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第2話 旅立ち

 前回の顛末から話すと、死の呪いから解放された千尋の母親は、即座に快復した。

 どれだけ元気になったかと言うと。


「ふわぁ、なんだかとてもお腹が減ったわね。あ、千尋、久しぶり。ちょうどいいわ、これから一緒に病院を脱走して、血の滴るようなステーキを食べに――」

「お母さんのばかぁ!!」


 意識を取り戻した直後、空腹から病院を脱走しようとして、千尋に張り倒された程度には元気だった。


「うう……契約を結んだことは後悔していないけど! 恥ずかしいにもほどがある!」

「まぁ、母親が元気なのは良いことだぞ、我が弟子」

「だってほら、不器用の塊みたいな師匠が、目を逸らしながらフォローしているもん!」


 何はともあれ、千尋の母親は数日後、無事に退院することになった。

 死の呪いの影響は既に無く、呪いの元凶たるデュラハンは討伐された。

 契約通り、千尋の母親は死の運命から脱したのである。


「あ、千尋。今回のお土産よ。ほら、いわくつきの館から出て来た、『デュラハンの瞳』と言われる綺麗な宝石――」

「お母さんのばかぁ!!!」


 なお、デュラハンに呪われた経緯は、猫すら殺す好奇心で藪蛇を突いたことであり、この件でさらに千尋は母親を張り倒すことになったのだった。


「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇっ……お父さんに言いつけてやる!」

「やめなさい、千尋。泣いてしまうわ、お父さんが」

「そう思うのなら、もっとさぁ!」


 更に久々の親子喧嘩で、かなりの時間、恥をクロウに晒すことになった千尋であるが、本題は忘れていない。

 自分が結んだ契約は忘れていない。


「師匠、確かに契約の遂行を確認しました。アタシのお母さんを助けてくれて、ありがとうございます」

「礼は必要ない。契約の結果だ」

「それでも、アタシがお礼を言いたいんです」

「そうか」


 場所は出会った時と同じ、歩道橋の上。

 シチュエーションは同じく、共に隠蔽魔術を施した状態。

 故に、人の往来があっても、二人の会話は邪魔されることは無い。


「そして、今度はアタシが契約を果たす番です。改めて、アタシは――鈴木千尋は、魔術師クロウの弟子となります!」

「ああ、これで私と君は契約で結ばれた師弟関係だ」

「今後ともよろしくお願いします、師匠! ところで、その、弟子になるって、具体的には何をすれば?」

「まずは、この世界――『地球世界』から離れて、我々魔術師が住む『天球世界』に来てもらう。基本的には、そこで住み込みの魔術修行となるな」

「なるほどぉ……ええと、『地球世界』はアタシたちが今居る世界だと仮定して、『天球世界』というのはあれですか? 漫画やアニメにある異世界って考えても?」

「いや、少し違う」


 クロウは掌の上に、ホログラムのように地球儀の形を出現させた。


「異なる世界ではない。『地球世界』と『天球世界』は表裏一体。元々一つだった世界が、二つに別たれたものだ。『天球世界』は古くはマホロバ、幽世、妖精郷などと言われている空間であり、『地球世界』と重なり、互いに影響を及ぼし合っている」

「……む、むむむぅ?」

「物凄く雑に言えば、『同じ学校に存在する、隣り合う二つの教室』だと思ってくれ。教室の中で騒げば、他の教室にも音が聞こえるし、それが過ぎれば教師が隣の教室まで怒鳴り込んで来る」

「ああ、なるほど!」


 納得した、というように頷く千尋。

 弟子になる覚悟は決めているものの、その中身はまだ中学生にもなっていない少女である。

 難しい説明は噛み砕いて、分かり易くしなければ理解できないのだ。


「魔素の環境を考えれば、『地球世界』よりも『天球世界』の方が修行に向いている。従って、千尋。君は故郷を離れることになる」

「……はい。この数日の間に、覚悟は決めています!」

「とはいえ、週末は手順こそ面倒だが、普通に『地球世界』に帰還することも可能だ」

「そうなんですか!? え!? 割としばらく故郷に戻れないものかと!」

「年端も行かぬ子供を、親元からずっと離すほど私は冷酷ではない」


 さらりと告げられた事実に、千尋はがっくりと肩を落とした。

 週末に里帰りが可能なのが嫌なわけでは無い。むしろ嬉しい。けれども、一生に一度の旅立ちかと思いきや、ちょっとした単身赴任程度で帰って来られるとなると、やや覚悟がから回ってしまうのだ。


