第27話 白き絶望
山を砕く音は、雷鳴に似ていた。
「ぬぅううううんっ!!」
上半身裸の巨漢が、丸太の如き腕を振るえば、周囲に豪風が吹き荒れる。
地面が抉れる。
岩が吹き飛ぶ。
山が砕ける。
――――『山砕き』。
両腕に無数の杖を括り付けた巨漢の魔術師は、その異名の通り、山さえ砕く力を持っていた。
「北に玄武。東に青龍。南に朱雀。西に白虎。ここに、四神相応の陣を引く」
ぱぁん、と柏手を一つ。
それだけで、無貌の仮面を被った魔術師は、隔絶した異界を展開した。
現実のテクスチャと同期しつつも、外との隔絶は表裏一体の『天球世界』と『地球世界』の境界よりも深い。
――――『絶界製作者』。
無貌の仮面を被り、純白の外套を身に纏う魔術師は、小さな世界を作れるほどの力を持っていた。
「【るるるらるるらうら】」
隔絶した異界に響くのは、極上の旋律。
歌うは灰色の翼を持つ、絶世の美女。
ただし、その瞳は殺意の籠った猛禽類のものだった。
――――『殺戮歌』。
歌声一つで山脈に住む数多の生物を絶命させる歌声には、確かに超越の域に届くほどの力があった。
「ひっひっひぃ! さぁ、楽しい楽しいスーサイドパーティの始まりだぁ!」
無尽。
山脈の木々を全て覆い、一瞬にして噛み砕くのは漆黒の波――蟻の大群。
一匹一匹は脆弱なれども、集まれば上位の竜すらも食い殺す。
その全ての蟻を統括し、時に強化し、変異し、変幻自在の軍隊と変える。
――――『国喰らい』。
一糸纏わぬ裸体を晒す、褐色肌の美少女は、黙示録の五番目を担えるほどの力を持っていた。
四人の魔術師は全て、例外無く到達者。
達人の領域を超え、魔導の極致に到達した者たち。
一人一人でも国を滅ぼすに足る戦力だというのに、今回は四人揃って同じ目的を持っている。
国家を滅ぼす戦力が、四人揃わなければ為せない目的を。
「ふむ」
四人の魔術師が相対していたのは、黒衣の魔術師。
到達者が四人、自身に対して殺意を向けていようが、その瞳に宿る怜悧な光は鈍ることを知らない。
「なるほど、足止めか」
むしろ、平然と四人の魔術師の目的を看破した。
即ち、命を賭した足止めであると。
「おいおい。つれないことをいうんじゃねーよぉ。こちとら、アンタを殺すために数を揃えるなんてクソだせぇ真似をしてんだ。足止めなんて温い真似はしねぇ……殺す気で行くぜ、俺は」
黒衣の魔術師の呟きに、『山砕き』は気分を害したとばかりに口を挟む。
「ひゃはははっ! 彼我の差を知らないって素敵!」
それに追従するように『国喰らい』は嘲笑を乗せるが、それは黒衣の魔術師に対してではない。愚かな味方に対する嘲りだ。
「逸るな、『山砕き』。あの方もおっしゃっていただろう? 連携を忘れた瞬間、我々は即座に全滅するだろう、と」
そんな中、生真面目に『絶界製作者』は仲間へ警戒を促す。
この場は既に、死地なのだと。
「【るるるらー】」
黒衣の魔術師を囲む三人が緊張にある中、『殺戮歌』は平常通り。
ただ、歌う。
相手が何者だろうが、最後まで歌う。
それこそが己の存在意義だとでも言わんばかりに。
「ふむ。厄介なのが一人居るな」
故に、黒衣の魔術師は正しくその脅威を認識する。
『殺戮歌』という、己と同じ超越者の領域に手を賭けんとする者を警戒する。
だが、それはそれとして、だ。
「四人全員、【白】による強化済み、か。なるほど、分かり易く己の存在を誇示しているな、『シロナ』め」
警戒を保ったまま、油断は欠片も無く、けれども黒衣の魔術師には緊張は無かった。
冷や汗一つ流すことなく、むしろこの場に居る全ての者に緊張を強いるかのように覇気を溢れさせていた。
