってるねぇ、君」
覚醒、なんて都合の良いものではない。
死の間際による感覚の暴走で、無理やり実力以上の魔力操作を引き出しているに過ぎない。
一見、頑強そうな黒の籠手も、千尋が気を抜けば、すぐさま崩れ去るだろう。
「いくぜぇ!!」
そう、千尋が気を抜けば。
「おらおらおらおらおらぁあああああああっ!!」
ラッシュ、ラッシュ、ラッシュ。
黒の籠手を使って猛威の連打。
それでいて、荒々しさの中にも、千尋の動きはクロウによって仕込まれた武術の基礎がある。
従って、千尋の猛攻は紛れも無く、シロナに有効な代物だった。
「あーあ、段々と君のことが好きになって来ちゃったなー。でもなー」
されど、所詮は付け焼刃。
有効であったとしても、それはちょっとした時間稼ぎにしかならない。
千尋の猛攻に押されてはいるものの、シロナは余裕綽々。平然とした様子で猛打を捌き、【黒】の攻撃を【白】で相殺している。
まるで、大人が子供の遊戯に付き合っているかのように。
「シロは初志貫徹って大切だと思うんだよねー」
シロナは見切っていた。
千尋が猛攻の中、密かに力を貯めていることを。
シロナの隙を狙い、渾身の一撃を放たんとしていることを。
「ふふふっ」
「う、お、おおおおおっ!」
だからこそ、シロナは誘う。
卓越した捌きの中に、僅かな隙を見せて誘い込む。
千尋の動きに綺麗に合わせて、カウンターで即死を狙うために。
最高の一撃を放った瞬間、絶望に沈ませるために。
「――――重き鎖よ」
故に、気付かなかった。
否、存在に気づいていても眼中には無かった。
「はぁ、はぁ、はぁ――っ!」
魔術の威力を底上げする杖で、渾身の重力魔術を発動したビリーの姿なんて。
「づ、ぐ、う!?」
重力による束縛は一瞬。
たった一瞬で、シロナはビリーの渾身を破った。
されど、その一瞬こそが、千尋の待ち望んでいた真なる千載一遇。
ビリーという先輩を信じていたからこそ、繋げた渾身の一撃。
「くらいやがれえぇええええええええっ!!」
千尋の一撃は、命を賭けていたが故に、威力は絶大。
たとえ超越者のシロナといえども、まともに受ければ痛いでは済まされない。
少なくとも、クロウと戦うだけの余力など残らないだろう。
「ふ、は、はぁっ!!」
だが、シロナは超越者でありながら百戦錬磨の怪物だ。
最強の魔術師の宿敵だ。
この程度の窮地、今までいくらでも乗り越えて来た。
故に、今回も乗り越える。
完全に決まったはずの千尋の渾身。
治療魔術では易々と癒えぬ傷を与えるはずの拳。
それを、【白】で自身の半身を消し飛ばすことで回避した。
「んなぁ!?」
怪物染みた回避に、遠くからビリーの驚愕が響く。
今のシロナは、肉体が縦に半分消し飛んでいる状態だ。
普通ならば死んでいる。
普通ではないから生きている。
そして、【黒】の一撃でないのならば、自身の【白】で容易く肉体は作り直せるのだ。
「ふ、ふはははっ! おもしろーい! 君! 千尋ちゃん! 面白いよー、とっても! 殺すのが惜しくなるぐらい!」
思わぬ窮地を回避したシロナは、路傍の石ころであったはずの千尋を歓喜と共に称賛して。
――――ぴしり。
「え、あ」
気づいた。
ようやく気付いた。
千尋が振り抜いた渾身の一撃、その本当の狙いを。
渾身の余波、【黒】が奔流となって向かう先を。
「ばぁーか。誰が、師匠クラスとまともに戦うもんか」
【黒】と【白】は相殺可能。
従って、相殺される。
千尋の渾身の一撃が、放たれた【黒】の奔流が、外界と内部を隔絶していた純白の壁が。
――――がしゃん。
助けは来ない。
白い壁が、天井が、外界と内部を隔絶している間は。
だからこそ。
「よく頑張ったな、千尋」
障害が無くなった今、最強の黒は君臨する。
あらゆる絶望を薙ぎ払い、契約を履行するために。
鈴木千尋という弟子を、助けるために。