「それと、基本的に必要なものはこちらで用意するが、私が男性であることが理由で申請がし難いものも多いだろう。故に、あちらに着いてから君専用のメイドを付ける。私に言いにくいことであれば、そのメイドに言うといい」

「お、おお……わかりました。その、意外と至れり尽くせり、ですね?」

「こちら側から弟子になってくれ、と頼み込んだのだ。契約とはいえ、身の回りの保証をするのは師匠として当然のことだ」


 如何にも悪い魔法使いという外見のクロウであるが、弟子の待遇に関しては中々に手厚いらしい。

 少なくも、千尋はこの時点で、クロウとの魔術修行をちょっと楽しみにするぐらいには、緊張が解けていた。


「ありがとうございます、師匠! アタシ、師匠の期待に応えられるように頑張ります!」

「ああ、期待している」

「でも、ここ数日で友達に、今生の別れみたいな挨拶をしてきてしまったので、ちょっと訂正して来ても?」

「もちろん、構わない。こちらとしても、『天球世界』に行く前にやることがあるからな」

「やること、ですか?」


 小鳥のように首を傾げる千尋へ、クロウは当然のように答えた。


「千尋、君の保護者への説得だ」

「あ、そこら辺はちゃんとやるんですね」

「保護者の許可の無い子供の弟子入りは、こちらの世界でも違法だからな」


 どうやら、非日常の象徴と思えたクロウは意外と、常識人だったらしい。



●●●



「なるほど……事情は理解しました。どうか、我が子をお願いします、クロウ様」

「承った。命に代えても、鈴木千尋という弟子を守り抜くと誓おう」


 千尋の保護者――父親の説得は、千尋の予想よりも遥かにすんなりと進んだ。

 どれだけすんなり進んだかと言うと、千尋が友達へと別れの挨拶をやり直して自宅に戻ってきた時には、既に説得が完了していたぐらいである。


「お父さん!? 弟子入りを認めてくれるのは嬉しいけど、物分かりが良すぎない!? 魔術師だよ! 本物の魔術師! というか、『クロウ様』って何!?」


 そして、当然ながら千尋は困惑した。

 母親ならばともかく、常識人の父親はクロウの話を信じないと思っていたからだ。


「いや、僕は元々『天球世界』の人間だからね。君のお母さんが度々、『天球世界』に侵入しようとするのを防いでいる内に、いつの間にか恋仲になって結婚したから、こちらで暮らしているだけであって」

「そうなの!? でも、今までそんなの一言も言ってなかったじゃん!?」

「こちらの世界で暮らすのに、魔術の知識があっても面倒なだけだからね。後、千尋に魔術を教えるともれなく、君のお母さんにももれなくバレそうだったし」

「ただの冴えない喫茶店のマスターだと思っていたのに!」

「今はそうだけど、昔は魔術師だったんだよ、僕も。だから、わかるのさ」


 千尋の父親は苦笑しながら、千尋の頭を撫でる。


「千尋、君がクロウ様を相手に、どれだけ勇気を出して契約を結んでくれたのかを」

「……お父さん」

「クロウ様はとても優しい方だけれども、存在しているだけで他を圧倒する覇気の持ち主だからね。まともに会話するだけでも凄いさ」


 頭を撫でられながら、「えへへ」と照れ臭そうにする千尋。

 なお、その横でクロウは無表情のまま小さく「覇気なんて出していないが……」と不服そうに言っているが、今は親子のターンなので、それ以上は口を閉じている。


「だからこそ、君に忠告するよ、千尋――――君が契約の責任だけでクロウ様の弟子となろうとしているのならば、それは止めた方が良い。君とクロウ様、どちらも得しない決断だ。契約の不履行が問題ならば、僕が何でもしてクロウ様に頼み込む。だから、君の本当の気持ちを聞かせて欲しい」