威嚇ではなく、ただ、周囲への配慮を解いただけのことで、四人の魔術師の心胆を震わせた。
「狙いはどうせ、私の弟子だろう。本当に、何年……何百年経とうが、変わらぬ醜悪な精神だ。ああ、まったく――――」
黒衣の魔術師から戦意が膨れ上がる。
「「「――っ!」」」
次の瞬間、【殺戮歌】以外の魔術師は即座に戦闘態勢に入って。
「度し難い」
黒と赤が混ざり合い、咲き乱れるように黒衣の魔術師――クロウの魔術が発動する。
勝敗は既に、語るに及ばない。
肝心なことは、どれだけ時間がかかるかということだけ。
何故ならば、この場に居る四人の魔術師のように、クロウにも異名があるからだ。
――――『最強』。
あまりにもシンプルで、けれどもそれを名乗るに相応しい力を持っているからだ。
故に、この戦いの勝敗は既に決まっていて――――けれども、最強であることが即ち、大切な者を守れるとは限らないことを、クロウは知っていた。
●●●
その絶望は少女の形をしていた。
「くそっ! 駄目だ、レジストされた!? 転移できない!」
ビリーの判断は迅速だった。
その絶望が来るよりも前。
氷竜へと絶望の力の一端が降り注ぐよりも前に、転移を実行しようとしていたのだから。
けれども、その程度で逃げられる者を人は絶望とは呼ばない。
「皆、バラバラになって逃げるんだ! 少しでも誰かが生き残る可能性を上げるんだよ!」
氷竜が居た場所に、魂すら焼き焦がすほどの火柱が立ち上がる。
ここでようやく、二人の超人はその脅威を理解できた。
「……強敵か」
「……ううっ! お、お兄ちゃん!!」
ノエルは静かに白銀の鎧を展開。
クルルは喚きながらも、戦闘担当の兄へと入れ替わろうとする。
「――――違う! 逃げるんだよ! あれは戦えるものじゃない!!」
喚くように叫ぶビリーの警告を正しく受け取ったのは、この場ではただ一人。
「逃げますよ、千尋様」
「えっ」
それは意外なことに、千尋の影に潜んでいたルーだった。
「最悪な奴が来ています」
ルーの正体は、達人クラスの魔術師を一蹴し、世界すら滅ぼせるほどの力を持った銀狼だ。
ただの獣耳メイドではない。
この世界の中でも、上澄みに位置する強者だ。
――――そんな強者であるルーが、真っ先に逃走を選んだ。
「ま、待って、ルーさん! 他の皆が!?」
「手遅れです」
四人の生徒を見捨て、主からの至上命令である『弟子の守護』を成し遂げるため、一息の内にこの場から逃げ去ろうとして。
「…………やはり、駄目でしたか」
一瞬にして、山一つを覆う『白の結界』に阻まれた。
まるで、新品のスケッチブックの中に閉じ込められたかのような真っ白な空間。真っ白な壁。それらは、空間すら破壊可能なルーの爪を持ってしても破れない。
何故ならば。
「ふふふっ、久しぶり。相変わらずのメイド趣味だねー、フェンリル」
この場に君臨したのは、世界を滅ぼす怪物など歯牙にかけない、超越者なのだから。
「…………ん、な?」
千尋は見た。
ルーに抱えられたまま、千尋は白い天井から降りて来る『それ』を見た。
真っ白なドレス。
真っ白なロングヘア―。
色白の肌。
鮮血のように真っ赤な瞳。
形だけを見れば、それは息も止まるような絶世の美少女だった。
微笑みだけを見れば、他者の心に寄り添うような優しさを見た。
けれども、千尋は見た。
「う、おおうえぇ」
思わず嗚咽を漏らしてしまうほど、吐き気を催すほど醜悪な、どす黒く醜悪な魔力の流れを。
「へぇー、シロの魔力を視れるぐらいには育ってるんだー。『地球世界』の出身だから、まだまだそういうのは無理だと思ってたけどー、意外に頑張ってるねー、クロも」
間延びした幼い口調とは裏腹に、その言葉の内容は絶望が滲んでいた。
「…………っ!」
師匠を、誰もが畏怖と尊敬を抱かざるを得ない最強の魔術師を、この美しくも醜悪な美少女魔術師は、友達のように親しげに呼んでいたのだ。
そう、まるで――――同格の相手にするかのように。
「お逃げください、千尋様。道は私が切り拓きます」
ルーは千尋を地面に下ろし、その姿を巨大なる狼のものへと戻す。
世界を喰らう銀狼としての力を全力で振るうため、真なる姿へと戻る。
「あはっ、身の程知らずぅ」
だが、真っ白な美少女はまるで怯えない。動じない。
優しい微笑を崩すことなく、ルーの変身を眺めていた。
『グルルルルゥウウウッ!!!』
そして、空間を砕き、世界を喰らう、その牙が音よりも早く、自分を噛み殺そうとする姿さえも、悠々と眺めていて。
「リテイク」
次の瞬間、『真っ白な美少女を噛み砕いたはずのルー』は、倒れ伏していた。
その巨体に、真っ白なインクのようなものを塗りたくられて。
「え、あ、は?」
理解できない。
千尋は眼前の出来事が理解できなかった。
何故ならば、見たのだ。確かに見たのだ。ルーが真っ白な美少女を噛み砕く姿を、真っ白な肉体から、真っ赤な鮮血が噴き出す瞬間も。
「ふ、ふふふっ。ねぇ、不思議? シロが何をしたのか、わからなぁい?」
「ひ、あっ」
気づくと、千尋の前には真っ白な美少女が居た。
いつの間にか、互いの唇が触れ合いそうなほどの距離に。
「ふふふーふっ。流石に、因果干渉までは勉強してないかー。まだまだだねー。でも、クロは面倒見がいいから、きっとこれから覚えることになるよっ」
千尋は後ずさる。
警戒からではなく、恐怖からの無意識の動き。
しかし、そんな千尋の肩を掴み、ぐいぐいと真っ白な美少女は唇を近づける。
千尋の耳に、唇を近づける。
「この場で死ななければ、ね?」
「――――つだぁ!?」
がぢん、と千尋の耳から痛みの音が響く。
「あはぁ」
その上、ぴちゃり、ぴちゃりと獣が肉を啜るような音が脳髄を撫でた。
――――死ぬ。
千尋はデュラハンに出会った時よりも明確に、己の死を実感していた。
「させんっ!」
「ひゃはぁっ!」
そんな千尋を救うべく、今まで機会をうかがっていた二人の超人が飛び出す。
ノエルにクルルの兄――クエラ。
ミネルヴァ魔法学校の生徒の中でも、上から数えて両の手の数に入るほどの強者が二人、後輩を救うべく蛮勇を奮い立たせたのだ。
「ペイント」
そして、蛮勇の代償を即座に支払うことになった。
「あ、え?」
千尋は目の前の光景が信じられなかった。
ルーの時とは違い、べちゃり、と白のインクのようなものが超人二人にかけられた瞬間は見えた。見えたが、だからこそわけが分からなかった。
何故、白いインクのようなものがかかっただけで、超人二人は倒れたのか?
意識を失い、ぴくりとも動かない状態になっているのか?
【黒】のように、体内のオドの動きが阻害されているわけでもないというのに。
「あーあ、無粋だったねー。でも、そうだねー。ちょうどいいか。自己紹介も無しにバイバイは可哀そうだし。改めて、シロは名乗るねー」
呆然とする千尋から一歩退き、その姿が全て見えるようになってから真っ白な少女は告げる。
「シロは【創造の白】の略奪者で、原初の大魔導士を殺した世界の敵。最強の【黒】の宿敵。偏在にして無尽――――『無敵』のシロナ」
避けられぬ理不尽、絶望というものを。
「気軽にシロって呼んでねー?」
そして、千尋にとっての試練が始まる。