 千尋の父親は、真剣な口調で自らの子供に問いかける。

 既に、契約は結ばれた。

 クロウという魔術師に対しても、これ以上ない信用があることを知っている。

 それでもなお、父親として、我が子を試すように問いかける。


「お父さん。アタシさ、『本当に美しいもの』を見たんだ」


 その問いかけに、千尋は力強い笑みで応えた。


「だから、師匠の下で、もっともっと色んなものを見たい。いろんなことを学んでみたい。アタシ、師匠みたいな凄い魔術師になりたいんだ!」


 それは旅立ちを意味する言葉だった。

 温かな場所を離れて、多くのことを知るために旅立つ時に、告げる言葉だった。


「……あぁ、まったく。血は争えないとはこのことだね」


 千尋の父親は寂しさと嬉しさが混ざったような笑みを浮かべると、すっと自宅の――喫茶店のドアを指し示す。


「いってらっしゃい、千尋。良い冒険を」

「――――うん!」


 千尋は力強く頷くと、クロウに向かって自分の手を差し出した。


「行きましょう、師匠!」

「ああ、行こう」


 クロウは千尋の手を取り、歩き出す。


「週に一度は、家に帰すように努力しよう」


 涙を隠す千尋の父親に、気遣う言葉を残して。


「師匠、ちなみに『天球世界』へはどうやって行くんですか?」

「建物のドアを転移ゲートにして、あちら側に繋げる。こんな風に」

「って、わぁあああああああああ!!?」


 魔術師の師弟は、喫茶店のドアに付けられたベルの音と共に、この世界から旅立った。




 落ちる、落ちる、落ちる。


「なぁわあああわあああああああああ!!?」


 千尋はクロウと手を繋いだまま、見渡す限りの青空の中を墜落していた。

 異常である。不可思議である。

 慣れ親しんだ喫茶店のドアは、いつもの光景とは繋がらず、青空の中に繋がっていたのだ。

 故に、千尋は三年ぶりのスカイダイビングを味わう羽目になっている。


「千尋、最初の教えだ。魔術師たるもの、いつ何時でも冷静に」

「い、いいいきなり、自由落下は無理がありますがー!?」

「覚えておけ、千尋。転移ゲートを繋げる際は、上空を指定した方が転移事故を防げる」

「このままだと墜落事故になりますがー!?」

「ならない。そのための私だ」


 ぴゅーい、とクロウの口元から甲高い音が鳴り響く。

 口笛。

 古来、『何かを呼ぶ』時に使われる手段だ。


「来たぞ」

「なに――がっ!?」


 故に、『それ』は来た。

 灰色の鱗を持ち、一対の翼で空を行く存在。

 馬ほどの大きさを持ちながらも、その顔にはどんな肉食獣よりも大きな顎がある怪物。

 科学文明の中では、幻想とされている生物。

 ――――飛竜ワイバーンが。


「私にしがみつけ。振り落とされるな」

「師匠! アドリブが過ぎますが!?」

「文句を言う割には、きちんと私にしがみつくところは高評価だぞ、弟子」


 鞍も無しにクロウは飛竜の背に乗り、千尋はクロウのわき腹に抱き着くようにしがみつく。


「ひ、ぎゅ、う、のぉ!?」


 尻の下から感じる、鱗の固さと筋肉の躍動。

 風は千尋の顔を叩きつけるように吹き荒れている。

 まともに目を開けることも出来ない。


「風精の加護を」


 けれども、クロウの呟きと共に、吹き荒れる風は来なくなった。

 まるで、千尋とクロウの周りだけ壁があるかのように、風が避けて行っているのだ。


「見るといい、千尋。ここが『天球世界』だ」


 そして、千尋はクロウの言葉に従い、恐る恐る目を開ける。

 飛竜の背に乗り、クロウのわき腹にしがみついたまま、眼下に広がる光景を見た。


「わ、あっ!」


 千尋は見た。

 広がる森林の中に鎮座する、巨大なるゴーレムを。

 千尋は見た。

 流れる大河の中から、蛇にも似た怪物が飛び上がる瞬間を。

 千尋は見た。

 自分たちと同じように、飛竜を駆る魔術師たちの姿を。


「これから君が踏み入ることになる、神秘と魔法が満ちる、科学とは異なる世界だ。さて、感想は?」

「すっごい! すっごいですよ、師匠! ワクワクが止まりません!」

「ふっ、そうか」


 そして何より、ほんの僅かの間、見上げたクロウの顔に微笑が浮かんでいたこと。

 それが、この『天球世界』に於ける、どんな光景よりも千尋には美しく見えた。

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